文字を持たなかった昭和 七十六(田植え、その一)

 田植えの準備まで書いた。本項に書く田植えは、手植えだった頃の様子だ。わが家の場合、昭和40年代の半ばくらいまでだったと思う〈73〉。

 田植えの前日あたりに、二夫(つぎお。ミヨ子の夫、わたしの父)は田んぼに張った水の量を前もって確認していた。少ないようなら用水路の堰を調整して水を入れた。苗代からは植える分だけの苗を取って来て――田んぼは何枚もあり、全部の田植えは一日で終わらなかった――植える予定の田に移しておくのも二夫の役目だった。

 田植えが始まる前に、移してきた苗を大きなまとまりに分け――一つの直径は10センチぐらいだっただろうか――田んぼのあちこちに適度に配置した。田んぼの端から植えていくのに、進行方向前方に苗が置いて(ばらまいて)あるほうが効率がよいからだ。

 よく「段取り八分」という。段取りがよければ仕事の八割は仕上がったようなものだ、という意味で使われる。田植えも――他の農作業も――、効率を考えた準備がどれくらいできているかが「勝負」なのだった。

 水を湛えた田んぼに、植え手が揃う。植え手は、家族はもちろん、田んぼの広さや他の家の田植えのスケジュールを考えた上で、親戚や近隣から手伝いをもらった。

 植え手が畦からそれぞれ田んぼに入る。手には苗の束を持っている。まず一列目。束から細い苗を数本取って、泥状の田に植える。植えるというより差し込むのだが、水に隠れた土の中にしっかり差し込まないと、田の水に押されすぐに倒れて二度手間になるので、力を入れて押し込む。一つの列で一株ずつ植えるのではなく、左右の何株も植えていく。

 植えるのが遅いと全体の効率に影響するため、子供など作業が遅い人の場合、左右の人が余分に植えてくれるのが常だった。子供だったわたしは一生懸命植えても大人の速さには到底かなわない。それでも大人たちは「二三四ちゃんは植えるのが上手だね」「もう少し深く植えて」などと声をかけてくれながら、ときにわたしの分まで植えてくれたものだった。

 植えるときは、苗の並びをきれいにするため――稲と稲の間に適度な間隔を保ち、日光や栄養、風の通りが十分になるようにするためであり、稲刈りをしやすくするためでもある――目印用の細いロープが一本横に渡されていた。両端には杭が括られており、ロープ本体には等間隔にそろばん玉のような赤い印が付けられていた。この赤い印を目安に苗を植えていくのだ。ひとつの列が終わるとロープを前に移動させ、次の列を植えていく、という手順である。ロープの移動は、田んぼの両端で田植えをしている人、だいたいは男性が担当し、一列が植え終わる頃を見計らって、互いに声をかけながら杭を抜き、前に移動させる。

 あとで考えれば、一列ごとにこれをやろうとすると幅の広い田んぼでないと効率が悪い。幅が広くない田んぼの場合は、数列分の間隔を見越して移動させ、「〇列植えてくれ」と声をかけていたのかもしれない。

 いずれにしても植え手は、ロープの赤い印をたよりに、手元の株から苗を取って植えていった。手元の苗の束がなくなる頃には、前もって田んぼのあちこちにばらまいてあった苗から適当な量を取って、田植えを続けた。補給する前に手元の苗がなくなったら、左右の人のどちらかから分けてもらった。
 かように作業のすべては連携プレーだった。

〈73〉わたしの子供の頃の記憶から綴っているので、事実誤認や理解違いがあるかもしれない。

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