見出し画像

「烏合の衆」の国会議員たち ―私権や私益で派閥を汲み、その頭領に迎合して出世しようと考える人は、もはや政治家ではない(石橋湛山)

 15日の党首討論で高市首相の後ろに自民党の議員たちが陣取って、拍手や声援を送っている。こんな国会の光景は初めて見た。日本の国会はここまで劣化しているのかという驚愕と衝撃の想いで、その議員たちの顔を眺めた。

 こんなことをやらせる高市首相のセンスを疑わざるを得ないが、今の政治は、国民に寄り添い、社会的弱者のことを考えるということはなく、自らの地位や権力の保持のために強い側につこうとする政治家の薄汚い姿勢が顕著で、気持ちが悪くなるほどだ。政治がまさに「烏合の衆」化して「恩恵の扉を叩く」姿勢が顕著になっている。この議員たちに投票した選挙区の有権者たちは、議員たちがこんなことをすることに期待を寄せたのではないだろうと思うが・・・。

 北大西洋条約機構(NATO)のルッテ事務総長は7月8日、トルコの首都アンカラで閉幕した首脳会議後の記者会見で、トランプ米大統領について「そのリーダーシップが同盟を変革し、より強いものにしている」と称賛した。すると、デンマーク人記者がルッテ氏をカメラの前で非難し、「あなたはドナルド・トランプの隣に座り、彼がグリーンランド領有について語る瞬間や、スペインのような同盟国に攻撃を加える瞬間を傍らで見ていますが、あなたがそこに座って何も言わないとき、それがあなたの自尊心に何の影響も与えないのですか?」と述べた。

 同じ質問を高市応援団の自民党の政治家たちにしてみたい。「あなた方が高市氏の発言に何の考えもなく拍手・声援を送る時、あなた方の自尊心に何の影響も与えないのですか?」と。

「恩恵の扉を叩く者を友と見なすな
友を自負し、兄弟と呼ぶような者を
私は友の手を取るものが友であると考える
心乱れ、困窮した中にあって」
―サーディー「ゴレスターン(バラ園)」

 石橋湛山元首相は、「私権や私益で派閥を汲み、その頭領に迎合して出世しようと考える人は、もはや政治家ではない。政治家が高い理想を掲げて国民と進めば、政治の腐敗堕落の根は絶える」と語っている。


 今の政治は「頭領に迎合する」雰囲気ばかりが強く感ぜられ、自らの政治信念をもって行動する政治家が少ない。閣僚には首相と似たような考えをもち、迎合するような人たちがずらりと並ぶ。自民党の若手政治家たちは湛山元首相の言葉をよく噛み、政治の本質や原点とは何かをよく意識してほしい。彼らは石橋湛山の自民党の後輩だ。

 石橋元首相は、福沢諭吉の「その志を高遠にして学術の真面目に達し、不覇(ふき)独立をもって他人に依頼せず、あるいは同志の朋友なくば、一人にてこの日本国を維持するの気力を養い、もって世のために尽くさざるべからず(志を高く遠くに持ち、学術の真髄を究め、真の独立をして他人に頼らず、もし志を同じくする友がいないなら、自分一人でも日本国を背負う気概を持ち、社会のために尽くさなければなりません。)」を血肉化した生き方をしたと歴史家の半藤一利氏は書いている(『戦う石橋湛山』より)
現在の政治家たちに大きく不足しているのは不羈独立の精神だが、この福沢の言葉は政治の世界だけでなく、私たちの日ごろの生き方にも指針を与えるものだ。


 石橋湛山は、1954年(昭和29年)に鳩山一郎内閣で通産大臣となり、米国の反対にもかかわらず、共産党政府が支配する中国との民間貿易協定を結んだ。米国は中国との通商関係の促進は対日援助計画に支障をきたすという圧力をかけてきた。東西の軍拡競争に危機感を覚えた石橋は、冷戦構造に風穴を開けることを目指したが、東西冷戦は、軍備で何事も決着をつけようとした戦前の帝国主義と本質的には変わらないというのが石橋氏の考えであった。彼はイデオロギーを超えた外交を目標とし、米国だけに偏らない外交を理念とし、良識的な保守の外交理念を訴えていた。米国の軍事力を頼りに中国と対決しようとする戦前の帝国主義のような高市氏とは真逆な発想だ。

 高市首相の一言一言に歓声を上げるような政治家は、外交の場面では、高市氏と同様に、強い側についていればよいという発想に陥ることだろう。石橋湛山の言葉を借りれば米国に迎合して政治権力の強化を図る高石氏のような政治家はまさに亡国の、腐敗、堕落した政治家だ。強い側についていればそれが正義だというのは、世の中のいじめと同様で、日本の小泉政権は2003年のイラク戦争を支持したが、強いアメリカを支持すれば正しいという考えだった。国際社会の「いじめ」に加担するようでは他の諸国から敬意を得られないことは言うまでもなく、高市応援団の政治家たちは、国際社会でリーダーシップを発揮できるような政治家には決してならないだろう。。


いいなと思ったら応援しよう!