文字を持たなかった昭和 六十八「こどい(鹿児島弁)」
昭和30年代後半、母ミヨ子たちの集落でも農作業の機械化が進んでいた。
田植えに向けた田起こしなど農作業の各所で、機械を動かしづらい作業は人の手に頼らざるを得ない、と書いた。機械操作担当は夫の二夫(つぎお)なので、こまごまとした作業――雑役と言っていいかもしれない――の多くは、当たり前のようにミヨ子に回ってきた。
田畑での雑役をミヨ子たちの地域では「こどい」と呼んだ。おそらく「小取り」であり、細かい作業を取り扱うという意味だと思われる*。「こどい」の多くは女性たちが担った。場合によってはまだ働ける老人や、ある程度成長した子供たちも受け持った。
重いものを持ったり、機械を動かして広い面積を耕したりと、重労働だがある意味見栄えのする中心的作業は男たちが担い、女たちは作業を進めやすくする準備や後片付け、作業用具を手渡したりの補助、畦周りや角地に鍬を入れて全体の仕上げを均一にすることなど、あらゆる雑務に目配りした。中心となる作業の進行に合わせる必要もあり、センスが要ったはずだ。「こどい」が遅れて二夫の機嫌が悪くなることもあった。
もっとも、だから農作業の現場も男性中心、と単純に断言はできなかったのではないか、とも思う。作業に携わる人たちがお互い目配りしながら、進捗や分担を調整しあうことで、効率が上がり疲労が軽減された。ある意味以心伝心、日本的コミュニケーションは長い長い時間をかけてこうして出来上がっていったのかもしれない。
もちろん、農作業を終え、帰宅後に食事の支度をするのはほぼ例外なく女性だった。ただ、わたしが見ていた限りでは、家事にかかる分ミヨ子が田畑に出るのは遅く、帰りは早めだったし、よその農家も似たり寄ったりだった。
*インターネットの鹿児島弁辞典サイトでは「手伝い」としているものもある。
