寒空に締め出された隣人・後半{京都自論}
鍵レスキューを首を長くして待つ
鍵業者はすぐに応答してくれた。
しかし、このエリアの担当は近くで別件作業中だそう。おそらくもうすぐそちらは終わって、車移動に30分ほどかかる可能性があるとか。なんやかんやで最低でも45分はかかると見た。
場所を伝えて、依頼。私も通訳として同席すると伝えた。
その時点で時間は18:20だ。
そしてお向かいさんに説明する。
Google翻訳に打ち込むと理解してくれて、19時に家の前に集合する事を伝えた。
向かいの家の住人とはいえ、言葉も通じない、交流のない相手。
この冬の雪がちらつく寒空に屋外で45分待たせるか、暖房の効いた我が家に招き入れるか。我が家にも家族がフルメンバー居れば、まだ招き入れに心の天秤は傾くが、昨夜のその時間は私と犬達のみ。この人物を、そんな我が家に凍えないためとはいえ、大丈夫だろうか。私の良心がユラユラ揺らぐ。
すると、彼はいったんコンビニに暖を取りに行くという。正直、ありがたいと思った。善人にはなりきれない私は、よく知らない相手への警戒心は消せないのだ。
家に入れるか入れないかの葛藤
18:45。少し前、道が混むので少し遅れると、鍵業者から電話が入る。予定より遅くなりそうだが、お向かいと連絡を取る術はない。
19:00。お向かいとは家の前で落ち合い、Google翻訳に頼って、業者はおそらく30分くらいは到着がずれ込む可能性があることを伝えた。彼は外で待つというが、雪が夕方からチラついているのだ。ダウンを着ていても、寒いことに変わりはない。
この40分の待ち時間に考えた苦肉の策で、自宅前の我が家の車の中で待とうと伝えた。それなら業者を待てるし、暖房もかけられるし、通行人もいる。
お向かいさんは、遠慮してきた。なんと…。
またコンビニに行っておくと。それを無理やり引き止めるほどの押しの強さはやはり私にはなく、では19:30に再度待ち合わせようということになった。
この時、もしやと思って財布の有無を確認した。案の定、持っていない。自販機で何か温かい飲み物を買ってと渡そうとした300円も、固辞された。なんと…。
その後の19:30。再合流したが、業者がまだ到着しない。今度こそうちの車のエンジンをかけて、助手席に座ってもらった。シートの背中から熱が伝わる暖房も入れる。
翻訳アプリで少し会話した。香港近くの街から来ていて、日本と京都が本当に好きなのです…と語ってくれた。
しかし、私たちの会話が弾むという感じではなく、10分ほど経った頃に道に迷った鍵業者から電話が入り、お向かいの男性は誘導のために大通りに向かった。
この遠慮がちな気配が、私には好印象だった。こちらの好意による行動にタダ乗りしない感覚とでも言おうか。ズケズケ踏み込んでこない気配というか。
なんやかんやで、業者が到着したのが19:50。業者は英語は無理というので、翻訳アプリで日本語↔︎中国語、簡単なことは英語で伝えて。
どの部分の鍵を、どれくらいの費用で、どんな感じで開けるのかを説明。全部了解したお向かいさんが申込書にサインした時点で、いったん私は帰宅した。
鍵業者からヘルプの電話が入ったのが、20:30。勝手口の鍵を開けるのに、鍵部分の上下に小さな穴を開ける必要があるかもしれないと伝えて欲しいとのこと。
駆けつけた私が、翻訳アプリで入力して見せている最中も業者さんが奮闘しつづけて、オッケーオッケーとお向かいが言った瞬間、鍵が開いた。
おお〜!
思わずハモった、私とお向かいさん。
暖かな室内の空気が、冬の外気に混ざるように外に溢れ出てきた。ホッとした。
そして、アプリを使ってまで説明した余計な穴は、開けずに済んだ。
見知らぬ隣人から見知った隣人へ
鍵は壊して開けたので、取り替える必要があるそうだ。それは翌日、お向かいさんの日本語のわかる友人が手伝って、業者さんと連携してくれるらしい。
戸締りにしては二重ロックなので、もう一つの健在な方があるから問題なし。
私が貸したダウンは洗って返すというが、かつて犬の散歩に使っていた、汚れる前提のダウンジャケットだ。クリーニングなんて要らない要らないと、持ち帰る旨を伝えた。そしたらお礼だと、ブルゴーニュの赤ワインを一本くれた。わぉ。
鍵業者からも感謝されてしまった。駐車場の提供と、通訳と、明日からの段取りのための情報共有についてだ。わぉ。
これまで、見知らぬ隣人は怪しい隣人だった。異邦人だった。
何の仕事をしているかわからない、何人で住んでいるかあやふやで、入れ替わり立ち替わりやってくるのは、同一ファミリーなんだろうか友人なんだろうか仕事仲間なんだろうかと思っていた。もしかしたら、報道されているような、日本の不動産を買い漁る外国人の可能性も考えていた。それもこれも、対話ができず、どんな人物かの姿が掴めなかったからだ。
この一件で、私にとって彼ら一家は顔見知りの隣人になった。この先、ゴミ出しなんかで出会っても、もっとにこやかに挨拶できるだろう。人物像が垣間見えたからだ。
京都は閉鎖的で、嫌味にもとれる会話をする大きなムラ社会とも言われている。
しかし、馴染もうとするひとをはねつけるような、冷たい街ではないと思う。誰にも彼にもをイケズを言う相手にはしない。
もし冷たく聞こえても意地悪に見えても、それは自衛のために棘を立てているだけなのだ。自分たちの日常をかき乱すような存在かどうかを、そっと探っているのだ。傷つけられたくないのだ。害されたく無いのだ。千年の都の歴史で何度も戦火に遭い、身を守り財を守るためにまとってきた警戒という衣で、幾重にも武装しているだけなのだ。
いったん気を許せると判断した相手には、そんなにツンケンしない。仲間だからだ。
ただし、もし町衆と周囲にみとめられたならば、さらに沼化させるような京都が広がることだろう。それが良いのか悪いのかは、人それぞれ。京の街と生きていくならば、どうぞおこしやす。
ちなみに旅行で来るお客さんにも、塩対応はしない。お客さまだからね。日常を脅かさないのであれば、通過していく存在だ。
お向かいさんが、京都に永住するとは思わない。いつかあの一軒家を手放すだろう。その時まではお互いぜひ良い隣人でありたいと、切に願う。
