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「コストのかかる趣味」を持つと人生は豊かになるかもしれない

わたしは「おもしれ〜人間」が大好きだ。
そんなわたしのまわりには変人・狂人がたくさん集まる。

計50回以上仕事を辞めた夫、鮮魚を求めて毎日のように地元スーパーや市場に通いつめる後輩、急に会社を退職して自由きままに全国・海外を旅した友人…彼らのことを説明しようと思えばいくらでも語れるが、共通していえるのは「コストのかかる趣味を持っていること」なのかもしれない。

SNSや配信サービスが発展した今の世の中では、娯楽に困ることはない。家から1歩もでなくとも、スマホやTVのスイッチをつけるだけで、あっという間に1日を潰せる。だけど代わりに、「自分の意思」が奪われているような気がするのはわたしだけだろうか。

おすすめに出てくる動画をぼんやり眺め、無限に続くタイムラインをスクロールする。それはたしかに心地よい受動的な消費だが、「自分が何を楽しみたいか」という主体的な選択をいつの間にかアルゴリズムに明け渡している気がする。

一方で、私が出会ってきた「おもしれ〜人間」たちはどうだろう。 彼らはわざわざお金を払い、時間を削り、時には周囲から「なんで?」と呆れられるような労力をかけてまで、泥臭く自分の「好き」を取りに行く。そこには誰のものでもない確固たる「自分の意思」が存在している。

「コストがかかる」というと一見ネガティブかもしれないが、結局人の人生は「何にお金と時間を費やしたか」で決まる。その目線で見ると「自分の人生を、どれだけ主体的・熱狂的に投資できるか」は人生を謳歌する上で非常に大事なバロメーターだ。

「タイパ」ばかりがもてはやされる現代において、あえて非効率で、時間や費用や手間のかかる趣味を持つ。それは、インスタントな娯楽に流されがちな日常の中で、自分の輪郭を取り戻すための最高に贅沢な体験のように思えてくる。

新しく楽器を習う、絵を描いてみる、名作と呼ばれる古典映画を観てみる…人によってアプローチの仕方は様々だと思うけれど、一歩踏み出してみるとまた変わった人生の景色が見えるかもしれない。

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