文字を持たなかった昭和 十(お弁当)

 母ミヨ子が子供の頃(戦前から戦中)はもちろん給食などなく、学校にはお弁当を持って行かなければならなかった。おかずが添えられたお弁当を持ってくる子供もいたが、経済的に苦しい家庭の子供のお弁当は、おかずがないだけでなく、お米のごはんでない場合もままあった。

 ミヨ子もそのひとり。弁当箱にはふかしたサツマイモが入っていることが多かった。ご飯を炊くときにサツマイモを入れてイモご飯にしても、ご飯は大黒柱の父親のお弁当になり、子供たちの弁当箱にはサツマイモのほうが詰めてあった。それでもご飯粒がついたサツマイモはまだ上等で、たいていはふかしたサツマイモだけだった。それが恥ずかしくて、周りから中身を見られないよう、弁当箱の蓋を立てて食べた。

 わたしはこの思い出話を、当時ならお弁当を持ってこられない子供もいただろうから、それほど恥ずかしいことではないのでは? と思いながら聞いたし、そもそも母は自分の感情について語ることが少なかったから、恥ずかしかった気持ちを吐露されて軽いショックを受けた。

 楽ではなかった暮しを、幼いながらも長女のミヨ子がどんな思いで受け止めていたのか、と考えると切なくなる。

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