文字を持たなかった明治―吉太郎49 一人息子
明治13(1880)年鹿児島の農村に生れ、6人きょうだいの五男だった吉太郎(祖父)の物語を綴っている。
昭和の初め、中年の再婚どうしで家庭を持ち、妻ハル(祖母)、ひと粒種の男児・二夫(つぎお。父)と三人暮らしの吉太郎は、働き者であると同時にかなりの倹約家だった。働き者のハルの支えもあって田畑や山林は増えていき、近隣でも「分限者」(ぶげんしゃ)と呼ばれるようになっていくが、吉太郎自身はぜいたくとは無縁、楽しみと言えば煙管(キセル)でタバコを一服するくらいのものだった。
もちろんいちばんの楽しみは、二夫の成長だったことは想像に難くない。なにぶん一人息子、一粒種なのだ。多産が当たり前だった昭和の初め、子供が一人しかいない家庭は極めて稀だった。もしそれが女の子だったら「いずれ養子をもらおうか」という話になり、子供が幼いうちに親戚か知り合いに婿取りを打診していたかもしれない。
しかし一人とは言え男の子がいるのだから、適当な時期にしっかりしたお嫁さんをもらい、孫を何人も産んでもらえれば、「先々までわが家は安泰」と吉太郎夫婦が考えたとしても不思議ではない。逆に言えば、二夫には「万が一」があってはならなかった。
だから吉太郎は二夫を溺愛した。――小説ならこう展開するのかもしれない。しかし五男だった吉太郎自身、親からたくさんの愛情を注がれて育ったとはとても言えない。むしろ、「放っておいても子は育つ」を地でいくような育ち方をした部類であったはずだ。親としてどう息子に向き合えばいいのか、よくわからない以上に、あまり考えたこともなかったのではないか。
一方、ハルのほうは高齢出産で恵まれた息子を、それはそれは大事にしていて、どこへ行くにも連れ歩いた。そのあたりはいずれハル自身について書くときに詳述したいが、結果的に、二夫に関することはハルに任せきりになっていく。
二夫が小学校に上がるとき、さらに上の学校に上がるときなどの節目で必要になる出費、それに学用品などのこまごました支出も、ハルに任せきりだった。というより、そんなものにお金を出す気は、吉太郎にはさらさらなかった。無学の裸一貫から土地を買い広げてきた吉太郎にとって、お金とは貯めておいて財産、つまり土地を増やすためのものであり、学問や教育の重要性など無縁のことで、理解する気もなかった。
だからハルは、いつものように野菜や味噌を売ったお金を貯めて、それらを賄った。幸いなことに二夫は、同じ年ごろの子供の中でそれほど大きくはないが、丈夫で、運動も学校の勉強もよくできた。体が丈夫なのは吉太郎ゆずりだろう。勉強が好きなのは、お話を語って聞かせるのがうまいハルの影響だったかもしれない。二夫が学校で褒められたことを話すと、ハルは目を細めて聞き、自分の息子のできの良さをわがことのように喜んだ。
ともかく、この一人息子は吉太郎夫婦にとって孫、曾孫、すなわち「家」の未来へつながる大事な存在だった。
