文字を持たなかった昭和 二百六十五(手前味噌、中編)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に、もの言わぬ庶民の暮らしぶりを書いている。冬の暮らしについて、前編に続き味噌の仕込みについて書いておこう。

 味噌は毎年一年分を仕込んだ。材料のおおよその割合については前編で触れたが、一家の一年分の味噌の仕込みにどのくらいの量の材料を用意したか、まだ子供だった二三四(わたし)は覚えていない。

 ただ、味噌を仕込む時期になると、いまなら食品店や米屋などの倉庫にしかなさそうな大きな紙袋――たぶん20キロ入り――の麦が台所の隅に置いてあったように思う。塩も、専売公社(当時)の塩の大袋があったが、これはふだんから大袋で買っていたはずだ。大豆はある時期までは家で植えた大豆を使っていた。

 前編で記した作り方は
(1日目)
①麹(丸麦に麹をつけたもの)をパラパラになるまでよくほぐし、塩を入れまんべんなく混ぜ合わせる。
から始まる。

 これは、麹を扱うお店の記事を参考にしたためだ。「丸麦に麹をつけたもの 」とある部分は、その前のプロセスがある。具体的にはこうだ。

(1)麦味噌の主材料である丸麦を洗い、一晩水に浸しておく。
(2)(1)の麦の水を切る。木製の大きな蒸籠(せいろ)に布を敷き麦を入れて蒸す。
 ミヨ子たちは簡易式の竈(かまど)を庭先に出し、薪で起こした火で蒸した。
(3)麦が透き通るくらいまで蒸したら、しゃもじでザルなどに広げて粗熱をとる。
 1年分の味噌を仕込む量なので、1回では蒸しあがらなかったかもしれない。蒸しあげた相当量の麦を広げるには、「しょけ」と呼んでいた竹で編んだ大きな平ザルを使った。大小何種類もの「しょけ」はどの農家にもあったはずだ。
(4)人肌に冷ました麦を少量とりわけておき、残りは室ぶた(「もろぶた」とも)に広げる。
(5)(4)で取り分けた麦に種麹をよく混ぜる。
 つまり、前編にある「丸麦に麹をつけたもの」を用意するには、種麹が必要なのだ。二三四の記憶でも、小さな袋で売っている種麹を買って来てあった。
(6)(5)を(4)の麦に振りかけ、麹菌が行き渡るようによく混ぜる。
 おそらく、麦麹を作るためにはこの作業はけっこう重要なはずだ。
(7)(6)の麦を室ふたの中で均一にならす。
(8)室ふたを重ね、いちばん上に空の室ふたなどをかぶせて、麹の繁殖を待つ。
 いまの手作り味噌の場合、麹が繁殖しやすい温度を保つため毛布をかぶせたりするようだが、そのあたりは記憶にない。菌の繁殖が始まるまでは、保温のため毛布かなにかを被せていたかもしれない。
(9)1日半ほどして麹菌が行き渡ると、麦の表面がびっしり白い毛のようなもので覆われる。

 こうしてできあがったのが「麹」だ。つまり前編のプロセスに入るまでに、麦の浸水時間を入れると3日ほどの前作業があるということだ。

 ここまできても、まだ麹ができたところで、道半ば。

 二三四は、ハル(祖母)の嫁入り箪笥が置いてあった台所に近い座敷の隅で、室ふたの中の麦が様相を変えていくのを、ときどき盗み見たことをはっきり覚えている。麹が増えるにつれ室ふた全体が暖まってくるのが、子供にもはっきりわかった。室ふたをそっと開けて指でつつこうとすると、
「雑菌が入る」
とハルやミヨ子に怒られた(もっとも「雑菌」という言い方ではなかったと思うが)。
「どうしても触りたいなら、きれいなしゃもじか箸でそっと取りなさい」
とも。

 少しだけ取ってみた麹は、蒸しあがったときと違い、白くてふわふわした綿毛みたいなもので覆われていて、不思議な眺めだった。味噌の元なのだから食べられるだろうと口に入れてみると、なんとも珍妙な味がした。

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