ひと休み(軍手)
ミカン山の開墾について書きながら思い出した。わが家のことではなく、朝ドラについて。ちょっと寄り道します。
NHK100作目の連続テレビ小説として大々的に宣伝、放映された『なつぞら』(2019年前期)は、前半北海道が舞台。ヒロインは東京生まれの戦災孤児だったが、戦死した父親の戦友に引き取られて北海道へ渡り、酪農を営む戦友一家に迎え入れられる。そこは祖父が単身開拓民として興した家で、仲間と協力して荒れ地を開墾し、苦労の末地域を代表するほどの酪農家になった。まだ幼いヒロインは、一家を手伝って乳牛の世話や乳しぼりを覚えていくなかで、祖父とも心を深く通わ合うようになる。
北海道の風景の中での、戦後間もない頃の酪農家の仕事や生活が描写され、ヒロインと祖父の心の交流も見どころのひとつだった。
ただ、たまに「当時はそうじゃなかったのでは?」と思うシーンがあった。代表的なのが「軍手」である。
農作業中のヒロイン(子役も成長後も)は軍手をはめている。祖父もほかの農民も軍手をはめている。ヒロインが北海道に渡った設定の終戦直後でも、北海道の農家は軍手を常用できるほど経済的余裕があったのだろうか。
と考えながら視聴していたら、若かりし頃の祖父が荒野を開墾していたシーンでも、開墾に参加していた農民がみな軍手をはめていた。時代設定はおそらく明治の半ばからせいぜい後期だと思うが、当時軍手があっただろうか? あったとしても、経済的余裕がなかったであろう開拓民が購入できたとは思えないが。
開墾の話に書いたように、わが家では農作業で軍手を着けることはあまりなかった。わたしが人並みに容姿を気にし始めた頃(昭和40年代終わりから50年代)には、両親が「女の子だから軍手を使いなさい」と言ってくれたが、軍手越しには細かい作業がしづらかった。そもそもそれが大きな理由で、両親はあまり軍手を使いたがらなかった。まして祖父母の時代は素手一本やりだった。
気になったので、軍手の歴史について調べてみた。元々は軍隊用手袋(それゆえ略して軍手)で、主な目的は防寒用、長らく指の部分は別縫いで縫製に手間がかかるためとても高価だったらしい。量産されるようになるのは、指の部分が半自動製造できるようになる1950年代のことで、まだ手首にゴムは入っていなかった。1960年代に入ってようやく手首にゴムが入り、1965年に指まですべてニット編みの全自動化が確立と、製品や製造法が徐々に進化していき、いまのスタイルになる。そして一般人にも軍手が普及するのは1970年代に入ってから、だそうだ。
それ以前の軍手はやはり高価で、使いやすくもなく、汚れたり破れたりが当たり前の農作業に、一般の農家が気軽に使えるようなものではなかったのだ! まして子供用の軍手など、手作りでもない限りあり得なかっただろう。
ただし、『なつぞら』の農作業の舞台は北海道。防寒用に手袋は必要だったかもしれない。開墾シーンは寒い季節ではなかったと思うが、「手作りの手袋を着用していた」と思うことにするか。
《参考》
軍手の歴史 | エスエス産業株式会社
日本の武士が起源⁉︎ 軍手の歴史から知る! 日本のものづくり | はたらく服と道具とクロスする。 (hataraku-fuku.com)
