文字を持たなかった昭和 七(貧しさについて)
ミヨ子の生家をしばしば「貧しい」と表現しているのは、ある意味不名誉なことかもしれない。ただ――すでに書いているし、これからも書くと思うが――昭和の初めの農村において、極端に貧しかったわけではないと思う。現在の価値観に照らしたとき、そう表現すると分かりやすいということだ。
それでも、ミヨ子の家は楽ではなかった。
「 四(誕生)」で書いたように、父の直次は長男でなく、所有する田畑が少なかった。ミヨ子によれば、直次の「きょうだいは仲がよかった」ので、親から譲られた田畑を等しく分け合ったのだが、それぞれが結婚し独立する過程で、田畑の持ち分の多寡が生じていった(※9)。結果的に直次の田畑は少なく、一家7人を養うには十分ではなかった。
このため直次はしばしば働きに出ている。わたしが覚えているのは夕方土木作業から帰って来る外祖父の姿だった。戦前から戦中は軍属として外地(戦地)へ出たこともあるようだ。働き口の紹介があれば、長期短期にかかわらず働きに出ていたのかもしれない。もちろん、男手が足りなくなる分は、妻のハツノや子どもたちが補わざるを得なかったが、農繁期には隣近所や親戚も手伝ったことだろう。
思い返せば、ミヨ子の実家の田畑はたしかに多くなかった。土地を「広い」でなく「多い」というのもおかしいかもしれないが、田んぼや畑がまとまって広がっているわけではなく、小さめの田畑ががあちこちに分散しているのが、当時のその地域では一般的だったからだ。田畑として所有する「件数」が他の農家より少なく、ひとつひとつの面積も広くなかったように思う。
※9 やや複雑な話だがいまもあり得ることなので、いずれ書きたい。
