呉正男氏 2.ご経歴

 まず呉正男さんのご経歴をご紹介したい。インターネット上の呉さんに関する記事の多くにその経歴が記されているし、経歴そのものを稀有なストーリーとして取り上げているものも多い。したがってここに記すのは余分かもしれないが、今回呉さんや台湾出身戦没者慰霊碑について確認する課程で読んだ記事から、自分なりに整理してみたかった。(※)

昭和2(1927)年 日本統治下だった台湾の中南部・斗六生まれ。8人きょうだいの長男。

 父親が地元の有力な役人だったこともあり現地の子供が通う「公学校」へ行かず、内地人(日本人)の子供が通う小学校へ通う。将来は医師を目指すべく台湾南部の都市・嘉義の中学校を受験するも、競争率の高さから2回失敗(内地からの受験生も多かった)、父親の薦めで内地での進学を決心。

昭和16年 新設の中野学園中学(東京)へ入学、3年後に卒業。
昭和19年4月 陸軍特別幹部候補生(一期)として、
 水戸航空通信学校長岡教育隊入隊

昭和20年12月 西筑波飛行場の滑空飛行第一戦隊に転属、
 九七式重爆撃機の機上通信士
昭和20年3月 同じく日本統治下だった朝鮮の宣徳飛行場に移駐
同6月 特攻出撃の意向調査で「熱烈望」に印
同8月15日 新安州飛行場への移動準備中に敗戦

同9月 平壌飛行場へ移動中、ソ連兵に連行され、その後カザフスタンで2年間の抑留生活を送る。

 日本名があったため「帰国」でき法政大学へ進学。このとき台湾に帰っていれば国民党政府の「白色テロ」の対象として処罰されていた可能性が高い。

 大学卒業後は中華民国人(台湾人)として横浜の華僑向け信用組合に70歳まで勤務。戦争体験の語り部として、また日台の架け橋として、数え100歳(満98歳)のいまもご活躍。

(※)複数の記事を参考にしたが、戦中の経歴は主に次の記事に依った。
戦場体験史料館 museum of memories on the battlefields WW2

【お知らせ】呉氏に関する投稿はマガジン「呉正男氏―台湾出身の元陸軍特別幹部候補生」に集約。


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