文字を持たなかった昭和 二(書こうと思った動機)
わたしはどちらかと言うとお父さん子だった。よくも悪くも父の影響を受け、父を意識して生きた期間が長かった。
その父が10年ほど前に急逝したあと、残された母とどうコミュニケーションをとればいいのか、少なからず戸惑った。
父なら、この話をすれば、手紙にこう書けば、電話でこう言えば、こう反応するだろう、という予測がついた。しかし、常に父を立て、父の後ろで控えめにし、自らの意見らしい意見を述べることがなかった――述べることを許されなかった、と言い換えてもいい――母には、何を話せばいいのか、何をすれば喜んでもらえるのか、確信めいたものが持てなかった。
言い訳するなら、父の存在は家の中で「絶対」であり、家族との関係といえば父について考えるのが当然で、母について深く考える余裕がなかった。その父がいなくなり、わたしは母をよく知らないことに気づかされた。
いま、母自身の話を聞く機会はほとんどない。近くに住んでいないし、母の年齢からしてこの先何回も会えるとは思えない。会えたとしても、回想をインタビューできるとは限らない。それはここ数年で実感したことでもある(新型コロナが、会えない状況に拍車をかけてもいる)。電話でも、お互いの無事の確認と簡単な世間話がせいぜいだ。
ならば、ごく稀に語ってくれた思い出話と、わたしから見た母の姿を、思い出せる範囲で書いてみよう、と考えたのだ。そしてそれは、母と同じように自らを語ることなく、日々を生きることに精一杯だった人々について考えることにもつながるかもしれない、と。
