文字を持たなかった昭和332 梅干し(4)梅の実の下漬け
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところは保存食品として手作りしていた梅干しを取り上げることにして、庭の梅の木から梅の実を落とした作業、落した梅の実について書いた。
続いて下ごしらえ。
インターネット上で手作り梅干しのレシピを見ると、カビが生えないよう洗った梅はきれいに水気を拭き、ヘタは楊枝などで取り除く、とある。ミヨ子たちはヘタを取り除くことなどなかったし、1個ずつ水気を拭くようなこともなかった。なにぶん自家用として大量に漬ける梅干しなので、あまり手をかけていられない。ただ洗ったあとの梅の実は、ザルの中で上下を入れ換えたりしてできるだけ水気を切った。表面の水分を乾かすために、一昼夜くらい置いたかもしれない。
梅の実の支度ができたら、下漬けだ。
大きな甕に塩を振り入れ――これは消毒を兼ねていたはずだ――梅の実を入れていく。梅を重ねるたびに塩を振った。最後に梅の実が隠れるくらいの塩を振って重石を乗せ、そのまま台所の隅に1週間ほど置いておく。
梅や塩の分量は、よくわからない。取った梅は大きなザルに何杯分かあったので、10kgぐらいはあったかもしれない。塩分濃度は、最近のレシピでは20%未満がふつうのようだが、常温での長期保存が前提だから、ミヨ子たちが作る場合軽く20%はあったはずだ。どこの家の梅干しもそれはしょっぱいものだったから。
漬ける容器についても、ずいぶんあとになってから焼酎で消毒したり、清潔なポリ容器を使ったりするようになったが、せいぜいきれいに洗って乾かすぐらいで、特別なことをしていた記憶はない。強めの塩と梅の酸自体がばい菌を寄せ付けない、というのが経験から得た智恵だったのかもしれない。
重石も、洗いはするが取り立てて消毒したり、ビニール袋で覆うようなことはなかった。重石にする石はいつも同じで、梅の酸が浸みこんで自然に消毒されていた、のだろうか。
そうやって重石を載せた梅からは、塩分の濃い水が上がってきた。これをミヨ子たちは「梅酢」と呼んでいた。梅が浸るくらいの状態に酢を調整し(容器などに取り除き)、軽い重石い取り替えて下漬けを続けた。
《主な参考》
自家製 梅干しの作り方 | やまむファーム (ymmfarm.com)
※「やまむファーム」さんには、スイカ栽培に続きお世話になります。
