文字を持たなかった昭和 二百十九(ミカンの思い出)

 ミカン収穫のついでにミカンの思い出を。

 ミカン摘みの合間には、できばえの確認を兼ねて実を食べてみることもあった。皮に傷があったり、形が悪かったりするミカンは、いくらでも食べてよかった。見栄えが悪くてもおいしいミカンもあったが、見た目のほうが重要視された。

 ミカンの収穫の時期から冬の間、ミカンは家の納屋にいつでも、たくさんあった。おやつにも食後にもミカンを食べた。下手すると手が黄色くなるほど、ミカンには不自由しなかった。

 だから、二三四(わたし)が大学進学を機に家を出て、北九州市の街中やスーパーで売られているミカンを見たとき、その値段に驚いた。
「とても気軽には買えない。買ってもたくさんは食べられない」
つまり、実家にいた頃はいかに豊かな食生活を遅らせてもらっていたか、別の言い方をすればいかに守られていたかを実感した。

 母ミヨ子はまた違う感慨を持っていた。戦前、三度の食事も十分と言えなかった子供時代、果物はぜいたく品だった。まれにミカンをもらうことがあっても、少しカビていたり痛んでいたりした。そういうミカンの痛んだ部分を包丁で切り落として、あとの「大丈夫そうな」部分をきょうだいで分け合って食べた。もちろん、食べ物を粗末にしてはいけないという躾からでもあったが、それよりも食べるもの、食べられるものの量も種類も少ない暮しだった。

 ミカンなどの柑橘は青カビが生えやすい。一部がカビるとあっという間に広がる。カビて食べられなくなったミカンを止むなく処分するとき、ミヨ子は
「せっかく作ったのに、もったいないけどね」
と何かに言い訳するよう呟くのだった。

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