文字を持たなかった昭和 二百三十五(冬の仕事――高菜の収穫)
昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たち家族の冬の暮らしぶりとして、ニンジンの収穫と、その料理について書いた。
とても、というほどではないが比較的温暖な、鹿児島の東シナ海側の冬。霜が下りる頃も収穫できる野菜があった。そのひとつが高菜である。
高菜と言えば漬け物としておなじみだ。というか、漬け物以外の高菜料理はあまり聞かない。それはミヨ子たちが住む地域でも同じだった。
高菜は大きく厚く地面に広がった状態のものを収穫する。葉物とは言ええけっこうな重さである。しかし、時季を逃さず収穫することで、1年分の高菜の漬け物が確保されるのだ。ミヨ子たちは、農協に出す野菜を育てる傍らで高菜も植えてきた。
抜いてきた高菜はきれいに洗い、水分があらかた抜けて葉の緑色が褪せるくらいまで日干しする。漬け込むのはそのあと、漬けるとき加えるのは塩だけだ。短期間漬けてまだ残る緑色とパリパリした歯ざわりを楽しむのもいいが、長く漬けておくうちに高菜本体が持つ乳酸菌のおかげでほどよく醗酵し、なんともいえない酸味が生まれた高菜漬けも味わい深いものだ。
霜が降りて少し焼けた状態で収穫した高菜も、漬けてみればそれはそれでおいしいものだった。ミヨ子はそのときどきの高菜の状態、手を掛けられる時間によって使い分け、漬け分けた。
しかし見た目はあくまで地味である。幼かった二三四(わたし)たちは、どうせ漬け物になるのか、と内心思いながら高菜を洗ったり漬けたりする手伝いをするのだった。
