文字を持たなかった昭和 五十七(二回目の出産)
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昭和35(1960)年の新年が明けてほどなく、ミヨ子は臨月を迎えた。出産予定日が近づくと、町で唯一の産婦人科H医院に入院した。ミヨ子たちが住んでいた農村では、産婆さんを呼んで自宅で出産するのがまだまだ当たり前だった時代のことで、姑のハルは「お産は病気じゃないんだから、病院に行く必要はない」と考えただろうし、周囲の先輩お母さんたちは「お産のために入院するなんて」と噂したことだろう。
しかし最初の子供をお産のときに死なせてしまったことを、ミヨ子も夫の二夫(つぎお)も悔やんでいた。
「もっと慎重になるべきではなかっただろうか。もっと手当ての手段があったのではないか」
その気持ちが、当時の集落では珍しかった「病院での出産」を選ばせた。
2月6日、ミヨ子は清潔な病院で、信頼している医師や看護婦の立ち合いのもと出産に臨んだ。自宅から離れた病院での出産に、父親になる二夫が立ち合っていたとは思えない。そもそも当時はお産に男性が立ち合うなど考えられなかっただろう。家には電話もなかったから〈62〉、赤ん坊の誕生をいったいどうやって知ったのか。あるいは、心配で毎日病院に通ったのかもしれない。
出産後病院に赴いた二夫は、無事に生まれた赤ん坊を抱かされて、喜びの前に心底安堵したことだろう。二夫の腕の中には小さな小さな男の子がいた。
〈62〉ミヨ子たちが住んでいた町で一般家庭に電話が普及するのは、昭和45(1970)年頃のことだ。
