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今日を、どう生きるか

最近、言葉から少し距離を置いていた。

noteも、ほとんど開かない日々。
何かを書く余裕がなかった、というより、
日々をやり過ごすだけで精一杯だった。

仕事。送迎。
クラリネット練習の付き添い。
娘がインフルエンザになり、
そこに追い打ちをかけるような、この豪雪。

雪かきをしても、数分後にはまた雪の山。
車を出せば、前が見えなくなるほどのホワイトアウト。

同じことを繰り返しているだけのようなのに、
体力と気力だけが、確実に削られていく。

普段なら20分で着く職場まで、1時間。
渋滞の列に並びながら、
「人には、それぞれ無理の境界線があるんだ」
そんなことを、ぼんやりと思った。


先日、
去年まで一緒に働いていた方が亡くなった。
まだ50歳だった。

その知らせを聞いたとき、
胸の奥が、静かに凍った。

知り合いの娘さんは20歳で病気になった。
友達のお父さんは、
いつもの温泉の帰り道で事故に遭った。

人は、思っているよりずっと不確かだ。
1秒先のことは分からない。
明日が来ることも、
当たり前のようでいて、どこにも保証はない。

予定も、計画も、
「そのうちやろう」という言葉も、
簡単に置き去りにされてしまう。

だからといって、毎日を後悔なく、全力で生きればいいわけじゃない。
そんなふうに生きられる人ばかりではないし、
きっと、そうじゃなくていい。

人は、いつでも完璧にはなれない。
ただ、感じたことをなかったことにしない。
立ち止まった自分を、急かさない。

「感じることを後回しにしない」生き方を、選び直すこと。
それだけで、人生は少しずつ、形を変えていくのかもしれない。

書けなかった時間も、
動けなかった日々も、
どれも、私の人生の一ページなのだから。

思うように動けなくてもいい。
何も成し遂げられない日があってもいい。

それでも、
今この瞬間は、確かにここにある。


明日のことは分からない。

だからこそ、
今日をどう生きるか。
今日をどう扱うか。
どんな気持ちで、一日を終えられたか。

夜になって、
それを静かに思い出せたなら。

それだけで今日という日は、
ちゃんとここに存在していたのだと思う。


「今日をどう生きたか」という問いに、
はっきりと言葉にできない日があってもいい。

答えは、大きな決断の形をしていなくていい。

ただ、今日をどう過ごしたのか。
それを、自分だけが知っていればいい。

その感覚は、
今も、確かに自分の手の中にある。

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