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最近のミヨ子さん 2024年のクリスマス

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ったあと、明治生まれのミヨ子さんの舅・吉太郎さん(祖父)の物語に移った。直近では、今秋帰省した際ミヨ子さんをふるさとへ連れて行ってあげたことについて、かなり長く書いたところだ。

 その帰省から1カ月以上が過ぎ新年の準備にも気持ちが急かされる頃。ミヨ子さんを巡る今年のクリスマスについても、少しだけメモしておこうと思い立った。(そのため前項「ミヨ子さん語録 にか」の続きは、本項のあとになる。)

 ミヨ子さんは今年の6月末介護施設(グループホーム)に入所した。近況は息子のカズアキさん(兄)たちが面会のときに撮った動画や写真で知るか、たまに、面会のついでにビデオ通話をさせてもらえるくらい。わたしの立場で言えばすべては受動的だ。

 ミヨ子さんがカズアキさん一家と同居していた頃、クリスマスにはちょっとしたプレゼントとカードを送っていた。届いたあと電話やビデオ通話で話をさせてもらっていたが、もうそんなことも望めない。

 それでも今年、ある意味懲りもせず、カードとちょっとしたプレゼントを送った。プレゼントはクリスマス仕様の小型のクッキー缶で、宛先は施設である。

 施設からは当初、食べ物を送ってもいいが特定の人だけに食べさせられるわけにいかないので「入所者の皆さんへ」という扱いになる、と聞かされ、それはそうだろうと納得していた。しかし先だっての帰省で毎日のように面会に行き、あるとき「皆さんへ」とお菓子を差し入れした際、職員さんから「個人のお菓子があればとっておいて、おやつのときにあげますよ」と声をかけられた。

 ならば、と思い立った。「皆さん」にとお徳用袋のお菓子をいくつか、それとは別にミヨ子さん宛てのカードを添えたクッキー缶を用意したのだ。職員の皆さんには、お昼休憩用のカップスープを添えた。

 それらを段ボール箱に詰め、いちばん上に職員さん向けのカードを置き、ミヨ子さん宛てのお菓子はおやつのときに個別にあげてくださいとお願いも書いて、施設宛てに発送した(厳密に言えば、「信書」を小包や宅配便に入れてはいけません)。12月上旬のことである。

 施設からは「届きました」という一報はあった。ただしそれはわたしがお願いしたもので、そもそも送り状の追跡番号から配達履歴がわかるのだが、受領確認ついでにミヨ子さんの様子を教えてもらいたかったのだ。

 電話をかけてくれた職員さんは、「お母さんはお元気ですよ」のあと、食事は相変わらずちゃんと摂れていること、車椅子から立ち上がろうとするが脚力が弱いのでうまく立てない、といったことを教えてくれた。もちろん――と言っていいと思うが――「電話をお母さんに代わりましょうか」という流れには、ならなかった。

 ミヨ子さんが入所してから、わたしは週1回ペースで絵はがきを送っている。小さなスペースにはありきたりのことしか書けない。帰省したあとも途切れないように絵はがきを送り続けていて、このささやかなクリスマスプレゼントが届いたあとの絵はがきには「クリスマスのお菓子を、おやつでもらっていることでしょう」と書き添えた。当然だがミヨ子さんから返事はなく、わたしが一方的に思いをぶつけているに過ぎない。

 今年のクリスマスはこんな感じで終わった。あるいは来年、それ以降もこうかもしれない。

 直接会いに行くか、運よくビデオ通話でもさせてもらえる機会以外、自分の母親との双方向のコミュニケーションはもう叶わない。さまざまな手段を考えて思いを伝えてもすべて一方通行で、ときどき、神仏に祈りを捧げているような、修行しているような気持ちになる。

 世の中の皆さんにお伝えしたい。親が施設に入るということは、こういうことです。

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