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心を閉ざしていた私に『生きる力』をくれた、奇跡の歌。

「優勝は3年9組です!」


体育館に響いたその瞬間、クラスメイトの歓声と涙がいっせいに溢れた。

私は天井を見上げ、こらえていた涙をそっと流す。


ひとりぼっちだった私が、誰かと“心を重ねる”なんて思いもしなかった。


でも、合唱曲『心の瞳』は、私に「生きててよかった」と思える瞬間をくれた。

あの歌は私の心の奥で、今も静かに響き続けている。



◆中学生時代の孤独


中学時代の私は、自分の居場所を見つけられずにいた。

中学生の頃、私はクラスメイトから容姿や行動を笑われたり、からかわれていた。
いわゆる、いじめだった。

もちろんクラスの輪の中には入れず、昼休みはいつも図書室の片隅やトイレで1人で過ごす毎日。

階段や廊下を何となく歩き、いかにも『どこかに向かう人』を演じて、長い長い休み時間をやり過ごす方法を探すのに必死だった。


「友達が欲しい」「寂しい」という感覚はなかった。

ただ一人でいる自分を誰かに見られることが…
自分をそういう存在だと認識することが、
とてつもなく恥ずかしく惨めだった。


家に帰れば、両親は仕事や家のことでいつも余裕がなく、私の小さな心の声には気付かない。

公務員の父と大手企業に勤める母のもとに生まれた私は、一見すると、何不自由ない幸せな家庭で育ったように見えただろう。


しかし、幸せなんて感じたことはない。

両親からの『過度な期待』が、まだ15歳の私に重くのしかかり、押し潰されそうな日々。

できなかったことばかりを注意されて、何かを褒めてもらった記憶は、いまだに思い浮かばない。


「何があったの?」
「今日はどうだった?」
そんな風に、私の気持ちに耳を傾けてくれたら…
と思ったこともあった。

でも現実には、親の期待に応える『優しい優等生』を演じるしかなかった。

自分の心を話せる空気なんて、そこにはひとつもなかった。


誰かが悪い訳ではない。
でも、誰にも本当の自分を見せられない。

そんな風にして自分の感情に蓋をしながら、毎日を過ごした。


それは私にとって、『生きている』というより──
『死んではいない』
ただ、それだけの感覚だった。


◆「心の瞳」との出会いと、気持ちの変化


合唱コンクールの練習が始まったのは、そんな日々の中だった。


あれは中学3年の秋。

前年の合唱コンクールで全校優勝を果たした私たちのクラスは、合唱コンクールにかける意気込みが違っていた。

いやいや、私たちではない!
担任の先生だけが、現代で言う『KY』──
そう。まるで空気を読めない変わり者のようだった。


ある日の学活、担任がラジカセを片手に登場。
そしてこう言った。

「今回の曲は『心の瞳』でいこうと思う」


『心の瞳』は坂本九さんの名曲。
この曲の発表から約3ヶ月後、坂本九さんは日本航空墜落事故で亡くなられたため、坂本さんにとっての最後の曲である。


ラジカセから流れる音楽をクラス全員で聴いた。

ゆっくりとした綺麗なメロディに乗せて、愛に満ち溢れた歌詞が響き渡る…
私には到底似合わない、とても素敵な曲。

クラス中が「すごくいい歌!」と絶賛した。
しかし、自分が聴いていた曲はいつも、失恋ソングや悲しい歌ばかり。

「こんな綺麗な歌、私みたいな人間が歌うなんて恥ずかしい」
「人前でなんて絶対歌いたくない」
と本気で思った。


合唱コンクールの練習が始まった当初、私はできるだけ目立たないように、声を抑えて歌っていた。

「また今年も、なんとなく終わるんだろうな」

そんな風に、どこか他人事のように思っていた。


しかし、そんな私の気持ちはあっさりと裏切られる。
担任は、松岡修造さん張りの熱い気持ちで合唱コンクールの練習を始めた。

『合唱コンクールまであと◯日』カレンダーを手作りするなど、気合いの入り方が違う。

「気合いだ〜!」なんて、今の時代とは逆行しているような熱量で私たちに挑んできた。
体育会系にも程がある!


私は、多分他のクラスメイトたちも…。
誰から見ても明らかである絶対的な温度差に、
「面倒だな」と感じていたことだろう。

でも担任はそんなことは全く気にしない。
とにかく必死だった!


朝の会・帰りの会には必ず教室で合唱。
担任からOKが出るまでそれは続いた。

本人の実力よりも声が小さいと感じれば、大きな声を出せるように。
様々な策を使っては声を掛け続け、時には厳しく、時には笑わせながら。

とにかく、私たちのやる気を引き出そうとすることに必死に見えた。


そんな、ある日の放課後。

体育館に響いた、あるクラスメイトの真っ直ぐな歌声が、私の心を静かに揺らした。
そして胸をぎゅっと掴まれたような感覚になった。

それは特別に上手いわけではない。
けれど、不思議とまっすぐで、温かくて、
心に染み渡るような声だった。


その不思議で綺麗な歌声は、少しずつ他のクラスメイトの心にも鳴り響き、1人…2人…と声を出す子が増えていったように感じた。

「みんなで歌うってこんな感じなんだ」──


初めて味わった感覚。

そして、その日から少しずつ「声をだしてみようかな」と思えるようになった。

それが、なぜなのかは分からない。

ただ、小さい頃から自分の気持ちを表現出来なかった私は、昔から歌を聴くのが大好きだった。

歌詞に自分の気持ちを重ねて、自分の思いを表現したような感覚になり、淋しさや苦しみを紛らわしていたのだろう。


愛なんて全然分からなければ、感じたこともない。
感情移入など、到底出来るはずもない。

でも歌ってみれば何かが変われるかもしれない!

ネガティブに支配された私が、少しだけポジティブな気持ちになり…

『よし、歌ってみよう!』

思い切って声を出してみた。


当時の私にとって、注目を浴びる事は顔中から火が出るほど恥ずかしかった。

しかし、今まで心にため込んでいた気持ちを吐き出すかのように──
勇気を出して大きな声で歌ってみた。

すると、思いもよらない出来事が起きた。


「いい声出してるな。ソプラノ、やってみろ」

担任のそのひと言に、私は耳を疑った。

…え、それって、私のこと?
信じられない。誰かの冗談じゃないの?

そう思って周りを見渡した。
けれど、クラスメイトの顔は怖くて見られなかった。

でも、確かに聞こえた。
あの言葉は、私に向けられたものだった。

私は、多分自分が記憶している中では初めて人に必要とされ、認められた気がして心の底から嬉しかった。

その日から少しずつ声を出せるようになった。
期待に応えようと、大きな声で楽しく歌うことだけを考えた。


授業中は人目が気になり発表もできない。
自分をブスで気持ち悪い存在だと思い込み、
自分の気持ちを心の中に押し込め、
ただ時間が過ぎるのをじっと耐えていた私が…
人前で歌っている。

もちろん、それを見て笑う同級生もいた。
でも気がつくと、そんなことはどうでもよくなっていた。

私はただ『自分が何かの役に立っている』という事実が嬉しく、たまらない幸せを感じた。

いつしか私は「この歌を歌って優勝したい」と思うようになっていた。


◆心を重ねた奇跡


そんな日々の中で、もうひとつ、小さな奇跡が起きた。

「あなたの隣なら、自分も思いきり声が出せる気がする」

そう言って、あるクラスメイトがそっと近くに来てくれた。
すると、まわりの子たちも「それ、いいね」と笑顔でうなずいてくれた。

誰かに必要とされるなんて――
その時、心の奥にふわりと、あたたかいものが灯った。


あるクラスメイトの歌声が、私の心に静かに染み込んだ。
それはやがて、他の人の心にも広がっていき──
いつの間にか、みんなが私を必要としてくれていた。

その時の気持ちを、なんと表現すればいいのだろう。
どんな言葉を並べても、きっと足りない。

もし、ひとつだけ言葉にするなら──
それは、心がふんわりと温かくなるような感覚だった。


私は、担任やクラスメイトの期待に応えたくて、自分の声をめいっぱい響かせた。

それは自分が初めて「生まれてきてよかった」 と感じた瞬間だった気がする。


練習のたびにクラスの雰囲気が柔らかくなっていくのを感じた。

『心の瞳』のメロディに自分の声が自然と重なっていく。
誰かと一緒にいるのに、心が苦しくない。

気が付くとほとんどの生徒たちが、個々の声色を出すようになっていた。

もちろん歌を嫌がる子もいたけれど、周りの仲間が優しく声をかけ続けることで、少しずつ心を開きはじめた。


そんな高視聴率の学園ドラマのような光景を目の当たりにして、熱血担任がだまっているはずがない!

練習方法も日を追うごとにレベルアップ。

職員室の前、玄関のホール、サッカーグラウンド…あらゆる場所で歌った。
他クラスの生徒たちが笑いながら通り過ぎる。

一番嫌だったのは、全校生徒の下校時間に、校門の前に整列させられて歌ったこと。

外なので声が響かない。大きな声を出さないと帰れない。
全学年の生徒が行き交う中での合唱は、本当に恥ずかしかった。


今だったら、SNSで炎上してるかもしれない。
でもあの頃は、そんな“昭和のノリ”も、まだギリギリ許されていた時代だった。

思えば、ちょっと緩かったあの空気が、私たちにはちょうどよかったのかもしれない。

ただ、それまでは人目ばかり気にしていた自分が、みんなと一緒にいることで不思議と緊張感も和らいだのを覚えている。


同級生たちは「恥ずかしい~!」「嫌だ~!」と叫んでいた。
だけど、なぜかみんな楽しそうだった。

ただ早くその場を去りたかった気持ちもあったかもしれないが、みんながお互いに声をかけ合った。

「頑張ろう!」
「ここはこうした方いいよね!」
「もうちょっと声出せるかも!」
「本番みたいな気持ちで歌おう!」


初めは「面倒だな」とみんなが思った。
たかが合唱でこんなに熱くなる担任を「バカっぽい」とすら感じていた。

しかしその時には、私たちの頭の中は「優勝」の二文字だけとなり、みんなが同じ目標に向かっていた。

ダルそうに歌っているフリをしていた、いわゆる目立つグループのカッコつけ男子も、最後は担任の熱意に負けた。

一生懸命頑張ることを「ダサい」「格好悪い」と感じやすい思春期の男子が歌うテノールとバスが、体育館全体に低く深く響き渡り、他のどのクラスよりも力強く繊細で綺麗だった印象がある。

そんな男子の歌声にリードされたことで女子の心に安心感が生まれ、ソプラノとアルトは綺麗で美しい声色を響かせることが出来た気がする。


本番の日。
ステージに立った時、緊張よりも「このみんなと歌いたい」という気持ちが強かった。

最後のフレーズを歌いながら、私は涙をこらえるのに必死だった。


そして私たちは2位に圧倒的な差をつけて全校優勝を果たした。


担任の自己満足にも近い状況から始まった合唱コンクールの練習。

ある生徒の歌声が他の生徒の気持ちを動かし、それがまた他の誰かに広がっていく。

最後にはみんなで同じ方向を向き、ひたむきに頑張った。間違いなくあの瞬間は心が一つだった。


誰かと気持ちが一つになる事で、想像以上の力を発揮する。

そして一つになる事で仲間意識が生まれ、それぞれの心の中に宝物のような思い出ができる。

その宝物を持つ40人が合唱する歌声が、聴いている誰かの心を動かす…

まるで教科書通りのような、後にも先にも二度と経験できないような、貴重な体験だった。


あの頃の私は、自分の過去に自信がなかった。

誰にも本音を言えなかったことも、何もできなかった日々も、全部「なかったこと」にしたいくらい苦しかった。

でもこの歌詞を歌っていると、不思議と
「それでもちゃんと歩いてきたよ」と、背中を押してもらえているような気がした。

涙をこらえながら歌いきったあの瞬間は、私の人生で一番輝いていた時間だったように思う。


孤独を感じると、私はいつも心を閉ざし人を遠ざける。

だけど、救いの手を差し伸べられずに暗闇にのみ込まれそうになった時、あの時の一体感を感じたくなる。

そんな時は「心の瞳」を聴いて、中学生の頃の私に戻る。


もちろんほとんどが辛い経験だけれど、
ただ一つ──

あの瞬間だけは「ひとりじゃなかった」と思える。

そして、その経験があったからこそ、残りの中学生活を楽しく過ごせたと感じている。


数ヶ月後に卒業を控えていたあの日。

この先、別々の人生を歩み出し、もう二度と会うことがない人もいるだろう。

そんな私たち40人に担任が伝えてくれた、少し早いはなむけの言葉だったのかもしれない。


◆未来へと続く絆


高校に進学した私は『友達がほしい』と思えるようになった。

それは、きっと──
あの日の「認めてもらえた」という体験が、私にとって初めての“自信”になったから。
そのぬくもりが、「私は生きてるんだ」と教えてくれたからなのかもしれない。


もちろん、生まれ持った性格はそう簡単には変わらない。
でも、あのとき芽生えた気持ちは、少しずつ私の行動を変えていった。

子どもが初めて一歩を踏み出すように、
おそるおそるでも、たしかに前に進もうとしていた。


『友達なんて見た目のお飾り』。
そんなふうに思っていた私だったけれど、
固く閉ざしていた心の扉を少しずつ開いていくうちに、
1人、また1人と、友達が増えていった。

そして、今も私を支えてくれる「親友」にも出会えた。


その出会いが、私に教えてくれた。

『人を信じること』
『自分を愛すること』
『未来に希望をもつこと』


それが、こんなにも大切なことだったんだ。


私はようやく気づいた。
「本当は、寂しかったんだ」と。

そして、ほんの少しだけ──
自分のことを「好き」だと思えるようになった気がする。


自分を否定ばかりしていた私にとって、
深い愛にあふれた歌詞を口にするのは、
本音を言えば、居心地が悪かった。

歌詞の意味も、当時の私にはまだよくわからなかった。

でも、当時は受け入れられなかった、その愛に満ちた歌が──
気づけば、私のその後の人生を支える光になっていた。

15年生きてきたことも。
あの頃の私が、どんなふうに歩いてきたかも。

すべてが無駄じゃなかったと、
40歳を過ぎた今、ようやくそう思えるようになった。

家族への愛、友達や仲間への愛、同僚や上司への愛、自然への愛、歌への愛…


『愛することは永遠である』ということも──


誰にも届かないと感じる日がある。

人生の暗闇に飲み込まれそうな時は、どうか一度、立ち止まって振り返ってみてほしい。

孤独に思えた道の中にも、きっとあるはず。
誰かと心が通じ合った瞬間や、そっと背中を押された記憶が。

それは、あなたを支える“生きてきた証”になる。

あの日、私が声を重ねてそう感じたように──
未来のあなたにも、また出会えるはずだから。

私は信じている。

変わり続ける世界の中でも、変わらない絆は、きっとあると。


当時は全く交わらなかった同級生たち。
人生の旅の途中で再会し、
今でも交流している人たちがいる。

あの頃は心を通わせられなかったけれど、  
時間が経ち、ようやく「心で見つめ合う」ことができるようになったのかもしれない。

今なら、あの頃とは違う絆で、つながれる気がしている。


坂本九さんが『妻や家族への永遠の絆』を歌ったとされている愛に満ちたこの曲。

当時の担任の心を動かし、その行動がみんなの心や私の心を動かした。

そんな小さな出来事が、
気づけば、30年を越えて、私の人生を静かに照らし続けていた。

そしてきっと、これからも──
変わらず、そっと寄り添い続けてくれるのだろう。


あの頃の自分に、今の私が声をかけられるなら、こう言いたい。

「あなたは、ちゃんと誰かとつながれるよ。決して一人じゃない。」


────

今でも『心の瞳』を聴くと、胸の奥にそっと火が灯る。

あの日、みんなと重ねた声が、
今も変わらず、私の中で静かに響き続けている。

心を閉ざしていた私に、「気持ちを通わせることの尊さ」を教えてくれたこの歌は、
一生消えることのない、私だけの宝物だ。


「いつか若さを失くしても 心だけは決して変わらない絆で結ばれてる」


その歌詞のように、私たちはあの瞬間、たしかに心でつながっていた。

これから先も、きっと迷ったり、傷ついたりする日があるだろう。

それでも私は、『心の瞳』で誰かを見つめていたい。

あの日の歌声が教えてくれたように──

“つながること”は、生きる希望になるから。

この歌が、私の心の中でこれからも静かに響き続けるように──。

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