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【創作大賞2024応募作:恋愛小説】 例えばそれが、違う世界の話なら

【登場人物】
*吉岡 ルイ 本編の主人公 
*佐々木 麻友 ルイの幼馴染 
*沢村 亜希良 ルイと麻友の先輩、ルイの義兄 
*香織さん ルイの義母
*由貴子さん ルイの大学の先輩
*衛(まもる)芽以 ルイのいとこ達

(あらすじ)
高校生のルイは父親の再婚によって兄ができた。その兄のことが気になる幼馴染の麻友、そして義兄の亜希良、それぞれの思惑が交差して近寄り、そして遠ざかる。
主人公のルイが高校二年生から大学を卒業するまでの、三人の恋愛ストーリー

(目次の入れ方がわからなくて読みづらくてすみません)

#創作大賞2024   #恋愛小説部門


 ****   ****   ****


 ディスプレイの中で、女の子が男の子に告白をしていた。
 放課後の学校の屋上、昼休み、晴天、購買のかじり掛けの菓子パン。
 焦る男の子の後ろには、身を隠すが丸見えの友達。これは女の子側も同じだろう。もしかすると、友達同士はこの事を事前に念密に打合せしてたのかもしれない。
 シチュエーションはばっちしだと思う。
 よくある一般的な光景。の、はずだ。でも、

 
『あなたが、すきです』

 そのことばが素直に言えたならどれほど良かったか。
 あなたの声、仕草、笑顔、そのどれもこれもが、好き、だったから。

◇◇◇

①「告白」

「ねぇえ、ルイ、ちゃんと渡してくれたんだよね?」

 授業が終わり、チャイムが鳴り終わる前から、パンを買うためか数人が教室から走るように廊下に向かった。教科担任は全く気にもしてないようで、今学期、いやこの学年での最後の授業だったのに、なんの挨拶もなく黒板を自分で淡々と消し始めている。今日の当番は誰だっけ?そんな事を考えながら、ノートと教科書をバッグにギュッと詰め込んで行く。

「え?何?」

 隣のクラスなのにいつの間に、麻友が机の前にしゃがみ込んで下から覗き込んできた。

「ねぇってば」
「なんの話?」

 そう言って立ち上がり、お弁当を食べる前に、手を洗おうと廊下へと向かう。

「何ってバレンタインのチョコレートよ!預けたよね?アキラ先輩に渡してって!」
と少し怒った顔をしながら、そのまま後を付いてくる。

 ああ、そう言えば、今日はホワイトデイだ。高二も、後一週間で終わる。本来なら、学年末考査が終わってからは自由登校になってはいたので、教室の中の生徒も疎ら。高二に進級した時に、文理でクラス分けをしたので、三年になっても、きっとこのままのクラス、同じ顔ぶれで持ち上がる事になる。ごく数名の文転の子らを除いて。

「渡したよ。ちゃんと」
「私からだって、言ってくれたんだよね?」

 確か赤いラッピングで包まれた、そこそこ大きな、高級ブランドのチョコレート。

「言ったよ、て言うか、麻友さ、手紙入れてたじゃん」

 赤と正反対の、真っ黒なカードに、わざわざ白いインクでツイ垢とLINE、それぞれのIDを書いて。

 そう言うと、手紙じゃなくて、カードね!って念押ししてくる。いやどっちでも同じでしょ。

「じゃあなんで何も言ってこないの?」
「そんな事言われても」

 どこぞのキャバ嬢でももう少しマシなカードを付けるんじゃないのか、と少し思った。

「今日さ、なんにも言ってこなかったら、どうする?もう時間ないじゃん!アキラっていつ上京するって言ってた!?」さっきまで先輩って言ってたクセに、急に呼び捨てか。

「さあ?」
「ちょっと!知らないワケないよね?ルイ、家族じゃん!」
「そうだけど、そんな細かいことまで知らないよ」

 ふんわりとカールされた栗色の髪の毛が、制服の紺色にミスマッチに揺らいだ。
 

 本当は知っている。何なら、どこのマンションに住むのかも。受験が終わって、大喜びだったアノ人が教えてくれた。とりあえずは一人暮らしなんだから、利便性が良くないとダメだからね、と。
 校庭からは午後の授業もないのか、部活のために来た生徒たちの歓声が聞こえだした。

 亜希良と家族になったのは昨年の夏だった。小六の時に母を病で亡くした後、男手ひとつで育ててくれてた父が、再婚したいけど良いかなと言って来たのは高校に入学して間もない頃だった。
 SNSで高校時代の同級生を見つけたこと。それからずっとネット上の付き合いだったが、その前の年、同窓会で再会したこと。聞いてみると同じ街に住んでいて、運命だと思ったこと。
 相手にも男のお子さんが居ること。母を亡くして以来、笑ってなかった父が嬉しそうにそう話すもんだから、こっちまで嬉しくなって、良かったじゃん。って素直に言ったと思う。

『良いのか?』
『ダメなワケないよ』

 そうして初めて四人で食事した日に、そのオンナの連れ子が、中学の時バスケ部に居た。ひとつ上の沢村亜希良だと知ったのだ。

「ねぇ、アキラくんてさ、本当に彼女とか?いないのかな?」
「は?彼女?」
「ルイならわかるっしょ?一緒に住んでんだし」
「居ない、と思うよ」
「好きな人は?」
「それはどうだか」
「そんな話とか、しないの?」

 机にお弁当を広げたら、麻友は「あ」と言って隣のクラスに戻って行った。と思ったのは束の間、自分のお弁当を引っ提げて戻って来たのだ。
 麻友とは幼稚園の頃からの腐れ縁だった。母親同士がいわゆるママ友だったので、小さい頃からよく一緒に遊んだ。今から思うと、母親同士のショッピングやお茶に付き合わされていただけじゃないのかとも思ったりもする。
 そして小四の時、母の体調が芳しくなくて、病院に行くように勧めてくれたのは麻友のお母さんだ。それを億劫がった母を根気よく何度も説得してくれていた。

ーー まぁでもそれも、手遅れだったワケだけど。

 麻友のお母さんは、母が病で伏せてから、遠足の時や社会見学の際も、お弁当を作ってくれたりもした。その後もう中学生だと言うのに、麻友とお揃いのキャラ弁だった時もあったが、本当に良くして貰えたと感謝はしている。それも亜希良の母親の出現により距離ができたワケだが、麻友がこうやって気に掛けてくれてるのも有り難かったりもしていた。
 でも正直、麻友の性格にはついていけない時がある。好きか嫌いかと言えば好きだけど、それは長年ずっと近くに居たからであって、いきなりクラスメイトになったら、接し方が良く分からなかったのかもしれない。近い、いろいろと。強いて言うなら距離が。〝いつまでも子供じゃないんだから〟何度、そう口に出しそうになった事か。ほら、窓際でお弁当を食べてる子たちが、スッと視線を外してくる。

 父親が再婚することは、麻友に伝える前になぜか知れ渡っていたらしい。高校のバスケ部キャプテン、それが亜希良だと言うこと。再婚で苗字が吉岡に変わっても、学校ではそのままの名前で過ごす事になったそうでそれが亜希良の意思なのか、あの人の希望なのかはわからない。麻友に再婚の話が本当かと聞かれ、そうだよと答えた。そして、亜希良と家族になるってことをその時に初めてちゃんと伝えた。麻友は、えっと声をあげ、本当にあの沢村くん?と少し頬を赤らめて聞いてきた。
 亜希良を初めて見たのは中学の時、バスケ部が他中と体育館で交流試合をしていた時だった。その頃の麻友は同じクラスの子と付き合っていて、ふたりで体育館の細長い二階席で声援を送っていたらしい。
 その歓声は渡り廊下まで聞こえていて、自分が見たのは、開け放たれたドアの向こうで、中二とは思えないほどの長身な彼がシュートを決めた瞬間だった。
 そして高校に入学した頃、その長身の彼も同じ高校だと、麻友がわざわざ教えてくれた。
 麻友はそれから部活には入らず、図書室にいつも入り浸っていた。その二階の窓から、彼が帰宅する姿を見るために。でもきっかけが掴めないでいたのだろう。
 そして高二の夏休みに亜希良と義母はうちに越してきた。もともと一軒家で三人暮らしだったので部屋は充分に余ってた。母と父の寝室がそのまま夫婦の部屋になったのはちょっとだけ嫌だったけど、子供のころ友達が遊びに来て遊んでた何も家具が置いてない部屋が亜希良の部屋になった。

『よろしく』

 それが亜希良と交わした初めてのセリフ。手を差し出され、握手をしたのは覚えてるけど、それにどう応えたのか。多分、下を向いて、うんと返事をしただけだと思う。〝大人しくてね〟そう言ったのは父で、〝すぐに仲良しになるわよ〟そう言ったのは、その日から母になったその人だった。

 不貞腐れてる麻友を自分の教室に戻らせ、午後の授業にとりかかる。今日は帰りに図書館に行くつもりでいた。自習をするためだ。春から大学に進学する亜希良の受験が終わると、父に、次はルイだなと当たり前のように言われ、幾つもの予備校のパンフレットが、食卓に並べられた。やりたいことは特に見つかってない。でも数学が苦手だ。理系では無いって事は中学の時点で気づいていた。当たり障りのない大学に進学できたらそれでいい。むしろ亜希良と離れるなら、どこでも良いとさえ思えた。

 麻友は先月のバレンタインに、亜希良がチョコレートを幾つもらったのかを気にしていた。正確に数えてないが、おそらく十個は超えている。それらが詰まった紙袋を横目で見ながら、確か麻友のチョコレートを手渡したのだ。

〝俺に?〟
〝そうだよ〟
〝なんで?〟
〝え?何でって・・〟
〝いや、何でお前から渡されんの?〟その意味が、わからないような、言動。
〝麻友から、渡してって、預かった〟
〝まゆ?〟
〝うん〟
〝え?だれ?〟
〝同級生〟
〝へぇ〟
〝え?何?〟
〝いやいや、べっつにい〟

・・・

 図書館から家に帰ると、亜希良が台所でインスタントのラーメンを食べていた。

「よお、お帰り」
「は?何食べちゃってんの?」
「だって、腹減ってたんだもん、お前、帰ってくるの遅ぇし」
「だからって」

 台所にある古い壁掛けの時計は、六時半を指している。図書館に寄って買い物を済ませて、さほど帰宅が遅くなったとも思えない。父は出張で今夜は帰らない。義母はそんなだからか、友人と夕飯を食べに行くんだと言っていた。つまりが、今夜の夕飯は作らなきゃいけない。ただ単に、父親と長く暮らしていたから、そして麻友のお母さんのおかげで、料理はそこそこ自信があったからだ。

「晩飯なぁに」だからって、当たり前のように聞いてくるのも、どうかと思うが。
「・・・」
「何?怒ってんの?食うよ、あったりまえじゃん」
「生姜焼きにしよっかなって」
「わ!まじで!ポテサラも付けて!お願い!」
「はいはい、最初からそのつもり。てか手伝ってよ」
 でも結局、ジャガイモの皮を剥いただけで満足したのか、調理している間、居間でテレビを見ていた亜希良が思い出したかのようにまた台所にやってきた。ダイニングテーブルの椅子を引いて徐に腰掛ける。後ろ向きに調理している背中に、視線だけが突き刺さる。

「あ、そだ、麻友ちゃんだっけ?お前の友達のさ、チョコくれた子」あたかも今思いついたように亜希良が放った。
「え?あ、うん」
「明日、学校で会う?これ、渡しといてくれる?」
 そう言って、コンビニで買って来たような、小ぶりのキャラメルの箱を出してきた。振り向いて、それを一瞥し、サッと視線を下に向けた。

 あるんじゃん、用意してたんだ、ホワイトデイ。と言うか、今日がホワイトデイだったって、きっと今日、気付いたのだろう。

「ホワイトデイは今日だよ」
「そーだよ、だってお前、教えてくんねぇからさ、忘れてたわ」
「良く言うわ。たくさんチョコ貰ってたクセに」
「だって、めんどくさいじゃん」でも、渡すのか、麻友には。
「うんわかった、そこ、置いといて」
「実はさ」
「え?」
「どの子かさ、わかんなかったからさ、バスケ部の後輩に聞いたんだわ。お前、写真も見せてくんねぇし」
「・・・」
「したらさ、むっちゃ可愛いのな?IDくれたら、連絡したのにぃ」
「は?麻友はダメ」
「何でだよ」
「友達だから」
「はは〜ん」
「春には東京行くんでしょ?いまさら仲良くなってどうすんの?」
「どうするって、まぁ色々あるじゃん、なんなら、遠距離恋愛?的な?」
「バカじゃん」
 
 菜箸を持った右手が、少しだけ震えた。

 夕飯ができて、食卓に着く。さっきラーメンを食べたとも思えない勢いで、亜希良が甘辛いタレをキャベツに絡めて生姜焼きを食してく。

「そういやあさ、類って、もう大学、どこ受けるとか決めてんの?」口をモゴモゴさせながら、味噌汁を片手で持って、流し込む。
「え?」
「はぁ、あ、えっと、おじさんとさ、母さんが話してたんだけどさ、来年、類も東京に出るなら、一緒に住んだらいいんじゃないかって」
「は?」
「 その方が仕送り?も安く済むんだとか、話してた」
「いつ」
「こないだ?」
「え?亜希良、ちゃんと部屋決めて来たんだよね?」
「うん、でも一年更新のとこにしたから大丈夫だって、類も近くの大学とかさ、てか、同じとこ受けたらさ、もっと広いとこ住めんじゃね?」
「そんな事、」そりゃあ、どうせ行くなら大学は都会に行きたいって思ってる。でもだからって、高校みたいに都合よく行くわけないだろ。
「俺もその方が助かるかなって」
「は?」
「一緒に暮らそうぜい!待ってっからさ、受験、頑張れよ!」
「何?飯の用意とか?家事とか?」
「いや、違うって!」
「絶対、そうだろ?」
「まぁ、それもあんだけど」
「絶対、やだ」「え?なんで」そんな事を言いながら立ち上がり、ビクッとした俺の横を通って、二杯目のご飯をよそう。心臓がバクバクする。この音が、彼に届いてるのではないかとさえ思えてくる。

「まあ、その辺は?ルールを作ってさ」
「・・・」
「ん?」
「え、いや、何?急に話、変えてんだよ。ルールって何?」
「いやいや変えてない。類がさ、悩んでんのはアレだろ?女の子とか?呼べないってやつ?」
「は?一緒にしないで」
「まあまぁ、類くん。本当はさ、彼女?麻友ちゃんのこと、好きなんでしょ?」そう言って、ニヤリと笑った。
「は?なんでそう思うの」
「麻友ちゃん、俺にチョコ持って来たから」
「それは」
「拗ねてんの?お前、取っただろ。連絡先書いてあったカード」
「・・・」
「水臭いんだよ、言えよ〜」
「何?」
「心配しなくてもさ、お前のテリトリーに入ってったりしないって、部屋には女は入れない、それで良いじゃん、デートは外で、ね?外泊するときはちゃんと連絡するし、家では二人だけの共同生活、てか兄弟だし、気兼ねなくね?」いつの間にか、俺の皿からごっそりと生姜焼きが、亜希良の皿の移されていた。僅か一メートルもない二人の距離が、更にどんどん遠くなる感覚。
「亜希良と俺は、他人だよね?」箸を置いて、睨んだ。
「まぁまぁ、戸籍上はもう家族なわけだしぃ」

 ワザとなのか、天然なのか。

 ズルい。

「亜希良となんか一緒に住みたくない」
「類くん。俺がお前を守ってやるって言ってんじゃん。俺よりチョコの数が多いお前がよ?東京なんか行ったらさ、大変だって、一人暮らしってバレたらさ、転がり込んで来るぞ、オンナが」
「・・・意味がわからん」
「なんだよ」
「亜希良を、お前を、好きになるやつの気持ちが、だよ」
「は?何?その言い方」
「そうだよ」
「え?」
「好きだよ」
「え?」
「ずっと、ずっとずっとずっとずっと、好き、前からずーっと、好きだった」
「お、おお、そっかそっか、え?幼馴染だよね?そんなに?分かった。じゃっさ、渡さなくていいよ、それ」

 亜希良が、テーブルの上のキャンディを、床にそっと、滑り落とした。

②「ふたり」

〝いつんなったら来んの?〟
 
 図書館からの帰り道、マナーモードにしていたスマホを取り出して見てみると、ポップアップ画面に出ていたのは、亜希良からのLINEだった。

 既読にはせずにそれを仕舞うと、駐輪場に向かいデイバックを背負う。もう夕方だと言うのに気温が高くて、少しだけ汗ばんだ長袖のシャツが肌に張り付き不快が増した。    
 さっきまで居た室内との温度差に疲労感が加わったような、そしてちょっとだけ息が詰まるような感覚。
 ああ、早く家に帰って、シャワーを浴びたい。香織さんに頼まれていた玉ねぎを買うため、自転車のペダルに足を乗せスーパーへと向かった。

 高校生の頃、親の再婚によって亜希良と兄弟になった。俺が父親の連れ子で、亜希良が母親の連れ子、それぞれシングルで子育てをしていた者同士が実は高校の同級生で、ひょんな事からSNSで知り合って親交を深めたのちに再会し、恋に落ちた。らしい。
 そんな惹かれ合うなら、昔からその気があったのか?と思い気や、そんな事は無かったらしく、でもだからって接点が全く無かった訳ではないそうで、どうやら高一の時は、体育祭の得点係りで三十分ほどずっと隣にいたらしいし(つまりが敵同士だったわけだが)、高二の修学旅行では、クラスが違ったにも関わらず、自由時間に回った神社が同じで、十人くらい一緒になって団体行動をしていて、なのにその中の数人が輪を乱し、揉めながらも集合時間にかなり遅れて先生にこっ酷く叱られた時にもなぜか隣に居たんだそうだ。そんな(どうでもいい)話を、俺と亜希良は幾度となく散々聞かされてきた。てか、そのエピソードをお互いが覚えてるのが奇跡に近いだろ。つまりが、まあ、勝手知ったる?仲だったからか、二人はずっと連れ添ったみたいに仲良しで、俺が中学の頃を亡くした母をずっと引き摺って落ち込んでいた父親を知っているので、この再婚は本当に良かったんだと心から思っていた。

 去年の春、高校を卒業したひとつ歳上の亜希良は東京の私大に進み、家を出た。そして翌年の俺の受験、模試でとうとう一度もC判定にすらならなかった私大を受け、呆気なく落ちた。
 本当は、亜希良と同じ大学の指定校推薦を貰えるだけの評定もあって、担任から打診もされていたのだがそれを断った。後で知った香織さんは勿体無い!と言いながら、他に行きたい大学があるならしょうがないわね、と言っていた。

 行きたい大学があった訳じゃない。亜希良の近くには行きたくなかった。ただそれだけだったのだ。

 家に着くと、香織さんはもう台所にいて人参の皮を剥いていた。

「ただいま」
「あ、類くん、ありがとう、すぐにご飯にするからね」
「まだ、大丈夫だから、先にシャワーだけ浴びるから」
「あ!、お風呂洗ってあるから!温もったら?」
「いい」
「そう?ちゃんと温もった方がね、身体には、、、」言い終わらないうちに、俺は買ってきた玉ねぎをダイニングテーブルに置き二階の部屋に向かった。
 香織さんは元々俺に対して気を使ってる素振りはあった。でも未だ亜希良がこの家にいた頃の方が違和感は無かった。亜希良が高校を卒業して、東京の大学に進んで、この家で、本来の部外者は香織さんの筈なのに、俺が一番、浮いている。

 シャワーを浴びて部屋に入って、放置していたスマホを手にズラズラと同じような内容の、三つ程の亜希良のコメントに既読を付けた。すると、数秒もしない内に着信音が鳴る。

___「もしもし」
___「お前、無視すんなよ」
___「してない、図書館に居たんだよ」

 ああ、そう、って簡単に納得した亜希良が、〝で?いつ来てくれる?〟と聞いてくる。

 三月の初め、長い長い春休みだった亜希良は帰省していた。どうせならこっちでバイトをすると言って、地元の贔屓にしていたレンタルビデオ屋に行ってみるとどうやら潰れていたらしい。結局、日雇い派遣のバイトを熟し俺の受験が終わるのを待っていた。そして受験が失敗に終わり(そもそも受かるとも思ってなかったのだが)本当なら俺も上京してふたりで住む少しだけ広いマンションに引っ越す算段をしていた亜希良は(俺は一緒に住むなんて言っていない)それがかなりショックだったらしい。
 だから結局、今のアパートにそのまま住むことにして、その手続きもあって、そこから一週間くらいでまた亜希良は東京に戻って行った。

 他の大学を全く受験しなかった俺を、父親も香織さんもよほどその大学に行きたかったのだろうと思ったらしい。そんな事はないが、確かに都会の大学生になりたい希望はあるにはあった。何なら亜希良の存在さえなければ、その指定校推薦は喉から手が出るほど欲しかった。
 でも、それと引き換えてでも一緒には住みたくは無かったのだ。たった一ヶ月近くだが、受験の時期に亜希良が帰省してたのも勘弁して欲しかったくらいだ。だが、家族四人で住んでる分にはまだマシだ。でもそれで受験に影響があった訳ではないが(単に学力不足だろう)動揺するには充分だった。

 亜希良が大学に戻ると、普段の生活に戻りつつあったが、なんせ高校は卒業してしまっているので予備校に通うか?と言う父と、どうせなら東京の予備校に行ったらどうか?と言う香織さんに戸惑いもする。この二人は大学に進学しないと言う選択肢は与えてくれないんだろうか?と少し疑問にも思ったが、己のマイノリティのせいで、せっかく親が学費を出してくれると言っているのに進学をしないと言うのも何か違う気もしている。話し合いの結果、家で独学で勉強すると言うこと。今回はレベルが下がっても滑り止めをしっかり受けること、その二点を両親と約束をし、俺は今の生活を手に入れた。それからと言うもの、亜希良から休みのたんびに遊びに来ないかと?連絡が来る様になった。

「住民票は移した方がいいのかしら?」
 夜、八時過ぎくらいに父さんが帰って来たので下に降りた。そのままカレーをよそい席に着く。
「そこまでする必要はないんじゃないのか?」

 先に席に着いていた父さんは、なぜか俺に方に向かっって、「なあ?」と聞いた。「なんの話?」話が見えない。
 すると喋り出したのは香織さんで、どうやら亜希良が車の免許を取りたいと言ってきたそうだ。そこで住民票を送って欲しいと。ああ免許、なら送ってあげれば?と声には出さずに頷いた。

「類くん、息抜きに、頼める?」
「え?」
「そうだ類、根詰めて勉強したところで成績なんて上がらないぞ、久しぶりに兄さんに会ってきたらどうだ?」
「は?」

 要するに、住民票を持って亜希良のところへ行って来いって事らしい。そんなの郵便で送りゃあいいじゃん。そこで今日来たしつこいくらいのLINEの意味を理解する。
 知ってたんだ。俺が持ってくって事に、だってさっきに電話もチグハグだった。いつ来んの?と言う亜希良と、何で行く必要があるんだよって答えた俺。確認する前に俺に持って行かせるって話たんだ。香織さんは。
「俺が届ければいいわけ?」
 そう言って香織さんを一瞥すると、両手をあわせてお願いって言われる。
 この人はいっつもそうだ。俺が東京に行きたくない理由は上京したら亜希良と同じ家に住まなきゃいけなくなるからで、大学の学費を出してもらって下宿までさせてもらって、ふたりで住んだ方が安く済む、なんて言われたら子は親には逆らえない。嫌だと言ったら理由を聞かれる。一緒に住みたくないって言ったら、何で?って言うだろう。そりゃそうだ。血は繋がってなくても戸籍上は兄弟で、短いながらも表向きは何のトラブルもハプニングも無く一緒に暮らしてたふたりだからまさか仲が悪いとも思ってないだろうし、実際、仲が悪い訳でもない。でもきっと、亜希良がオンナで、姉さんだったらそんな事は言わなかっただろう絶対に。何なら遠ざけた、はずだ。

 〝兄弟〟なんて、表向きの意味だ。

「でね、類くんはどう思う?住民票って、移した方はいいの?」
「え?」
「だって、ね、選挙?とか?あるじゃない。あと年金?みんなどうしてるんだろ?」
「・・・」
「でも、成人式はどうすんだよ」
 そう言ったのは父で、正直、成人式はどうにでもなる様な気がするが、俺に聞かれても答えようがない。大学生が住民票を移すかとかなんて考えたこともない。さすがにイラついて俺に聞かずに本人に聞けば?って口から出た。

「いらっしゃい」
「は?」
 駅を降りたところで、地図アプリで住所を入力したら本当に近くで、少し汗ばむ陽気の六月の下旬、俺は早起きして、三月の受験以来の東京に来た。
 香織さんが昨夜から拵えてた唐揚げとコロッケの入ったタッパの紙袋に、来る途中に駅中の支所で取ってきた住民票。それらを持って、新幹線と在来線を乗り継ぎ、三時間ほどで亜希良の住むアパートの二階のインターフォンを鳴らすと、中から出てきたのは亜希良ではなく麻友だった。
「何で麻友がいんの?」
 部屋に入ると亜希良は、猫の額の三畳ほどのキッチンで何やら調理をしていた。
思ってたより狭い。都会だからかアパート自体は新築並みに綺麗だけど、手狭の学生向きの一DKか。奥の部屋にベッドがあるが、六畳は絶対無いくらいの和室だ。

「はあ!!やっと来たぁ!類ぃぃぃ!会いたかったよーん」

 小さな一人掛けのテーブルに紙袋を乗せ、デイバックから頼まれていた書類を手渡す。それを一瞥した亜希良は、そっち、置いといて、と目で部屋の奥の棚を見とめた。
 言われるままに部屋を横切りベッド横の棚の、数冊並んだ文庫本の横に、わかりやすい様に書類の入った封筒を立てかける。
「で、何で麻友がいるんだよ?」
 さっき二人に無視されたので改めてそう放った。すると、麻友がひどーい!久しぶりに会ったのに!と誰に対するアピールなのか、腰に手を当て頬を膨らませる。
 それから香織さんの作ったおかずに、亜希良が作ったサラダとコーンスープ。初めからサラダしか作ってないなんて、俺が持って来ることを知ってたって事だ。

 麻友はここから電車で二十分ほどで行ける駅にある女子大に通ってるらしい。で、その近くの徒歩圏内のマンションに住んでるらしい。らしいと言うのは、どこを受験したかは知ってはいたがその女子大の場所は知らなかったってことだ。
 麻友の両親は、地元の大学に通って欲しそうだった。女の子を一人で都会に出すことに、お父さんが心配してたようで、だが昨今、女子の大学進学なんて珍しくもなく、その地元の大学とレベルの差は大して無いにせよ、ステータス的に都会に出た方が将来的に就職が有利なのは目に見えていた。そのまま都会で働きたいと言っていた麻友らしい選択だったんだと思う。
「失礼ね、せっかく来てあげたのに」
 さほど怒るでもなく、笑ってそう言った麻友に、亜希良は俺が呼んだんだよと、付け加えた。 
「いや、だってさ、聞いたら全然、連絡もしてないみたいだしさ」
 だったら何だって言うんだ。余計なお世話だ。

 まあそうだ。一応、大学に落ちた事は伝えた。LINEでだけど、指定校で年内には進学が決まっていた麻友に、大学はどうするのか?と聞かれてはいた。ギリギリまで志望校は教えずに、落ちてから初めて言った。LINEだったからその時の麻友がどんな感情だったのかはわからない。だが幼馴染で、同じ高校で、お互いの成績は何となく分かっていたんだと思う。俺が進学に対して前向きでは無いことも。だからその受験した大学名を知って、麻友はどう思ったんだろうか。

「はああ、お腹いっぱい、眠くなっちゃった」フラフラっと立ち上がった麻友は、そのまま窓際のベッドの座ると、重力に任せるかのように横になった。
「あ!こらこら!麻友ちゃん!ダメだって!ほら、もう帰った方がいいんじゃね?」
「え〜ヤダ、泊まる!」
「は?何言ってんの?ダメに決まってんじゃん!」
「えーだってルイは泊まるんでしょ?!マユも泊まりたい!」
「いやいや、そんな三人も寝る場所ないから!ほら、類!麻友ちゃん!家まで送ってって!」
「え?何で俺?」
「や、だって、夜道に女の子一人で帰らせたら危ねぇじゃん」
 知らないしそんなこと。
 てか、本当に何しに来たんだ?結局、ご飯を食べてる間中、麻友は通い始めた大学の話を一人で喋りまくってた。ファッション系の仕事に就きたいと言っていた麻友が選んだ学部はなぜだか心理学科で、何やら購買心理?の勉強をするらしい。良くはわからないが、いわゆる昔のお嬢様大学で就職率も悪く無いらしい。近くの四大のインカレサークルの話もあったり、結局は楽しくやってるようで、それはそれで良かったのだが。

 ベッドに足まで投げ出して寝転がった麻友は、ショート丈のスカンツとか言うスカートのようでスカートではない服を着ていて、捲れ上がった生足に亜希良がドギマギしてるのを横目で見ながら、両腕を引っ張って引きずり起こした。
「痛ったあああい!何すんのよ!」
「ほら起きて、迷惑みたいだしもう帰ったら?」
「は?え?アキラくん、そなの?今日、三人でお泊まりだと思って、マユお着替えまで持ってきたのにっ!」
「え?」
「は?」
 どう言う事だよ、と横目で亜希良を見ると、首をブンブンと振りながら、ほら、麻友ちゃん、そんなの無理だから!類が送ってくから!って言って、背中を押して玄関へと向かわせた。仕方がないのでテーブルからスマホを取り上げジーンズの後ろポケットに仕舞い玄関に向かうと、ショートブーツを履くために座り込んだ麻友の背後に居た亜希良が、俺の肩に手を置き、耳元で小さく、〝泊まってっていいから〟と呟いた。

 麻友を駅の近くまで送って、アパートに戻ってくると、ご丁寧に鍵がかかってたので本日、二回目のインターフォンを鳴らすと、「はーい」とよそ行きのようなハスキーボイスでドアがガチャリと音を立てた。
「は?なんで帰ってくんだよ」
 そこに突っ立ってたのは、風呂にでも入っていたのか、Tシャツに着替えた亜希良が、俺を見てびっくりしたようにそう放った。
「え?何?どう言う意味?」
 言ってる事が理解できない。
「何?泊めてくんないなら、帰るけど?」
 今からならまだどうにか日付を跨いだ頃には帰れるはずだ。
「え?そりゃ、泊まればいいけどさぁ」
「あ?この後、誰か来るとか?」
「は?来る訳ねぇじゃん」
 尚も所在なげに、バツの悪そうな表情の亜希良が、や、だって麻友ちゃんのマンション行くんだと思ったからさと言い出した。
「は?なんで」
 そこで、さっき、耳元で泊まっていいって言ったのが、麻友の家にって意味だった事に気がついた。
「いや、だって、久しぶりに会うみたいだったしさ」
 だから何だって言うんだ。だいたい荷物も持たずに、何なら財布も持たずに、スマホだけ持って駅まで送りに行った俺が、何で戻って来ないなんて思ってたのか?この人は本当に。
 そもそももし俺が麻友に気があるのなら、亜希良なんかの手は借りずに、どうにかなってる。だって幼稚園から知ってんだから。それをこの人は、俺が麻友に気があっても告白もできないでいると本気で思っているのか。
 そのままさっきまで座ってた場所に腰を下ろすと、その向かいに亜希良も座った。
「麻友とはそんなんじゃないから」
「うん」
「分かってたんなら何で?」
「だって、好きなんだろ?お前?麻友ちゃんの事」
「・・・」
「違うの?」
「昔の話だから」と、噓を吐く。俺が好きなのは、麻友じゃない。
 そっか、と呟いた亜希良が、はぁ、とため息を漏らした。
「麻友とは?」
「え?」
「たまに会ったりしてるの?」
「まぁ、たまに、連絡が来て、何度かご飯は食べには行った」
「へぇ」
「いや!俺はさ!前にも言ったけど、類の気持ちはわかってたし!たださ!東京の大学?受験するから、色々案内して欲しいって言われたりとかさ」
「いつ?」
「へ?」
「受験前に?」
 明らか動揺してる亜希良が、少しだけ可哀想の思えた。
「いや!それはさ!どんなとこに住んでるの?って聞かれた事はあったけど、家に入れたのは今日が初めてだし、お前がこっち来たら引っ越すつもりだったからさ、それも麻友ちゃんにちゃんと伝えてたし」
 結局、去年のホワイトデイに、亜希良は麻友にお返しのキャンディを渡さなかった。そこで郷を煮やした麻友が、亜希良の引っ越し当日、わざわざ餞別だと言ってブランド物のパスケースを持って家までやって来たのだ。そこで二人が連絡先の交換をするのを横目で見ていた。そわそわと申し訳なさそうに俺をチラ見する亜希良の目線を、ワザと見ないように下を向いて。それを、亜希良はきっと勘違いしたままなんだろう。

 麻友はおそらく、上京してからも何度か亜希良に連絡を取っていたのだろう。他の男と付き合いながらも、縁を切る事はしない気がする。長年一緒にいる、勘だ。
「せっかくセッティングしてやったのに」
「余計なお世話」
「いや、だってさ、お前」
「別に、麻友のことは何とも思ってないから」
「は?だってお前!」
「いつの話してんだよ」
「え?だって、ずっと前からって言ってたじゃん!」
 その言葉の意味を、彼が理解する日は、いつか来るのだろうか。
 時刻はもう十時を過ぎていた。俺に対する配慮を見せたつもりが、麻友に対して何かしらの感情を抱いてる亜希良に俺の方が動揺しそうになる。

 でも、こんな感情はもう慣れてる。いつものパターン。それ以上、何も話さなくなった亜希良に、そう言えば、と香織さんが住民票を移動するかしないかって話をしていたと伝えた。すると、ああ、と言った彼が、もうそれはいいのだと言う。どう言う意味?だと聞けば、俺が東京に来て、引っ越して一緒に暮らすようになったら、住所も移せばよいかな?って思っただけだと。郵便物とかあんじゃん?と。今も香織さんが定期的にDMまでご丁寧に送ってくるらしい。
 郵便物なんて住民票関係ないだろ?って近くの郵便局に転送届を出せば大丈夫じゃないかな?と伝えると、そなの?と言った。本当は教習所にも一緒に通いたかったと言われ、来年こそ頑張れよと言われ、それには絶対に応えたくない自分の心境を悟られたくなくて、脈絡もなく風呂に入らせて欲しいと頼んで席を立つ。そして持ってきたデイバックから着替えのシャツと短パンを取り出し、もう亜希良を見る事無く風呂場へと向かった。

 さっき駅まで麻友と歩いて、来年はどこ目指すの?のスマホに目を向けたまま問いかけてきた麻友に、まだ何にも考えてないって答えると、それには何のリアクションもせず、誰かに電話をかけ始めた。
 (あ!もしも〜し!今からって会える?)
(えっとね、〇〇駅の近くに居るんだけど〜)
(え?あ?うん?本当に?わかった!え?今?友達の家にお泊まりするつもりで来たんだけどぉ、なんか、彼氏来ちゃってぇ、追い出されちゃって!)
 (うん!わかった!待ってる!)

 電話を終えた麻友に、友達?って聞くと、それにも答えず、もういいわ、ありがと。って言ってきた。
「え?いいの?電車乗らないの?」とは言っても、駅舎は目の前だ。
「車で迎えに来てくれるみたいだから、大丈夫」
「じゃあ、来るまで一緒に待ってる?」
 そう言うと、「ダメだよ帰って、勘違いされるじゃん」
「え?」
「じゃ、アキラくんに、また遊ぼうねって言っといて」そう言って、駅前のコンビニに入って行った。

 え?男を呼び出した?

 でもその時、スマホを持つ麻友の手はずっと震えたいたのだ。

 風呂から上がると、部屋の電気はもうベッドサイドの照明以外が消えていて、小さなテーブルは端に片されてベッドの下で亜希良が寝ていた。
 足の踏み場がない状態で、そっと亜希良を踏まないようにベッドへと向かう。亜希良がそこに、下に寝てると言うことは、俺がベッドを使っても良いって事だろう。
 さっきの亜希良の言動を見ると、やっぱり少なからず麻友に気があるんだろうなと思った。だが当の麻友はどう言うつもりなのか。
 ベッドに横になると、照明を消して、暑そうだったので少しだけ窓を開けた。するとそよそよと心地よい風が吹いて来た。
 俺はいったい、何をしているんだろうか。
 よくよく考えてみると、亜希良と同じ部屋で寝たことなんてこれまでに一度もなかった。
 微かな寝息を聴こえてきて、それを聞かないように枕に顔を埋めると、少しばかりの汗臭い匂いと一緒に、さっきまでそこにいた麻友の甘ったるい香水の匂いがして、一瞬で涙が零れ落ちた。

③ 過去と真実(1)

 祖母が死んだ。

 その日、俺は大学もバイトも無くて、そのせいか昨夜遅くまでゼミの由貴子さんが貸してくれたミステリー小説を読んでいて、そのストーリーがありきたりの展開とは程遠くて、夢中になってラストまで読んでしまっていた。
 そして読了感も最高で、深夜二時を回っても興奮して眠れなくて、読み終わったら語りたいと言っていた由貴子さんにメールを打ちたくてノートパソコンを立ち上げたものの、深夜だと言うことに気づいてそれを閉じて、そこから買い置きしてあったインスタントラーメンを作って一人で食べてしまいやっとベッドに入ったのは明け方四時を過ぎていた。
 だから気づかなかった。朝方入った父親からの電話も、亜希良からのLINEも、そして、由貴子さんからの、読んだ?と言うショートメールも。

 父方の祖母は長野に住んでいて小学生の頃はよく遊びに行った。祖父は俺が小学生に上がる前に病気で亡くなっていてあまり記憶には残っていない。俺を抱き上げる祖父の写真や、従兄弟と一緒に写っていた病床の祖父の写真が数枚、残されているくらいだった。
 父には姉と妹がいて、その姉の子供、即ち従兄妹たちは、歳の離れた俺ともよく遊んでくれていた。
 最後に長野に帰ったのは、確か母の病気がわかった年の夏だ。祖母はその時で既に八十に手が届いていたと思う。でも何歳かは知らなくて、俺のことをお母さん似で良かったわね、とか、類は綺麗だから幸せになれるわ、とか、お利口だからとか、そんな事を言われていた気がする。その場に一緒に居た従兄妹の芽以ちゃんが、男なのに綺麗なんて可笑しいよって笑って、でも祖母はそんな事はないのよ。って、綺麗なのは何も顔つきだけじゃないの、心も綺麗だからそう言ってるんだよって芽以ちゃんに言ってて、でもその頃の芽以ちゃんは納得してなさそうな顔をずっと俺に向けていた。

 昼過ぎに目を覚ました俺は、スマホの通知にびっくりしながらも、父さんに電話をするも繋がらず、亜希良に寝ていてさっき気づいた、と。今、話せる?とLINEをした。
 それは結構すぐに既読になり、でも今は大学で講義中で、電話は無理だけどLINEはできると。そしておじさんは母さん(俺の義母の香織さん)と朝方、長野に車で向かったらいしと言うこと。葬儀はおそらく明日か明後日になるので、都合がつけば出て欲しいと言われたこと。その事を類にも知らせて欲しいと伝言を頼まれた、と書かれてあった。
 >『類、どうする?行けそう?』
 高校生の頃に父の再婚によって兄弟になった亜希良は、正直、祖母とは何の面識もない筈だ。母が病に倒れ、それからは俺も父さんも長野には帰っていない。父の姉たちはずっと長野に住んでいて、芽以ちゃんは結婚したと、以前、俺がまだ高校生の頃に聞いたと思う。そして、その兄の衛くんは独身だが地元の建設会社で働いているそうだ。もう一人の叔母は一度は結婚はしたようだが子供はおらず、離婚して出戻って、祖母の世話をずっとしていたらしい。
 >『亜希良は?行くの?』
 >『類は?』
 ふと考えてみて、俺は祖母との想い出もあるし、時間の余裕があれば行きたいと思う。と言うか、長男の孫なんだから、行くべき?だろうな。
 >『ちょっと難しいかも』

  気持ち的にはさっき言ったように行きたいと思う。祖母は大好きだったし、可愛がってももらったし、でも現実的に、俺は今、関西にいる。いや、行こうと思えば行ける距離だし、そんなのは理由にならない。ただ、今日は何もない日でたまたま家にいるが、明日が午前中、講義があるし、午後からはインターンシップを申し込んでいた会社のグループミーティングに参加する予定だった。
 >『そっか…じゃあ俺も無理って言っとくわ』
 亜希良にとったら、初めて訪れる家、義父の実家だと言われても、所詮、血のつながりのない他人の家だろう。親戚にも会った事もないだろうし。とそこで、父と義母の香織さんが高校の同級生だったと言うことを思い出した。確か父は、高校、いや大学も長野だ。

 >『もしかして、亜希良って、長野って行ったことある?』

 この場合、旅行でってわけではない。その辺はわかってくれるだろう。
 もう通話は終わったと判断したのだろうか、間を空けて送った俺のLINEに、授業に集中し始めてたであろう亜希良は、それでも数分で既読をつけ返信をしてきた。

 >『うん、俺のばあちゃんちも長野だったから』

 父に長野に行くのはちょっと難しいってLINEを送って、その返事が返ってきたのはその夜の事で、父は既に東京に戻って来ていた。祖母の葬式、それ以前にお通夜にも出ていないらしい。

 現役で受験に失敗した俺は、一年間の浪人を経て京都の私大に通っていた。予備校にも通わず、一年だけ浪人を認めてくれた父親も、その後妻の香織さんも、まさか俺が関西の大学に進学するだなんてこれっぽっちも思っていなかったに違いない。父親の仕事の関係で、俺はずっと静岡で暮らしていた。物心ついた時からずっと。天気の良い日は富士山が見えるその場所で小中高と過ごした。街は閉鎖的でもなく、住むところによっては都心まで遠距離通勤している人もいるくらいで、テレビで見る都会より住み心地は良さそうだと思っていた。
 でも、それでも俺や麻友、亜希良が通っていた県立高校は、偏差値的には幅があるものの、地元で就職する者も少なく、地元の国公立に進む者以外は、就職、進学ともに、都会に出る事が常だった。だから、亜希良も麻友も東京の大学に進んだし、俺もそのつもりだった。 
 年齢的に一年早く都会に出た亜希良と、翌年には上京するであろう俺と、一緒に暮らしたら良いんじゃない?的な軽いノリで香織さんに提案され、俺は東京の大学に進学することを一瞬で諦めた。側から見たらなぜそんな事で?いや逆に全然OKなんじゃないの?な、その申し出が俺には受け入れられなかったからだ。東京には行きたかった。何なら亜希良が進学した大学が第一志望だった。でも、どうせ二人とも東京に出るのなら、それぞれ一人暮らしより二人の方が何かといいわよね?と、そりゃその方が仕送りは楽だろうし、私大二人分の学費を払って貰うわけだから、親の意見に従うしかない。そうなると、俺が上京しないと言う結論に達してしまった。安易だと思われるだろう。本当の事を言えば、きっと優しい父と、その再婚相手の香織さんの事だから、『それなら』って、聞き入れてくれただろうけど、そんな事、言える訳がない。   

 現役時代は、奇跡以外で受かる筈のない大学を受験して、翌年も模試の成績が足りてなかったが同じ大学を受け、また落ちた。そして、父の言い付け通り、確実に受かるであろう私大をセンター利用で受験し、合格した。そこが京都だったのだ。
 我ながら卑怯だとは思っている。親にお金の負担をしてもらって進学するのだから、理由をつけて就職するなり、方法はいくらでもあったんだと思う。でも亜希良の母親の香織さんを傷つけたくなかった。結果的には同じことしてしまったかもしれないが、京都に行かせて欲しいとお願いした俺に父は、ちゃんと四年で卒業することを条件に送り出してくれた。
 その事を残念そうに連絡してきた亜希良は、『そうなんだ』と言って、遊びに行くわと言っていたが結局、京都の山奥の大学に原付で通いながら、古民家で下宿生活を始めた俺のところにはまだ遊びに来てないし、大学四年になった亜希良は、関西に就職しない限りきっと来ることはないだろう思う。
 そしてその頃、えらくまた遠くに逃げちゃったのね、と電話してきた麻友から、亜希良と付き合い始めたと言う話を聞いた。

 半日以上寝てしまったその日、部屋を出て午後から洗濯物を回し、居間に隣接している大きな縁側のようなベランダのような場所にシーツを干した。残りは部屋の隅にある出窓に小さいながらも干せるスペースがある。先だって干してあった同居人の数枚のバスタオルはカラッカラに乾いていて、そのまま畳んで居間のソファの上に置いておいた。
 この家の大家は隣の母屋で暮らす老父婦で、子が独立してから防犯を兼ねて、大学生を住まわせるようになって二十年になるらしい。昨今では間借りで下宿をする学生は年々減っており、それでも夕飯のみだが和食中心に作ってくれ、風呂も二十四時間いつ入っても良い。洗濯機は二台あって、でもその二台が同時に稼働してる事なんで見たこともなくて、四部屋ある二階には、俺と、同居人の国立大学の理系の学生が住んでいるだけだった。
 初めは夕飯の量に驚いたが、残してはいけないと思ってしまい、京都に来てから少しだけ体重が増えた。
 大学の願書を取り寄せた時に同封されていた業者のパンフレットで見つけ、食費込みで三万五千と言う破格の値段を見て目を疑った。それには香織さんも驚いて、必要ないと言われた中元や歳暮を贈っているらしい。ちなみにその理系の学生とは殆ど顔を合わせた事もなく、俺が入学する前から居て出ていく様子も全くなかった。
 洗濯を干して自室に戻ると、ノートパソコンを取り出し今朝方ショートメールが来ていた由貴子さんにメールを打った。
 そのミステリーの犯人が予想外だった事、最初の伏線だと思っていたものに回収がなくて、少し残念だと思っていたらそれがフェイクだった事。主人公に感情移入しすぎて少し泣きそうになってしまった事、小説ならではの展開、数々の心理撹乱、本当に騙されたが、それすらも読み終わってしまえばとても清々しかった事。映像化はちょっと難しそうですね、と締めくくり、次のゼミで本を返すと約束も入れた。それから簡単に部屋の掃除をして、翌日のインターンの用意をしているとスマホが鳴った。由貴子さんだ。

___「もしもし」
___「あ、吉岡くん?今大丈夫?」
___「あ、はい、大丈夫ですよ」
___「あのさ」
___「はい」
___「・・・」
___「あ、本ですか?今から返しに行きましょうか?」
___「え?あ、本は良いの、いつでも、でもね、あ、今日って暇?」
___「えっと、暇って言うのは、どういう」
___「ちょっとね、出て来れない?今って学校?」

 下宿に帰り着いたのはもう夕刻を過ぎていて、部屋に入ってシーツを洗った事を思い出し、急いで一階の居間へと向かった。居間はもう掃き出し窓のカーテンも閉まられていて、ソファの上には、バスタオルに代わって俺のシーツが畳まれていた。綺麗に、何重にも折り重なって。
 四人掛けのダイニングテーブルの横の小さめのカウンターには、小鉢に入ったほうれん草のお浸しとカボチャの煮物。そしてなぜが、ミートラザニアがきっかし半分に分けられラップが掛けられていた。その横に、鉛筆で書かれた男性の文字で、《これは温めた方が良い》とメモがある。そりゃそうだろうよ、と声を出して笑いそうになり、ほぼ見かける事もない同居人の彼なりのコミュニケーションなのか、時々こうして小さなメモを寄越して来る。
 話し合った訳でもないのに、彼と食事の時間も風呂も被った事がない。普段は俺がバイトをしてるから、帰宅が遅くなる事が多い。日中も部屋に居る気配がする彼は、大家のおばぁちゃんが夕飯を拵えて早めに食べる方が多いのだろう。彼はきっと出来たてのアツアツのラザニアを食べたのだろうな。その証拠に上辺のチーズが溶けた痕跡が残ってる。入れてくれたシーツもラザニアのメモもバスタオルのお礼かもしれない。

 夕飯をいただき、食器を洗って、風呂に入りお湯を抜く。部屋に戻って明日のスーツをクリーニングのビニール袋から取り出し、タグが付いてないかを確認しハンガーに掛けた。明日は午前中にスーツで大学に行って、そのまま大阪まで出て、十五時から食品メーカーのインターンシップのイベントに参加予定だ。ゼミの先輩から勧められ、食品メーカーはお土産が豊富だからと少し邪な気持ちもあったが、インスタントが主力商品なそのメーカーは楽しみでもあった。まだ二回生なので、気軽に行ったら良いからとゼミの先生も言っていた。三回から本格的に始まるゼミは二回生は自由参加だ。だが人気のあるゼミは競争率も高く、その先生の講義を積極的に受けアピールする学生も多い。俺も漏れなくそれに従い、有難い事にゼミ担からはいつでも覗きに来て良いよとお墨付きを貰った。そして由貴子さんはそのゼミの四回生、彼女は卒業後、故郷の九州に帰るらしい。

 近くのカフェに向かうと、由貴子さんはもう来ていて、窓際の席でホットの何かを飲んで窓の外を眺めていた。外の熱気を遮って、軽くかけられたクーラーの室温が心地いい。アイスコーヒーと迷ったが、本日のブレンドコーヒーを買ってから彼女の向かいに座る。

「お待たせしました」
「ああ、吉岡くん、ごめんね、呼び出して」
「いえ」
 背負っていたデイバッグを肩から下ろし、中から借りていたハードカバーのミステリーを取り出してテーブルに置くと、

「ありがとうございます」
「あ、うん。気に入って貰えてなにより」そう言って彼女は気不味そうに笑うとそのまままた窓の外を覗きこんだ。
「なんですか?」
「え?」
「なんか、居ます?」
 バス通りから少し奥まったその場所、狭い歩道には戯れる小鳥が二羽。

「スズメ?」だって人影なんか、ない。
「そ」
「え?スズメの観察?」

 彼女は深く座りなおし、身をソファに預けてふふっと笑うと、今度は身を乗り出してカップに手を掛ける。ほんのり白い泡立つそれに口を付け、もう一度、呼び出してごめんね。と放った。何か話し始めるんだと察し、背筋を伸ばした。

「なん、ですか?」
「実はね、週末に飲み会があって」
「ゼミのですか?」
「お酒、飲める?」
「あ、誕生日は過ぎたんで、てかそうだ。俺、実は浪人してるんで歳は」
「ごめん、そんなんじゃないんだぁ」
「え?」
 尚も彼女は言いづらそうに自身の足に頬杖をついた。また顔が横を向く。その先には二羽のスズメ。
 彼女の目線の先のそのスズメ達は、さっきは良くわからなかったが、どうやら仲良くチュンチュンやってる訳じゃなくて、片方が片方にちょっかいを出してるように見てとれた。

「あ、」

 ちょっかいを掛けられた方がパタと羽根を広げて逃げてるように見え、それを懲りずにもう一羽が追いかけている。すると、そこにもう一羽がどこからともなく飛んできて、二羽で一羽を追い詰め始めた。

「え?イジメ?」
「あ?そんな風に見えるの?」
「いや、だって」
「この子が好きで、誘いに来たんじゃない?」
「え?そうですか?でも…」と、そこで俺は、何かに気付いてしまった。目の前の由貴子さんはまだずっと外を見いてる。
「あ、えっと、その、」
「それは違うから、安心して」
「え?」すぐ様そう言われ、でも、ま、違わなくも無いんだけどさ、と彼女は放った。
「え?」
「わたしじゃないから」
「え?」

彼女は三回生の女の子の事だと言いだした。名前を聞いたがピンと来ない。その彼女は由貴子さんに合コンを開いて欲しいとお願いして来たらしい。他にも数名、男子学生の名をつらつらと挙げてきて、「年長の権限?集めてって言われてもねぇ」と呟く。

「ああ」そう言われてもリアクションが取りづらい。
「なんか吉岡くんてさ、そう言うの苦手って言うか、慣れて無さそうだし」
「はあ」
「コンパ、行くタイプには見えない」
「あ〜」確かに、行くタイプか行かないタイプかと聞かれたら後者かもしれない。でも、「そんな事もないですよ、みんなでワイワイするのは好きです」 嘘は言っていない。
「ホントに?」
「あぁ、まぁ、はい」
「じゃあ、行く?」
「あ、はい」ここは、そう言っておくのが正解だろう。
「ホント、に?OKって返事、しちゃうわよ」
「由貴子さんも来られますよね?」笑顔を向け、聞いてみた。
「行く訳ないでしょ」
「え?そうなんですか?」
「そりゃそうでしょ?コンパってカレシやカノジョが欲しい人らが集まるとこよ?好きな人が居たら行かないでしょ?普通」
「え、恋人いらっしゃるんですか?」
「居ないわよ」
「え、あ、すみません」
「謝らなくて良いわよ。て言うかぁ常識、失礼でしょ?そんな気ないのに参加なんかしちゃ」
「あ〜」とは言ったものの、どう答えるべきか。

 彼女はまた外を見ていて、その視線の先を追うと、スズメはもう一羽しか居なかった。残りはどこに行ったのか、残ったのは追いかけていた方か、それとも。そして不意に彼女が、「幼馴染かなんか?」と言い出した。
「え?」
「吉岡くんの好きな子よ、地元に居るんでしょ?」
「・・・」
「まさか、大失恋したとか?」結構はっきり物を言う、そう言う彼女の事をこれまでサバサバしていて好感が持てると思っていたが、こう面と向かって詰め寄られると正直良い気はしない。麻友にちょっと似てるかも。
「なんで、ですか?」そう言うと、だって吉岡くんて、富士山の麓に住んでたんでしょ?と。
「麓、ではないです」
「静岡だっけ?山梨?」
「静岡です」
「だったら普通さ、関東か名古屋あたりの大学に行かない?」
「ここしか受からなかったんですよ」
「でも、そもそも受けないでしょ?何が魅力でこんなとこまで来たの?」
 確かに関西でも難関とは言わず、難関の滑り止めに値するこの総合大学は、地元ではそこそこの人気はあるものの、地方から来る人達は、東海より東の人が居ないわけではもちろんないが、圧倒的に西日本出身者が多い。しかも俺みたいに一浪して来るのはデータがある訳ではないが、おそらく少ない。

「図星?」
「いえ」
「違うの?」
「・・・」
 ソファに深々と腰を掛けカフェラテを飲み干すと、ソーサーごとテーブルに置いてまた肘をついた。彼女の目が取り残されたスズメを優しく見守る。と、そこで、また気付いてしまった。多分今度は合ってるだろう。

「由貴子さんは」
「なに?」
「好きな人が居るから、コンパには行けないと」
「そうね」
「告らないんですか?」
「・・・」
「俺は、告れないんです」彼女がスッと俺に、視線を戻した。
「告れない相手って事?」
「そう、ですね」
「え?どう言う意味で?」
「由貴子さんは、コンパに好きな人【が】居るから、行けないんですよね」
 彼女の目が俺を射抜いた。真意を確かめるように。きっと由貴子さんはその女の子が好き、そしてその女の子は多分俺が好き、そして俺は男が好き。

「俺、今まで想いが叶った事って、ないです」
「・・・」
「告った事もない。その反対はあるけど」
「・・・」
「多分、ですけど、由貴子さんと一緒です」

 はっと、彼女が息を呑むのが聞こえた。

「わたしと、一緒?」
「墓場まで、持っていかなきゃいけない渦巻く、感情」
 彼女が目を、見開く。数分、いや、たった数秒で彼女が放った。

「え、ちょっと待って、それってっ」
「兄、です」
「ええっ!」

 彼女の声が、こだました。

 その日の夜にかかってきた父からの電話は、長野の実家に行ったが、祖母の亡骸には会えずに引き返してきたと言うものだった。どう言う意味?と言った俺に、語った父の話に驚きながら、側に居るであろう義母が気になり短いやり取りで電話を切った。そしてそのままスマホをタップし、亜希良に電話を掛けた。

「ええっ!」
 彼女の声がこだまして、カフェの中にいた数人の学生やサラリーマンがこちらを向いた。
「と言っても、血は繋がってません。義理の、です」
「ちょっと!びっくりさせないでよ!」
 そう言った彼女は、その相手が男性とわかってもその事に驚いた風ではなさそうだった。そして俺は、彼女に亜希良との出会いから今までの話を聞かせた。
「それで?関西に来たわけ?」
「そうですね」
「でもさ、東京って言っても広いじゃない?郊外の大学なら一緒には住めないんじゃないの?」
 それを、そうもいかないんですよと、兄の通ってる大学は都心にあって、結構アクセスも良くて、端に住んでも多分、休みのたんびにすぐに来られちゃいますって言ったら、めちゃくちゃ好かれてるやん!と彼女は、少し音が外れた関西弁で突っ込んで来た。そして、「だから?逃げて来たの?」と、麻友と同じ事を言う。
 逃げた。そうだ俺は逃げた。亜希良から、いや自分から。これまで、人を好きになった事は何度かあった。憧れ、みたいなものを含めると、片手ほど。でもそのいずれも叶ってはいない。相手に想いを伝える前に、皆、俺の前から居なくなる。そしてその傍らに居たのはいつも麻友だった。恋愛もどきをして来なかったわけじゃない。告白はされた。女の子から、そして男性からも何度か。男女問わず、食事や映画といったデートらしき事もした事はある。俺にとったら単なる遊びの延長であっても、相手にとったらそうではなくて、その先を少しでも匂わせられるとすっと逃げた。今も一応、表向きは付き合ってる人はいる。アルバイト先のオーナーで、昼間は学生相手のカフェを営み、夜は京都に遊びに来る観光客相手のお酒を出す店。
 大学に入学して、カフェタイムでアルバイトをして数ヶ月経った頃、オーナーの男性に夜の時間帯に出られないか?と聞かれた。ちょうど二十歳の誕生日を迎えた日、それなりの時給を提示され、そして告られた。何の躊躇もなしに、だが咄嗟に好きな人が居ると言った(嘘は吐いてない)らそれでもいいからと。と言っても、店の外で会った事もないし、そう言う関係にすらなっていない。一度、キス以上の関係を迫られ避けたらそれからは仕掛けては来ない。ただバイトしてる間は、俺は彼のパートナーとして扱われる。ペアリングを渡され、勤務中は、嵌めるように言われた。ズルいのはわかってる。そしてそれはきっと、客から俺を守ってくれてるんだと気付いたのは結構すぐだった。

 亜希良に電話をかけるとすぐに繋がった。

__「もしもし」
__「亜希良、今どこ?」
__「え?なんで?家だけど」
__「もう家に帰って来てたんだ」
__「あ?うん、だってもう夜だぜ?どした?あ、連絡あった?」
__「あったよ」
__「そうか、なんて?」
__「麻友は?」
__「へ」
__「麻友、居るんでしょ?代わって」
__「いやいや、何でだよ、居るわけねぇじゃん」
 心無しか亜希良の声が上擦る。相変わらず動揺しやすい。そこがまた俺の癇に障る。
__「いいから、麻友出して」
__「類、お前どした?」
__「長野、行ったんだよね?」
__「え?」
__「麻友と、二人で」
__「や、俺は行ってないよ、大学だって言ったじゃん」
__「じゃあ麻友が一人で行ったんだ」
__「え・・・」

 父さんたちが長野の実家に着いたとき、もう麻友は帰った後だったらしい。生前、まだ小学生の頃、夏休みに何度か麻友と二人で祖母に家に預けられたことがある。
 麻友は道すがら泣いたのか、真っ赤な目をして吉岡の実家に現れた。生前、祖母に可愛がってもらったからお別れを言いに来たと。類の幼馴染の佐々木麻友ですと名乗り、芽以ちゃんや伯母は麻友を覚えていた様で、すんなりと招き入れたらしい。今は東京の大学に通ってる事、そして、吉岡家の長男と付き合っている事、亡き祖母の傍でひとりでゆっくりと話しかけていたそうだ。ひとしきり泣いた麻友は、伯母が出したお茶をコクコクと飲み干して、類は一緒じゃないの?と聞かれ、「さぁ」と答えた。俺が関西の大学に居る事、そして何より父が再婚してる事を、伯母たちは聞かされて居なかった。父は再婚時に祖母に伝えたのだが、〝そう〟と一言、そして、また連れてらっしゃいと言われただけだったらしい。ただひとり、祖母の世話をしていた叔母だけは父の再婚話を聞いていた。だがその相手は知らなかったのだ。その話は俺も亜希良も聞いてなくて、だからもちろん麻友も知らなかった筈だ。吉岡家の長男の名前を亜希良だと言った麻友に一同は驚愕しただろう。狭い町内で、香織さんの実家は隣町だったらしいが、未婚のまま亜希良を産んで、亜希良は祖父母に育てられた。そして小学校を卒業する頃に、祖父母が相次いで亡くなり、亜希良も居なくなったらしい。その亜希良が、吉岡の名を名乗ってる。その事実に伯母たちは豹変し、麻友に出て行けと言ったのだろう。何の事だがわからなくなった麻友はそのまま家を後にした。

 その麻友は、果たして誰から祖母の死を聞いたのか?

 

 ごめん。と亜希良が呟いた。
 何に対するごめんだ。俺は今そんな話をするために電話をかけた訳じゃない。

「類にはさ、ちゃんと言わなきゃって思ってたんだ。ずっと。黙っててごめん」
「今は、それはいいから」
「え?いいの?」そうじゃ、なくて。
 いろんな感情が渦巻く。亜希良が麻友に気があるなんて、とうの昔に知っていた。何なら麻友からもそう聞いていた。
 そうじゃなくて、今は香織さんの話を、

「俺さ」
 亜希良が大きく息を吸い込んだ。

「麻友と、結婚しようと思ってる」

 由貴子さんに、残されたスズメがあなたよ、と言われた。そんなワケあるか、俺は逃げたのだ。亜希良から、そして自分から。あとどのくらい逃げたら、俺は幸せになれるのだろうか。

④ 過去と真実(2)

 その日は朝から雨が降っていた。
 

 あれは確か小学三年の夏だった。俺と麻友は二人して祖母の家に預けられていた。
 いつもはお盆前後に家族だけで帰省するのだが、その年は麻友のお母さんの妹が出産をして、おばさんはその手伝いに忙しくしていた。麻友のおばあちゃんは、麻友が生まれる前に他界していて、実家に帰る事なく嫁ぎ先の関西で出産した麻友の叔母の元に、夏休みに入ってすぐ向かったんだと聞いていた。

 初めはいとこに会えると喜んでいた麻友は、生まれたばかりの赤ん坊は全くもって遊び相手にはならず、すぐに帰りたいと言い出しておばさんを困らせたようで、でも、おじさんもまだ小学生の麻友と二人暮らしをするには仕事が多忙すぎて、それならばと、当時からとても仲か良かったうちの母が言い出して、麻友と俺は、長野の祖母の家に預けられる事になったのだ。

 前々から麻友には田舎のお婆ちゃんちに遊びに行くというイベントがなかった。だから、ずっといつか、ルイのおばあちゃん家に行ってみたい!と言っていた。だから喜んで付いて来た。期間はおよそ、お盆に両親が迎えに来るまでの約二週間。

 そしてそれは、楽しい夏休みになるはず、だった。

  
 〝知らなかったの〟

 義母の香織さんはそう言った。確かにそれは本当で、俺もずっと忘れていた。子供の頃の記憶は割とある方で、あの日の事も実は結構覚えてはいる。

 祖母の家の近くには、年の離れた従兄妹の衛くんと芽以ちゃんがいて、いつもは二人の地元の友達とかも一緒に川で遊んだり、手持ち花火をして庭でバーベキューをしたりした。
 でもその年に中学生になった芽以ちゃんは、中学の友達と遊ぶ事が多くなり、受験生だった衛くんも夏期講習があるからと祖母の家には寄り付かなくなっていた。

 その日は町内の夏祭りの寄り合いがあるからと、伯母さんが祖母を呼びにやってきた。雨も降ってるし、麻友と牛乳寒天でも作ろうかと言っていたところだったので、この子たちを置いて家を空けられないと言った祖母に、伯母さんはほんの数時間だけだから大丈夫だろうと、宿題でもしときなさいと言って、祖母を連れ出してしまったのだ。

 朝からつまらないと言っていた麻友は、せっかくデザートが作れると思っていたのか、まだ親が迎えに来るまで十日以上あると言うのに、〝もうヤダ〟とか、〝帰りたい〟とか言い出して、俺はそんな麻友がちょっとだけうっとおしかった。
 俺は計画的にその日の宿題を熟し、何年か前に衛くんからもらったアモス・ダラゴンを読む事にした。押入れの段ボールに祖母が俺の着替えやらと一緒に入れてくれていたのを知っていたので、それを引き摺り出した。
 雨が降っていて、少しだけ気温が下がって、クーラーがなくても扇風機だけで居間は涼しくて、俺はテレビのある部屋で寝転がって読書をしていて、いつ麻友が出かけたのか分からなかった。だから、祖母が帰ってきて、駅前でシューアイスを買って来てくれて、〝麻友ちゃんは?〟って聞かれるまで、本当に気付かなかったのだ。

 外は土砂降りに雨で、麻友のレインコートと、おばさんが持たせてくれた折りたたみの傘はなかったらしい。長靴は初めからなかったからサンダルで、麻友は一人で家を出て行ってしまっていたのだ。

  
 あの日、祖母の葬式に出る事なく帰ってきた父と義母は、祖母の家で当時の話をされたのだろう。子供だった俺は、確かに怖い経験はしたが、そこまで悪い事だとは思ってなかった。
 ただいなくなった麻友を探しにいつも遊んでいた公園に向かう途中で芽以ちゃんの友達に会って、麻友は丘の方に向かったのだと聞いた。
 だからそのまま大きな傘をさしながら丘へと向かった。この時、一旦家に戻ってその事を誰か大人に話していれば良かったんだろうが、九歳の俺はそんな事もわかってなくて。それに俺は麻友と違って、毎年の様にここの来ていたので、迷子になると言う感覚はなかったのだ。だけど麻友は初めてだし。麻友が向かったと言う丘は中学校に向かう坂の途中にあって、三日前に衛くんが夕日を見せに連れてってくれた場所だったからそこまでの不安もなかったんだと思う。
  
 雨なのに、夕日なんて見えるはずないのに、でもそれは雨が上がったら太陽の反対側に虹が綺麗に見れるって、俺がそう言ったから、だから麻友は、いつ雨が止むかもわからないのにレインコートを着て、サンダルでその場所に向かったんだと思った。

 長野の実家に帰った父と義母は、伯母にこう言われたらしい。

〝あの時の子やないの?アキラって〟

 先に麻友が来て亜希良の話をして、でも父も母も、そして麻友も、その時の子供が亜希良だったなんて知らなかったのだ。

 香織さんは当時、亜希良を実家に預けて遠方で働いていた。そして亜希良もその話を母親にしていなかった。だって、話したら怒られると思ったんだと思う。俺だってそうだ。

 丘に向かう途中、麻友は同い年くらいの男の子と、半袖の制服みたいなカッターシャツを着た高校生くらいの男の子と三人で歩いていた。俺が麻友に声をかけると、麻友は普通に手を振って笑った。高校生が麻友に〝友達?〟って聞いて、麻友が〝そうだよ〟って言って、そしたらその子が、〝君も来る?〟みたいな事を確か言って、だから俺は〝どこに?〟って答えたと思う。

 麻友は、ハムスターが居るんだって!と嬉しそうにしていたと思う。一緒にいた子が〝ゲームする〟って呟いた。その高校生は知らない人だったけど、俺を見て、〝相良の親戚だろ?〟って衛くんの名前を言った。知ってるの?って聞いたら、中学の後輩だからって、それで俺は衛くんの友達なんだって思ったんだ。でもその高校生の家に行ったら、誰もいなくて、部屋はとてつも無く汚くて、どう見ても、ハムスターなんか居なくて、ブラウン管の小さなテレビの前にはゲーム機がぞんざいに置いてあった。いくつものソフトも散らばって、でもそのどれもこれもが古臭くて、少し前の時代遅れのゲーム機で、鼻に付く家の変な臭いに麻友があからさまに嫌な顔をした。空気が澱んでる別世界のような空間、それに窓のカーテンも閉め切られてて薄暗くそれを見て俺はどうしたらいいのか分からなく立ち尽くしていた。高校生はジュース持ってくるから適当に座って、と黄ばんだ座布団を麻友の前に置いた。そして、濡れてるから脱ぎなよと、麻友のレインコートに手をかけたのだ。
 そこでダメだったんだって分かった。家に付いてなんか来ちゃダメだったんだって。そう思って泣きそうになってる麻友を見て、俺はどうしたらいいのかわからなくて、でも勇気を振り絞って帰ろうって言って、麻友の手を掴んだ。でもそれを聞いた高校生は、さっきまで笑ってたのにあからさまに怒り出して、

『は?なんで』
『やっぱり、帰り、ます』
『は?ふざけんな』
『・・・』
『帰るなら、お前、一人で帰れ!』
『いや、です』
『は?何だよ。何言ってんだよ!ほら!お前、要らない、帰れよ!俺はこの子と遊ぶから!』

 すると、急にもう一人の彼が、俺と麻友の手を引いて、玄関に向かって走り出した。高校生がなんか叫んでたと思うが耳に入らず、雨なんだか、涙なんだかわからず、顔をクシャグシャにして泣きじゃくる麻友と、震えていた俺を、彼はその家から連れ出した。そして出たところに衛くんが居たのだ。

 そして、その時助け出してくれた彼が、亜希良だった。

 それからしばらくして、それこそ数年後、その時の高校生が小学生を家に連れ込んで悪戯をして逮捕されてたなんて、知らなかった。
 麻友は一人で歩いてるところに彼に声を掛けられ、家にハムスターが居るから遊びに来ないかって?言われて、でも、知らない人だからと戸惑っていたところに、もう一人の男の子が来て、この子も一緒に来たらハムスター見にくる?て聞かれて、それじゃあ行くってなったところに俺が現れたのだと。

 その話が本当なら、結果的に亜希良は俺ら二人を守ったって事なんじゃないのか。でも祖父母の家で育った亜希良は、学校に馴染めず不登校気味で、その高校生と一緒にいるところを何度も目撃されていた。でも数年後に高校生の部屋から見つかったいくつの携帯電話に残された幼い子供の写真と映像、それに男女問わず子供ばかりを扱った何冊もの写真集。その彼が、特殊性癖があったのは一目瞭然で、亜希良は時を同じくして、母親の元に戻った。
 
 小さな町で起こった出来事で、悪戯された子の親の意向で報道もさせず、みんなが口をつぐんだ。

 衛くんはあの時、居なくなった麻友を探しながら、不審に思って彼の家の前まで来ていたのだ。地元の子供達の間でその高校生は以前から異種的に思われていたようで、俺らの事は誰にも知られてはいない。衛くんが話した伯母さんたち以外は。
  
 だから俺も亜希良も、当時会っていたなんて気付いてなかった。そして麻友も。

 それから麻友と亜希良が結婚すると言い出したのは、麻友の大学卒業が迫った頃だった。亜希良はその前年に東京で就職をし、麻友の卒業を待って、半同棲だった二人は、それを機に籍を入れようと決めたらしい。

 前に亜希良から、結婚したい旨を電話で知らされていた俺は さほど驚かなかったが、祖母の葬儀に出ることが出来なかった理由を泣きながら麻友に説明され、当時のことを覚えている限り有りのままに話した。決して亜希良が麻友を誘ったのではない事(この時に初めて、あの時の少年が亜希良だと言う事を知るのだが)、それどころか俺らは亜希良に救われたんだと言うことを、親たちに全てを話した。
 
 亜希良から結婚を聞かされた香織さんは、麻友の両親に黙っておくことはもう出来ないんじゃないかと悩み、命の恩人だと言う話を長野の親戚にも話した方かいいんじゃないのかと俺に相談してきた。

 俺からすれば、もう忘れてしまってた過去で(そもそもその後の事も知らなかったし)大事にする必要はないんじゃないかと答えた。

 でもその真実で、全く違う方向に向かって行くのだ。

 その日も朝から雨が降っていた。
 微かな電子音と降りしきる雨音で目が覚めた。
 その前の日から降っていた雨は、予報では止むはずだったのに、一段と酷く窓に打ち付けてくる。

 その日は大学は休みで、昨夜遅くまでゼミのレポートを書いていた俺は、そのスマホの着信音に相手を確認せずに電話を受けた。

〝類?〟と言う声と、〝寝てた?ごめん〟と言う声と、そして、もしもし、と言う前に、小さな声が、俺の鼓膜にその音を告げた。

 「麻友が、行方不明に、なった」

⑤過去、そして未来

 その手紙が手元に届いたのは、俺が実家に戻って、四日目のことだった。
 俺が下宿先から実家に戻って結構すぐに届いたと言うそれは、そこの同居人の郵便物に紛れ込んでしまっていたらしい。
 その同居人は決して親友でもなく、言葉通り本当の同居人で、これまでお互いの連絡先も知らず、小さなメモ用紙以外のコミュニケーションを取った事すらなかった彼から初めて送られて来たショートメッセージは、いつ戻って来るのか、と、なんなら実家に転送しようか、のその二点が記されていた。

 それほど親しくもない彼だが、きっと彼なりに、この手紙はいち早く俺の元に届いた方がいいと判断したのだろう。そして、下宿先の大家である老夫婦に、俺の携帯番号を聞いてショートメールを送って来たのだ。きっと、既に俺の実家の住所も知ってるであろう彼に、差出人の名前を聞いて、俺は速達でその手紙を転送して欲しいとお願いをした。

「大丈夫?」

 そう聞いた俺が、一番大丈夫じゃないなかもしれないが、今、亜希良に掛ける言葉は、これ以外にはないと思えた。

 麻友は、事故に遭っていた。

   
 俺が手紙を読んだ翌日、正確には、麻友が行方不明だと亜希良から電話があってから三日後にその連絡は唐突にきた。麻友が行方不明になって一週間が過ぎていた。

 喧嘩したんだ。そう亜希良は言った。だから実家に帰ったのだと思ったのだと。似た様なことは前にもあって、ほとぼりが冷めたら迎えに行こうと思ってた。だって結婚を一ヶ月先に控えた恋人がマリッジブルーになるなんて、よくある事なんだと思っていたのだと。

 そろそろ迎えに行こうと、居なくなって三日、週末に亜希良は麻友の実家に連絡を入れて、戻ってない事を知る。それ以前に、居なくなった日にLINEはしたのだと言うが、既読にはなるものの何の返信もなかったのだと。だがそれも冷たい様だが、それでいて亜希良は仕事が忙しく、麻友のわがままに付き合わされるのがうっとおしくもなっていたようで。

 売り言葉に買い言葉。

 その後連絡もなく、その封筒が亜希良が気づいたのは俺に連絡をしてきた日。その中には便箋が一枚、ありがとうとごめんなさいの文字、そして、麻友に贈った婚約指輪が入っていたそうだ。

 亜希良から連絡をもらって、俺は静岡の実家に帰った。そこには亜希良がいて、父がいて、香織さんが泣いていた。

 俺の祖母が死んだ時、父から亜希良に連絡があって、亜希良はその事を麻友に伝えたのだと言う。すると麻友は祖母の事は覚えている。面識があるのだと。幼い頃に家に遊びに行った事があると亜希良に話した。麻友ははっきりと長野の祖母の家の住所を覚えてなくて、でも芽以ちゃんとしばらく年賀状のやりとりをしていて、そこから彼女のSNSを知って交流もしていたらしく、すぐさまDMをして行く旨を伝え、住所を聞いて向かった。その時に類も来るのか?と聞かれ、〝多分〟とだけ答えたのだと。
 麻友が祖母の家に着いた時、芽以ちゃんとは入れ違いで会えなかったが、麻友は今、恋人がいること、その彼の出身も長野で隣町である事を以前から芽以ちゃんには伝えていて、行けたら彼と行く。祖母に紹介したかったからと伝えていたらしい。
 だが亜希良は行けなくて、俺も行けなくて、麻友が行った事で、過去の事が明るみになった。

 香織さんが伯母たちから聞いた話はかなり歪曲していた。亜希良が麻友と類を無理矢理その高校生の家に連れて行った事。その高校生と以前から亜希良は仲良しだと聞いた事、それは衛くんが伯母たちに話した内容だったのだけれども、当時あまり学校に行けてなかった亜希良が、その高校生と公園やらで会っていたのは事実で、随分と前から、誰でもいいから同級生も連れて来ればゲームをさせてやると言われていたらしい。
 でも亜希良はゲームと言う割にその高校生が最新のゲームの情報に疎いこと、一緒に遊ぶような同級生の友達もおらず、そんなつもりは全くなかった事、ただその高校生の彼が、中学生の頃から友だちが居なくてずっと一人なのは自分と似てると思って、どこかしら気にかけていた事。
 あの日、彼が女の子に声を掛けてるのを見つけ近づいた。ハムスターに会いたいと言った彼女に付いて行くことにして、でも彼の持ってるゲームが気になったのも事実で。だからあの日、彼の部屋に入って、怯え出した女の子を見て、ここに居ちゃいけないのだと瞬時に思って、その子とその友達の男の子とを連れて家に外に出たんだと。まさか、それが俺と麻友だったなんて事はもちろん気づいてなくて、名前も知らなくて、ずっと今まで封印していたのだと言う。

 香織さんはその事を麻友の両親に話して、承諾の元、彼らの結婚は決まった。
 麻友の両親は当時の話を俺の実母から聞いていたらしい。トラウマになるといけないと思い、麻友にも俺にも確認をしてなかったが、おばさんは後から現れた俺が、麻友を助けたと思っていたらしく、その高校生がその後に事件を起こしていた事までは知らなかった。

 だから、麻友の両親にしてみれば亜希良は、娘を救ってくれた少年で、十年近くの時を経て再会した事を嬉しく思い、二人の結婚を心待ちにしていたらしかった。
 だが、その頃から麻友の様子がおかしくなったのだと言う。結婚したくないと言い出した。どうして?と問えば、首を横に振るばかり。嫌なとこあったら直すからと言うとすぐに泣き出す、みたいに。

 それを単なる情緒不安定、マリッジブルーだと、亜希良も、そしてお互いの両親は思ったのだろう。俺は変わらず京都で大学に通いながら関西での就職を決め、アルバイトも続けながら卒業後もその地で暮らすつもりでいた。下宿先の大家は、しばらくは居てもいいと言ってくれ、同居人は一体何回生になったのか知らないが、相変わらず学生だったようで、その付かず離れずの関係性が心地よくて、その申し出を嬉しく思っていた。

  
「聞いても、いいかな」

 同居人が届けてくれた麻友からの手紙を受け取って、それを読んだ日、俺は亜希良に連絡して彼らが住んでいたマンションに向かった。
 麻友が居なくなって最初のうちは平常心だった亜希良は、徐々に生気を失っていき、仕事でミスを冒して休暇を取るように言われたのだと言う。
 マンションに足を踏み入れた俺は、その散らかりように彼の精神状態を慮った。

「大丈夫?」

 そう聞いた俺が、一番大丈夫じゃないなかもしれないが、今、亜希良に掛ける言葉はこれ以外にはないと思えた。
 
 これまで俺と亜希良と麻友と、どこかしら自分をよく見せようとしてきた様な気がする。それぞれが線を引き、自分のテリトリーには入らせない。麻友から下宿先に届いたその手紙は、ぎっしりと書かれた手書きの便箋で、当時の麻友の想いが書かれていた。

「あのさ、亜希良」
「ごめん、類、俺が、悪いの」
「え?」

 リビングに散らかっていたシャツやタオルを片しながら、亜希良は俺は座る場所を確保してくれ、座れよと顎でしゃくった。
 夕方とは言え、部屋に入る陽は陰り薄暗く、ライトをつけていないその場は、今の二人の心情の様だった。

「もう限界だったんだ」
「え?」
「俺が、追い詰めたの、麻友のこと」

 人をそう言う意味で好きになったのはいつだったか。
 幼い頃から、どこに行くのも麻友と一緒だった。母親同士が仲良しだった、と言うだけの理由で、お揃いのTシャツを着せられたり、色違いの靴を履かせられたり。もちろん幼稚園も同じで、ユニセックスなデザインの制服を着て、手を繋いで登園していた。
 中には、顔が似てる訳でもないのに、〝きょうだい?〟だの、〝双子ちゃんかしら?〟なんて言われた事も何度かあった。
 物心がついた頃から側に居た麻友は、俺にとってどう言う存在だったのか。
 今から思うと、少なくとも父も母も、そして麻友の両親も、お互い好意に抱いてると思っていたのかもしれない。ずっとではなくとも、それぞれの初恋だと思っていたのかもしれない。
 幼稚園で、クラスメイトから初めてチョコを貰った時も隣には麻友がいた。
 家に帰る途中、母はパートに行って居ないので、当たり前の様に麻友の家に行くと、おばさんがチョコレートチップが入ったシフォンケーキを出してくれて、それを食べた後、通園バッグからそのチョコを取り出し、包み紙を解いて食べようとした俺に、麻友は〝すきなの?〟と聞いてきた。

 (その子のことが) 「すきなの?」
 (チョコが?) 「うん、すき。」

 そう言ったら、なんでか麻友が泣き出した。なんで?泣くのか、全然意味がわからなかった。家に帰って母にその話をしたと思う。あんまり覚えてないけど、でも女の子の前で、他の子にもらったチョコレートなんか食べたらダメよって言われた。
 小学生になって、前みたいにずっと一緒にいる事は少なくなったけど、それでも、母親同士は家を行き来してたので夕飯を一緒に食べたり、休みの日には家族ぐるみでバーベキューに行ったり、他の子に言わせるとずっと一緒にいるよねって事だったみたいだ。
 麻友が仲良くなった子と、俺が仲良くなった事はあまり無いけど、俺が仲良くなった子は、漏れなく麻友も仲良くなって、いつの間にか、麻友の方が一緒にいることが多くなっていた。
 そしていつも、当たり前の様に、その子達はみんながみんな、麻友の事が好きだって言ってきて、〝ルイはどうなの?〟って聞いてきた。そのたび、俺はいつもどう言えばいいのかわからなかった。麻友の事は好きだった。でもちょっとなんか、子供の頃の感情なんてよくわからないけど、少なくとも俺は、幼稚園の先生が初恋の相手では無いし、女の子からチョコレートをもらっても嬉しいと言う感情が、人とはちょっと違っていたんだと思う。
 
  

 麻友から届いた手紙には、もう彼の元には戻れないと書かれていた。

 ルイへ

突然、こんな手紙を送って、びっくりしてると思います。
それとももう知ってるかな。アキラの事だから、もうルイには話したかなぁって思ってます。
ルイさえ良ければ、この手紙をアキラに渡してもらってもかまいません。

まず、今までごめんね。
ルイに嫌われても仕方ないことばっかりしてきたね、なのに怒らずにいてくれてありがとう。
ルイが京都に行ってからはあんまり会えなくなったけど、どうしてるかなって思ってました。

幼稚園の時、はじめてルイに告白した子、イジワルしちゃってごめんね。だってさ、ルイがその子の事、好きでもないのに、彼女のこと、好きとか言っちゃうからだよ。

それにね、あの時ルイが、本当は誰のことを好きだったのかも知ってた。
ごめんね、ルイから奪って。私の方が仲良しになって。

二年生の時は、隣のクラスのコウキくんだよね。五年の時は、同じクラスの横山くんだったっけ?中学の時も、バスケ部の同級生の子、気になってたでしょう?

だからね、アキラとルイが兄弟になって、ものすごくルイが戸惑ってるのも気づいてた。
バレンタインの時もさ、ルイの気持ちを試したかったの。

ごめんね。

本当にごめん。怖かったんだ。
アキラに、ルイを、取られた気がしてた。

東京の大学に行って、翌年にはルイも来るって思ってた。そしたらきっと三人で遊べるなって。ルイから初めて離れて、いろんな人と付き合うようになって、前に進もうって思ってたんだ。

でもさ、ルイが東京に来なくて、わたし、避けられてんだって思って。

だから、アキラは私のこと好きだって気がついててそれを利用した。ルイの気を引くために、付き合うって言ったんだ。

ルイが、あの時みたいに、アキラにダメだって言ってくれたら、やめようって思ったんだよ。
今更、そんなこと言っても、信じてくれないよね。

でも、ルイは、消えたよね。私の前から。そして、アキラの前からも。だから、だからね。
あれ、何て言ったらいいんだろう。うまく書けないや、えっと、えっとね。

もう、我慢しなくて良いのかなって。
ルイは、もう京都にだれか好きな人できたのかなぁって、そうだと良いなって。

もう好きじゃないのかなぁって、アキラの事ね。

そしたらさ、私、アキラといても、良いのかなって。

なんか好きになってた。勝手だよね、ごめん。アキラのこと、今はすごく好き。

ごめんね。

長野のおばあちゃんが死んじゃって、芽以ちゃんからアキラの話を聞いて。
あの時の、あの人が、事件起こして逮捕されたって、前にね、芽以ちゃんが教えてくれたの。
怖かった。でもね、あの時はルイが助けてくれたって、

ずっとね、ルイが私を助けてくれたって思ってた。

ずるいよね?
ごめんね。

あの日、家から連れ出してくれたのがアキラだってわかって、そう言えば、もう一人いたなって記憶には残ってて、ほんとそのくらいの印象だったんだよ。でもアキラだったんだってわかって。

知りたくなかった。お母さんはね、良かったわねって。ずっとね、私が、ルイのこと好きなの知ってた。なのにアキラが、あの日、助けてくれたのは、アキラだったんだって。

 
アキラに言うね。

ルイの事が、ずっと好きだったって。

だから、もうアキラとは結婚できない。

類へ

今までありがとう。
亜希良を、   類に、返すね。

「知ってたんだよね」
「・・・」
「麻友がさ、類の事、好きだったこと」
「・・・」
「でもさ、それでもいいかなって」
 俺の方を見ずに、そう話す亜希良の背中は、微かに震えている様だった。
「麻友が、類の事、好きならそれでも良いって。そしたらさ、そうだよ。ずっとルイが好きだったって。でもアキラは何にもわかってないって。アキラとは暮らせないって、今更何なんだよ」

 そう言う亜希良は、やはり疲れてるように見えた。
 俺が、何も言わずに二人から離れて、二人のボタンが掛け違えて。

麻友が事故に遭った。麻友の母親からその連絡が来て、病院に向かった。麻友は、身元が分かるものを持っていなかったらしい。事故に遭ったのは、おそらくいなくなった翌日、車の単独事故だった。

 夜中の山道で、目撃者も居ないような寂れた場所で、運転席には三十代の男性、そして助手席には麻友。直線で車はセンターラインをはみ出しガードレールに激突、事故か自殺か。運転席は大破し、運転手は死亡。車はレンタカーで、でも隣に居たから、彼の知り合いだと思われた麻友の身元はなかなか判明しなかった。

 結論から言うと、彼と麻友は面識がなかった。その直前までは。
 彼は数日前に会社を解雇され、それを妻に言い出せずに居たらしい。免許証から身元が判明し、彼の家族はその事実を知る。そして、麻友の身元が分からず、彼の交友関係を当たったが、年齢的に、性別的に、愛人ではないかと思われたらしい。それを裏付けたのは、彼が利用していた出会い系サイトで、その履歴に麻友とのやり取りが残されていた。
 それによると、事故に遭う数十分前に、駅のロータリーで麻友が彼の車に乗り込む所が防犯カメラに映っていた。その数分前に、駅の改札を通る麻友の姿も。

 出会い系サイトで出会った男女の目的は何だったのか。そのサイトの履歴でも、それなりのやり取りで、一緒に過ごしてほしいと言う彼の要望に、麻友が返信をつけ、その時刻に落ち合っていた。

 その二人が、車内でどんな会話をしていたのか、そしてどこに向かっていたのか。

 彼の家族は、一緒にいた麻友が、彼にどんな影響を与えたのか、死亡してしまった彼と、生き残った麻友。家族が誰かに責任を押し付けたいのは分かりきっていて、でもそれだけの理由が、きっと麻友にはなかった。

 麻友は一命は取り止めた。頭を強く打って、長い間意識がなかった。
 そして両下肢に傷を残した。

 顔は比較的綺麗なままで、やっと意識が戻って、記憶もあって、自分の名を口にして、でも麻友は亜希良には会いたくないって言ってるらしくて、両親は結婚前にこの様な事故を起こして(起こしたのは麻友ではないが)、うちの実家に頭を下げにやってきた。
 呼び出された亜希良は、それを受け入れず、麻友の回復を待つと言って、反対に麻友を追い詰めてしまったことを詫びた。

「突然さ、別れてって言われて」
「・・・」
「俺はさ、それでもいいかなって思ってた。麻友が類の事好きでも、俺が、麻友の事を、」
「違うよ」
「え?」
「麻友は亜希良の事、好きだよ」
「・・・」
「俺のせいなの」
「・・・」
「麻友は知ってたんだ」
「なにを?」

「俺が、ずっと亜希良を好きだった事」

 麻友の誤算はアキラを好きになってしまった事なのか。だとしたら、麻友はこれまでどんなつもりで居たのか。俺に気持ちを打ち明けられないと気付いた日から、麻友は今まで、何を見て、何を感じて生きてきたのか。

 バカだ。麻友は、俺もだけど。

 亜希良が、目を見開いた。
 やっぱりわかってなかった。
 わかるワケないよね、だって、俺は逃げたんだし。

「えっと、ごめん、それって」
「そのままの意味だよ」
「えっ」
「俺さ、ゲイなの」

 亜希良が俺を見てえっ、とまた呟く。いや、あからさまに絶句してるのかな。
 まぁこれまでの亜希良を見ても、その反応は想定内で。視線に耐えられなくなり、すっと外した。そして、何も言わなくなった亜希良に、俺は持ってきたサコッシュに中から、麻友から届いた手紙を亜希良に渡した。麻友から俺宛に手紙が届いていた事は、先に亜希良にはLINEで知らせておいた。

「読んでも、いいの?」
 それに、うんと頷き、場所を開けてくれたそのソファに腰を下ろす。立ったまま俺からそれを受け取った亜希良は、封筒から引き抜き、暗がりのままそれを読み始めた。

「ごめん、類」
 手紙を読み終えた亜希良が、それを封筒に戻して、俺の前まで来て、軽く屈んでそれを手渡してくる。
「ごめん」尚もそう告げる亜希良は、少し泣いてる様にも見えた。

「ちょっと混乱してる」多分、それは俺のことだろう。

「俺こそ、ごめん」それに、違う、そうじゃなくてって、と首を振る。

 その日、麻友に、ずっと、麻友が類のことを未だに気にしてる事も知っていたのだと。告白して、麻友と付き合う様になって、それでも麻友は自分を過小評価し続けていたのだと。
 男友達に自分の前で連絡したり、二股をしてるような素振りもあった。そうすれば俺が怒るだろうと、自分の事を諦めるだろうと。

「俺さ、類も、麻友の事が好きなんだって思ってて、前にも言ったと思うけど」

 二人はおそらく両想いなのに、なぜに一緒にいないのか、ずっと不思議に思ってた。だから、昔、自分が出会う前、中学生くらいの時に一度付き合って、上手くいかなかったのではないだろうかと思うことにしたんだと。でも、それでも話の節々に、麻友が類のことを想ってるのが手に取るようにわかったと。

「それは」
「まぁ、聞いて、よくよく考えたら、違うってわかるんだけどさ」
 それはきっと麻友のワガママが原因で、後は焼きもちを妬かせたい麻友の言動が気に入らなくて。
「でもどっちも違ってて」
 麻友はその日、〝消えたい〟と言っていたのだと。俺にも、亜希良にも嫌われたくて、酷い事をしたのに。自分がいなければ、類も、亜希良も一緒に居れたんじゃないのかと。引き離したのは、自分だと。

「俺さ、言っちゃったんだ。消えたいって言った麻友に、だったら消えろよって」

 でも、だからって麻友がそんなことする訳がない。車内には争った形跡もなくて、もしかすると自死を仄めかした彼を、麻友は否そうとしたんじゃないのか。本当の理由は、今は誰にもわからない。麻友がなぜ、その男の車に乗ったのか。

「謝りたいよ」
「そうだね」
「・・・」
「ちゃんと謝って」
「・・・」

 会話が足りてなかった。俺も、亜希良も、そして麻友も。

「それでも、わからなかった。ごめん」
 今、麻友の手紙を見て、初めて意味がわかったと。麻友が、どう言うつもりでずっといたのか。

 先ほどまで、薄暗かった部屋が、ほんの数分で暗闇に近くなった。カーテンの向こうの、向かいのマンションの明かりだけが、その部屋を照らす。そこで、俺は麻友の話をした。直接告白された事はないし、まさかずっと思われてるとも思わなかった。正直、自分の事しか考えてなかった。麻友は俺に意地悪して来たって言うけど、そんなことは思ってない。ただ、高校の時に、バレンタインで亜希良にってチョコレートを渡されて時、ああまたか、ってまた、麻友が好きでもないのに、横入りしてきたって。

「でも、亜希良は結構すぐに麻友のこと、好きになったよね」

 それはいつも。ちょっと冷めてる麻友の言動で、いつもその相手の方が麻友を好きになる。何度も見てきた。その都度、麻友が悲しそうな目をするのも。

「でもさ、麻友が好きだよ。そう意味じゃないけど、それを、ちゃんと麻友に伝えてあげれば良かった」
「・・・」
「麻友はさ、いつもきっかけをくれたんだと思う。でも毎回、俺は逃げてた。だって勝てないよね?だって、あの麻友だよ」
「あの、麻友」
「そう、あの」
 少しだけ風が吹いて、レースのカーテンが靡く。灯りを点けてないその部屋で、お互いの表情が交差する。

「言ってなかったけど、京都に、いるんだよ。恋人」
「・・・」
「もっと早くに言えば良かった。バイト先のオーナーで、もう何年になるかな?最初はそんな気もなかったんだけどさ、付き合ってって言われて、でもさ、今はちゃんと好き、かな」
「・・・」
「だから、麻友の気持ち、わかるよ」
「・・・」
「麻友は、好きだよ。亜希良のこと」
「・・・」
「だから、守ってあげて。麻友の側に戻ってあげてよ」

 亜希良が、手の甲を目元に寄せる。顔を伏せて、しゃくり上げた。

「そうだ、今まで言えてなかっな事があって」
「なに?」
「ありがとう」
「え?」
「あの日、助けてくれて、俺と麻友を、守ってくれてありがとう」

 それから俺は、京都に戻って大学を無事卒業し就職をした。静岡に戻る約束をしていた俺が、関西で就職をする事に少しだけ残念がった母は、今でも父と穏やかに暮らしている。
 アルバイトは辞めることになったけど、そこが今でも、俺の居場所になっていた。

「泊まるんだよね?実家に」

 下宿先の居心地が良すぎて、それから二年ほどそこで過ごした。その間に同居人が、大学を(やっと?)卒業し、東京に就職の為に向かう前日、初めてかもしれない彼とLINEの交換をした。
 あれからも彼とは、数十枚に及ぶメモのやり取りをしたのに、不思議とダイニングでも洗面所でも、風呂場でも会う事がなかった。
 もう何年も同じ場所にいたのに、初めましてと挨拶した俺らを、老夫婦の大家さんは、嘘でしょ?と笑った。

 俺一人になった下宿先は、もっと学生を増やすために、ワンルームのマンションに建て替えられるらしい。〝追い出すようで堪忍ね〟そう言った大家に俺は首を振り、前々から同棲を求められていたパートナーのマンションに移り住むことにした。

 そして、その翌年、冬が過ぎ春になり、桜が満開になった頃。

「泊まるんだよね?実家に」
「日帰りで、こっち戻るよ」
「なんで?久しぶりなんだから、ゆっくりすれば」
「それはまた今度、その時は一緒に帰ろ」
 そう言った俺を、彼はびっくりした様な目をして、覗き見た。

「お兄さんの、だよね、結婚式」
「そうだよ、それと幼馴染」
「そっか」
「そうだよ。やっとだよ」

 

 例えばこれが、違う世界の話なら、俺はずっと逃げ回っていたのかもしれない。

 麻友に本当の気持ちを打ち明けなくて、傷付けた。亜希良の前からも逃げて、空回りするばっかりで。世の中の不幸は全て自分が背負ってるような。俺一人が気持ちに蓋をして、見えてないフリをすれば、周りは勝手に動き出すと。

 この世界の中で生きていく。    
 前を向いて、少しずつ。

 おめでとう、麻友。
 今日から、また。

例えばそれが、違う世界の話なら

 

 
 
 
 
 

 


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