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パレスチナ抵抗のシンボル「ハンダラ号」は地中海を往く ~イスラエルにシチリア島の支配者のような寛大さがあれば・・・

 ガザ支援船「ハンダラ号」は13日、イタリア・シチリア島のシラクーサを出港した。「ハンダラ号」はガザの子どもたちのためにイスラエルの封鎖を破って支援物資を届けることを目指している。「ハンダラ」はパレスチナの漫画のキャラクターで、パレスチナ人のイスラエルへの抵抗を象徴してきた。必死に食料を得ようとするパレスチナ人たちをイスラエル軍が毎日銃撃して殺害する中で、ハンダラ号にはガザに支援物資を実際に届けてガザの人々に希望をもたらしてほしいものだ。国際法に違反して飢餓を戦争に用いるイスラエルには国際社会がガザに人道支援を行う姿勢をしつこく見せることも必要だろう。

「ハンダラ号」に乗り込んだフランスの欧州議会議員 エマ・フローロー(25歳) https://en.wikipedia.org/wiki/Emma_Fourreau


 パレスチナ民族のシンボルでもあるハンダラは1969年に政治漫画家のナージー・アル=アリー(1938~87年)によって作成され、1973年に現在の形となった。このキャラクターは紛争や占領の中にあって、パレスチナ人の抵抗のシンボルとなってきた。いつもボロボロの服を着用し、裸足で立っているのは、貧しいパレスチナ人への共感を示している。

 植物のハンダラは東地中海地域原産で苦い実をつける多年生植物の「コロシンス」のアラビア語名に由来する。コロシンスは、スイカに似たような果実をつけるが、味は苦く下剤として用いたりする。ハンダラという植物は、地中に根を深く張り、復元力が強く、パレスチナの人々の不屈の意志を表すと考えられている。日本で言えば、「雑草魂」のようなものだろう。

ジェノサイドとハンダラ


 1987年に作者のナージー・アル=アリーが暗殺されても、ハンダラの影響は数十年にわたって現在まで続き、ヨルダン川西岸、ガザ、パレスチナ難民キャンプなどの壁や建物に描かれ、タトゥーやジュエリーのデザインとしても用いられ、またBDS運動のシンボルともなっている。ハンダラの年齢は10歳で、作者のナージー・アル=アリーが1948年のイスラエル建国によるナクバ(大災厄)で故郷を追われた時に成長が止まり、ずっと10歳のままでいる。

ハンダラの作者のナージー・アリー https://x.com/theIMEU/status/1682789855527604224



 ハンダラは米国主導のパレスチナ和平への抗議の意思を表すために、ずっと読者には背中を向け、両手を組んでいるが、パレスチナ問題の大義に反するアラブ・イスラム世界の指導者たちへの批判の意思をも表している。ハンダラは正義や大義の象徴となっていて、パレスチナ人やアラブ人たちはハンダラを見ては自らの行動を自省することになっている。

 作者のナージー・アル=アリーにとっては米国が提示する和平案はイスラエル寄りで、いつも拒絶すべきものだった。アリーは1938年に現在のイスラエル北部にあるガリラヤのパレスチナ人村アル・シャジャラで生まれた。彼は、そのキャリアの中で4万枚以上の漫画を描き、イスラエルと、イスラエルに迎合するようなアラブ諸国政府に対して常に批判的だった。キャリアの多くをクウェートの新聞社に勤務して過ごし、1987年クウェートの新聞『アル・カバス』紙のロンドン事務所で何者かによって撃たれて亡くなったが、彼の殺害にはイスラエルのモサドの関与が疑われている。

ヨルダン川西岸の分離壁とハンダラ


 ハンダラ号も、前回のマドリーン号と同様に、シチリア島から出発する。シチリア島は、スペイン・ポルトガルの「アンダルス」と同様に、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒間の共存が見られ、東洋と西洋、またイスラム、キリスト教、ユダヤ教の交差するところだった。ウマイヤ朝初代カリフのムアーウィヤの時代からイスラムは海軍遠征隊を島に派遣し、827年に島の西端にあるマザラを占領して拠点を固めた。島の中心都市パレルモの発展はイスラム教徒による農業と技術革新によってもたらされ、彼らは綿花、朝、ナツメヤシ、サトウキビ、桑の実、柑橘類などの新しい作物を導入した。

 シチリア島を支配した神聖ローマ皇帝のフェデリーコ2世(フリードリヒ2世:1194~1250年)は、戦争ではなく、対話によってアイユーブ朝のスルタン・カーミルと中東(パレスチナ)和平を達成した人物だった。ヤッファ条約(1229年)によって、エルサレムとベツレヘム、そしてナザレ、また地中海沿岸地域の一部がフェデリーコ2世のエルサレム王国に割譲され、キリスト教徒のジャッファへの巡礼が保障された。ムスリムたちはエルサレム王国内部の自由の通行が認められ、岩のドーム、アル・アクサー・モスクなどエルサレムのイスラムの聖地は、ムスリム支配の下に置かれることになった。

 パレルモの大聖堂に眠るフェデリーコ2世の遺骸を包む衣装はイスラム風であり、袖にはエルサレムの平和を共に築いたいた盟友であるスルタン・アル・カーミルに捧げられた次の言葉がアラビア語で縫い込まれています。

「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」

 シチリア島を出港したハンダラ号に対してイスラエルがフェデリーコ2世のような寛大、寛容な姿勢を見せれば、パレスチナ和平は前進するに違いない。排除よりも異教徒、異民族を包摂することによって紛争を乗り越えることができることは言うまでもない。イスラエル政府が何よりも知るべきことだ。

※表紙の画像はハンダラ号はガザに向かう
https://www.aljazeera.com/video/newsfeed/2025/7/14/new-freedom-flotilla-ship-sets-sail-to-challenge-gaza-blockade

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