文字を持たなかった昭和489 酷使してきた体(1)丈夫とは言えなかった
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
直近では、昭和50年代前半に手掛けたハウスキュウリに失敗した結果、一家が長年にわたり苦しい生活を送った時期について述べた<208>。けっこう厳しい内容で振り返りながらしばしば重い気分になった。
これから綴ろうとしているテーマも、景気がいいものではない。しかしミヨ子自身の来し方を振り返るのに、病歴を含む体の状況についても記しておいたほうがいいと思うのだ。
noteを始めて間もない「六十四(丈夫というわけでは…)」で述べたように、ミヨ子はもともとそれほど丈夫なほうではなかった。
ただ、若いころに結核にかかったという経歴や、いつも元気でほとんど医者にかかったことがなかった夫の二夫(つぎお。父)との対比から、「丈夫ではない」という印象から娘の二三四(わたし)が自然に持つようになった部分もあるかもしれない。
一方で、整形外科方面の問題は多い。つまり膝などの関節や腰の痛みなどである。90歳を超えているのだから足腰が痛むのは当然とも言えるが、農家の嫁として働きどおしだった結果でもある。その状況は「四十六(働きづめの体)」でも触れたとおり、圧迫骨折のあとが見られ、お医者から「若いころ重いものを担いだりしましたか?」と訊かれたほどだ。
さて、この先は、現役の農家の主婦だった頃の日々の不調というよりは、人生の節目ともなった大きな病気や体の変化について書いてみようと思う。
<209>「442 困難な時代(1)始めに」~「488 困難な時代(47)リテラシー」
