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つぶやき ポンカン原木①

 帰省のついでに屋久島まで来た。位置関係からも費用からも、ついでに立ち寄るというような場所ではないのだが、ここはどうしても鹿児島が起点になるので、帰省とセットにしないともったいないのも事実。

 屋久島は3回目で、前回から5年以上は経っている。主な目的はここに住む叔母に会うことだが、当然いろいろな場所も訪れてみたかった。

 そのひとつが、日本のポンカン栽培の始まりとなった原木を見学することだった。

 日本でのポンカン栽培の起源は明治29年(1896)年。初代台湾総督樺山資紀が、ポンカンの苗木を郷里鹿児島に送ったことに始まる。

 台湾から持ち込まれたポンカンの苗は各地に移植されたが、うまく育たない。そんな中、屋久島と台湾の気候が似ていることに着目した人物が、大正13(1924)年に台湾からポンカンの苗を取り寄せ、この地で試験栽培を始めた。

 それが黒葛原(つづらはら)兼成氏。鹿児島県内の小学校で校長を歴任後、台湾の小学校でも校長を務めたあと、下屋久村(当時)の村長になった人物だ。

 氏は台湾勤務の経験から、ポンカンは屋久島でならうまく育つのでは、と思ったのだろう。

 まるっきり順調だったわけではないだろうが、結果的に屋久島でのポンカン栽培は軌道に乗り、屋久島はポンカンの一大産地として名を馳せるようになる。

 やがて鹿児島の本土でもポンカン栽培が始まり、それまでミカンを作っていたわが家もポンカン栽培に切り替えたことは、以前nioteで触れた。

 温暖化も手伝って、ポンカンの生産地は北上を続け、主産地はいまや四国辺り、本州でも栽培されていると思う。

 一方屋久島は、パッションフルーツなどのトロピカルフルーツの生産に傾斜しているが、ポンカンはまだまだ重要な産業らしい。というか、過去の名声を引き続き利用している印象ある。

 ともかく、日本のポンカンのふるさとと言っていい屋久島で、ぜひその原木を見学したかった。それは、わが家の農業経営の歴史を振り返ることでもあり、ポンカンを切り口に日本と台湾の関係について考えることでもあった。(へ続く)

※写真は黒葛原兼成氏の顕彰碑。

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