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亀の怪我。

 飼い始めて四年になる我が家の亀、ワラビ(メス)が、とうとう怪我をした。甲羅のふちの一部分が、割れて剥がれてしまっていた。おそらく数日前には剥がれていたと思う。エアコンの室外機のわきに、やや大きめの甲羅の破片が落ちていたから。

「あらら、今回はずいぶん大きなものが…」

 見た時、そう思った記憶がある。甲羅は六角形に別れたいくつもの部分からなっていて、あちらこちらがその都度剥がれて新しくなっていく。剥がれにくいものは、少し手伝って剥がしてやることもあるけれど、無理にはしないようにしている。

 どうして気づかなかったのかと考えてみたら、亀たちを世話する時、甲羅の左右をつかんで持ち上げるため、亀のカラダを下から仰ぎ見ることをしないせいだった。金曜日に甲羅全体をこすってあげた時にはまだ、怪我をしてはいなかった。ってことは、金曜日から月曜日の間で、やっちゃったんだなあ。がっくりとうなだれる。

 毎日、ベランダに柵を広げて人工芝を敷き、その中で日向ぼっこをさせている。他の二匹(ヨモギとモミジ)は滅多に柵越えしないのに、ワラビだけは、ほぼ毎回、柵を越えてベランダをうろついていた。室外機の下にもぐりこむだけでなく、使わなくなった植木鉢の下や、隣りの部屋との境目に設置されたコンクリートのレンガの脇など、あらゆる隙間を見つけては、入り込んでいる。

 ベランダに面した窓を開けて換気していると、こっそり部屋に侵入し、首を大きく持ち上げて、楽しそうに歩き回っていたこともあった。好奇心旺盛なワラビ。だからこそ怪我しちゃったんだな。柵越えの時に、高いところから何度も落っこちる衝撃で剥がれたのか、それとも何処かに甲羅をぶつけて動けなくなって、無理に脱出して負傷したのか。

 亀は他の動物とちがって泣かない。だから怪我にもすぐには気づかなかった。餌もよく食べていた。ただ、この二週間ほどは触ると首をすくめて縮こまるようになっていた。怖がりのヨモギは、よくそんな体勢になるのだけれど、ワラビがどうして?と思っていた。一人遊びの合間に、怖い体験を何度もしていたのかもしれない。

 ワラビの怪我に直ぐに気付けなかったことで、自分を攻める気持ちになったかと言えば、申し訳なさはあるものの、自責するほどではなかった。というのも、火曜日の夜に娘が海外旅行に出発するというので、わたしもワタワタと慌ただしい気持ちで、家事やら何やらに追われていたからだ。

 もしも娘の出発前に怪我に気付いていたら、と考えてみる。娘が向こうで体調を崩すのではないかという心配で胸がいっぱいだったわたしは、亀の負傷によってさらに不安を募らせ、暗い顔で見送りすることになっていたかもしれない。

 ワラビが黙って耐えてくれていたおかげで、わたしは娘の見送りに集中して、自分なりの役目を果たすことができた。何年かぶりの成田空港は外国人観光客がわんさかいたし、荷物を預ける場所や搭乗口などもすぐに見つけられず、右往左往した。玄関でバイバイせずに、空港まで見送りにきて良かったと感じていたのだ。

 亀なんて。何かにつけてそう思っていたのは事実だ。小さいし、体調を崩してしんでしまうことだってあるだろうと。でも実際に四年も一緒に暮らしていると、本当に怪我をしてしまった亀を見て、そんなに軽くは考えられなかった。ワラビがこのまま弱ってしまったらどうしよう。怪我した箇所が、今はきれいだけど、傷口が化膿してきたらどうしよう。考えれば考えるほど重たい気分になっていく。

 そうして思い出したのは、子どもたちがまだ小学生の頃に飼っていたハムスターたちのこと。小さくて毛がふさふさで、可愛らしかったあの子たちは、二年ほどで年老いてしんでいった。毛並みが悪くなり、目がしょぼしょぼして弱っていくのを見るのは、とてもつらかった。

 ワラビを持ち上げて、声をかけてみる。
「痛い?どこで怪我したの?ごめんね、気づかなくて」

 一瞬首をすくめた後、のそおっと首を出して、わたしを見ているへの字口のワラビ。暫くすると「もう離しておくれよ」とでも言うかのように手足を激しく動かし始めた。うん、元気だ。ワラビは元気。生きようとしている。

 欠けた部分は元には戻らないにしても、少しずつ、その部分の甲羅が強く厚くなっていくのだろう。時間をかけて見守っていくしかない。これまでは半日くらいベランダで放置して、好きにさせていたのだけれど、今後は家人がいない時には水槽に戻すことに決めた。午前中と夕方の二回、外に出して日光浴させよう。

 いつか旦那さんが退職したら、小さな中古物件の家でも買って、そこの庭で亀たちを歩かせてやろうと思っていた。でもそんな日がいつ来るかなんてわからない。今やれることをやって、亀との暮らしをもう少し楽しもうと考え直した。ひとまず、傷がこのままわるくなりませんように。


(R8/7/1)

追記:亀は今のところ元気に過ごしている。相変わらず柵から逃亡しようとする行為は止まらないけど。それがワラビにとっては楽しみの一つなんだな、柵にへばりつくってことが。





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