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「書くこと」によって、1日1日がかけがえのない愛おしいものに変わる

大学生のころ、毎日「日報」を書いていた時代があった。
インターンシップのようなプログラムの一環で、自分の立てた目標にむけた進捗や日々の行動をまとめて同期や社会人の先輩たちに送るというものだ。

卒論や就活や生活費のためのアルバイトなんかでてんてこまいななか、毎日23:59までにその日の気づきや学びを300字程度に添えて提出する。ときにはバイトの予定が長引いて、移動の間を惜しんで、真冬の空の下で手を振るわせながら必死で書いたこともあった。

アラサーになった今ふりかえるとよくもまあやっていたなと思うけれど、当時のわたしは意外とこの「日報」が嫌いじゃなかった。きっと、書くことで1日1日がかけがえのないものに感じられたからなのだと思う。
   

大学生のわたしは、何者かになりたいと、とにかく成長を焦っていた。スケジュール帳にびっしり予定を詰め込んでは、朝から晩まで活動する毎日。23字以降に帰宅して、最低限のご飯と睡眠をしては、また朝早く家を立つという生活を繰り返していた。

たまにオフの日もあったけれど、そんな日の夕方は決まって意味のない1日を過ごしてしまったことに対しての罪悪感が強くて、夜にひとり反省をすることがセットになっていた。そうして休むことが怖くなって、また予定を詰め込む毎日を過ごしていた。

そんなふうにストイックに頑張ってきた一方で、ふとその月をふりかえった時に「その結果、何が残ったんだっけ?」が見えない。日々募っていく焦燥感と反比例して自分の中のドス黒い感情だけが育っていく。自分なりに一生懸命頑張っているはずなのに、優秀な同級生と比較して、できないものや自分に持っていないものに焦点がいくばかりの毎日を送っていた。


そんな自分が、「日報」に出会い、日々を綴ることに書くことによって、日常に意味を感じられるようになった。

あわただしく過ぎ去っていく毎日で、日々自分の感じたことを記録する。
何もしていない1日でも、そこで感じたものやふとしたひらめきを文字にして残しておけばその1日が価値のあるものに見えた。1週間、1ヶ月と積み重なった軌跡を見ると確実に自分が成長していることがわかるし、何より日々その1日を懸命に生き抜いた自分のことを愛しく感じられる。

学歴でも、恋愛でも、仕事でも、ずっとコンプレックスがあって常に「自分にないもの」を探していた自分が、はじめて「あるもの」に気づけたきっかけだった。

ーーその後わたしは、飲食店スタッフという「書く」とは全く異なるファーストキャリアを歩む。それでも「書くこと」は、その後もわたしを支えてくれるお守りになってくれた。「日報」を書く習慣は、10年経った今も「手帳」という趣味に姿を変えて、わたしの日常に残り続けている。

巡り巡って今、ライターという職業をしているのも、もしかしたらこの時から約束された必然だったのかもしれない。

書くことによって救われた原体験があるからこそ、誰よりも真摯に、これからも「書くこと」に向き合っていきたい。


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