見出し画像

色に性別なんてない──娘たちに伝える「みんな違っていい」

私の家族はLGBTQだ。
それを初めて知った時、驚きはなかった。

なぜなら、何となくそんな気がしていたから。
それならそれでいい。自分らしく生きているなら、それでいい。
私はただ、気づかないフリをして過ごした。


でもそれは、私の想像を絶するほど、
本人にとっては孤独で生きづらい社会だった。

「気づいていたのに…私にできることはなかったのかな」
と、私は自分を何度も責めた。

もしかしたら、私も受け止めるのが怖かったのかもしれない。

と同時に、「みんなが、もっと安心して生きられる社会であってほしい」と強く思った。


けれど現実には、まだまだ「普通」という枠から外れることに対して、無意識の偏見や、さりげない差別が存在する。

本人を直接傷つける言葉だけでなく、日常の中に潜む何気ない会話や価値観が、じわじわと心を削っていく。


たとえば、子ども服売り場で見かける「男の子は青、女の子は赤やピンク」。
おもちゃ売り場の「男の子は車、女の子は人形」という並び方。

大人には何気ないことでも、「赤は女」「青は男」という固定観念を、子どもに自然と刷り込んでしまう。


だから私は、娘たちに意識的に伝えてきた。

「色や遊びには、男の子用・女の子用なんてないんだよ」
「みんな、好きなものを自由に選んでいいんだよ」


娘がまだ小さかった頃。
ある日、青いTシャツを着て保育園に行った。
クラスの子から「男の子みたい」と言われ、戸惑った顔で帰ってきた娘に、私は話した。

「青は男の子の色って、誰が決めたんだろうね? 本当は、色に性別なんてないんだよ。好きな色を着るって、それだけで素敵なことなんだよ」

娘は安心したように笑い「じゃあ明日は赤い帽子と青い服を一緒に着ようかな」と言った。


私は、この小さな会話が未来を変える一歩になると信じている。

偏見や固定観念は、一度植え付けられると簡単には消えない。
けれど、子どものうちから「みんな違っていい」という価値観が当たり前になれば、やがてそれが社会全体の空気を変えていくはずだ。


LGBTQの人たちが、周りの視線や言葉に怯えずに暮らせるように。
そして、娘たちの世代が「性別」という枠にとらわれず、自分らしく生きられるように。

未来のために、私ができることは大きくはないかもしれない。
でも、日常で価値観を伝え続けること。
その積み重ねこそが、偏見のない世界をつくる土台になると、私は信じている。

いいなと思ったら応援しよう!

miyu いただいたチップは、noteや今後の活動、自己啓発のために使わせていただきます!応援していただけると、とっても嬉しいです!

この記事が参加している募集