文字を持たなかった昭和407 おしゃれ(3) トップ
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
これまで、生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきたが、少し趣向を変えておしゃれをテーマにすることにし、ミヨ子の体型や風貌に続いて、ふだん着としてのモンペについて書いた。
ボトム(?)はモンペとして、トップ(?上半身)はふだん何を着ていたかというと。
だいたいは作業用のシャツブラウスだった。シャツブラウスという言い方があったわけではない。せいぜいブラウスと呼ぶことがあったが、作業着なので、「ブラウス」というフェミニンな(?)イメージよりはシャツのほうが近いだろう。しかし女性用なのでシャツブラウスという単語を使ってみたのだ。
汗をかくことが多いためたいていは開襟の角襟で、生地は化繊と綿の混紡がほとんど、比較的薄かった。作る側も使う側も、着やすさ、洗いやすさを考えてのことだろう。
色柄は、一応女性用ということだろう、比較的明るい色で花柄も多かった。ボトムが地味な色柄のモンペでも、上に明るい色や柄を持ってくればその人なりの表現ができなくもなかった。ミヨ子は水色や薄い紫などの地に、花柄が入ったようなものを好んだ。もっとも選択肢は多くなく、農協の売店や近隣の小さな衣料品店がせいぜいで、置いてあるものも似たりよったりだから、せいぜい自分に合ったサイズの中から、嫌いではない色や柄を選ぶ程度ではあった。
ミヨ子の場合、米の代金が入る頃に精算してくれる出入りの衣料品店「伊勢屋」さんから買うこともあった〈180〉。ただ伊勢屋さんは品揃えが少なく価格も割高だったので、傍で見ている二三四(わたし)などは「(隣り町の百貨店)みやうちで買えばいいのに」と思ったりもした。百貨店といっても3階建てくらいの、いまで言えばスーパーを少し大きくした程度ではあったが、温泉町にあることもあり、周辺地域ではダントツの規模と品ぞろえ、集客力を誇っていた。
シャツブラウスの上には、たいてい割烹着(風の作業着)をつけた。これを着ないとトップもボトムも土や埃でじかに汚れてしまう。割烹着と言ってもテレビのお料理の先生や、ドラマのおかみさんが着ているような白いものではなく色柄もので、しかも濃い地味な色が多かった。汚れが目立たないように、ということだろう。裾も長く、まさに汚れよけのために作られていた。
だから、割烹着をつけてしまうと、シャツブラウス選びで発揮した個性の表現はほぼ相殺された。下には何を着ていても同じ、とも言えるほどに。それでも、地域や集落の農家の女性たちが着る、地味な色の割烹着の胸元からシャツブラウスが覗くとき、それぞれの好みや暮らしぶりも垣間見えた。
〈180〉伊勢屋さんについては「二百三十九(正月支度――新しい衣類)」で述べた。
