炎上で稼ぐ人、雨で稼ぐ人。
SNSを開く。
今日も誰かが燃えている。
「またこの人か。」 「いや、今日はこっちか。」
Xという街は、毎日どこかで火事が起きる。
そして、その火を見物する人が集まり、さらに薪をくべる人が現れる。
私はというと、スマホを閉じてヘルメットをかぶる。
今日もUber Eatsのオンラインボタンを押す。
配達員にとって、本当に怖いのは炎上ではない。
**「鳴らないこと」**だ。
あおちゃんぺさんを見ていると、いつも思うことがある。
SNSでは「強い言葉」は、とてつもない推進力を持つ。
賛成する人が現れる。
反対する人も現れる。
反対する人が増えるほど、さらに拡散される。
ある意味では、炎上もまたアルゴリズムに愛される才能なのかもしれない。
もちろん、その裏では大きなストレスや批判もあるだろう。
だから簡単に「炎上すれば得」と言える話ではない。
それでも、SNSという世界では「注目されること」が何よりも大きな価値になる瞬間がある。
一方、配達員の世界はどうだろう。
目立ったら終わりである。
配達員は目立たないことが仕事だ。
商品を落とさない。
道を間違えない。
お客さんを待たせない。
静かに届けて、静かに去る。
最高の配達とは、「何も起きない配達」なのだ。
SNSでは事件が価値になる。
配達では平穏が価値になる。
この違いが面白い。
SNSでは、
「また炎上してる!」
と話題になる。
配達員の世界では、
「またマクドナルドか!」
である。
炎上はインプレッションを生む。
マクドナルドは売上を生む。
どちらも人を集める。
ただし、私はポテトを運ぶ側だ。
SNSでは毎日、誰かが誰かを論破している。
しかし配達員が毎日戦っている相手はもっと現実的だ。
向かい風。
ゲリラ豪雨。
信号。
坂道。
そしてマンションのオートロック。
このラスボスだけは、何年やっても攻略法が見つからない。
炎上を見ていると、「人はそんなに他人に興味があるんだな」と思う。
配達員は逆である。
他人よりも、自分の次の注文に興味がある。
タイムラインより、地図。
引用リポストより、配達ルート。
レスバトルより、ショートカット。
世界が違う。
SNSでは「正義」が毎日更新される。
昨日の正義が、今日は悪になることも珍しくない。
でも配達員の正義はずっと変わらない。
温かいものは温かいうちに。
冷たいものは冷たいまま。
これだけである。
思想より温度管理。
これが配達員の哲学だ。
SNSには、言葉で勝負する人がいる。
配達員には、時間で勝負する人がいる。
30秒短縮できれば、その積み重ねが1日を変える。
信号を一つ抜ける。
エレベーターを待たずに階段を使う。
店員さんとのやり取りをスムーズにする。
配達員にとってのライフハックは、バズるためではない。
今日の売上を少しでも伸ばすためだ。
私は時々思う。
もしUber Eatsにも「引用リポスト」があったらどうなるだろう。
「この配達、遅すぎ!」
「いや、この雨なら仕方ない!」
「いやいや、この店が遅い!」
コメント欄は地獄になる。
だから今のままでいい。
評価は★だけで十分だ。
★1は心に刺さるが、1000件の引用リポストよりは静かである。
雨の日になると、不思議なことが起きる。
世の中の人は外に出たくなくなる。
でも配達員は外に出る。
炎上する日はSNSが忙しい。
雨の日は配達員が忙しい。
だから私は、雨雲レーダーを見るたびに少しだけ笑ってしまう。
「今日はSNSじゃなく、空がバズってるな。」
そんなことを考えながら走っている。
あおちゃんぺさんを見ていて感じるのは、発信することの難しさだ。
何を書いても賛否が生まれる。
言葉は一人歩きし、ときには想像以上の広がり方をする。
配達員も似ている。
どれだけ丁寧に運んでも、一つのミスだけが記憶に残ることがある。
完璧だった99回より、失敗した1回。
人はどうしても、そちらを強く覚えてしまう。
SNSも配達も、その点では少し似ているのかもしれない。
結局、私は今日も配達へ向かう。
タイムラインでは誰かが誰かを批判している。
その横を、私はお寿司を積んで走り抜ける。
世界は広い。
言葉で戦う人もいる。
雨で戦う人もいる。
そして私は今日も、思想ではなく住所を追いかける。
炎上の日も。
土砂降りの日も。
バッグの中身だけは冷まさないように。
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