ポロリ俳句 ようやくの雨が降る
さきほど見かけた『醒睡笑』(安楽庵策伝著)の中の短いお話です。ヘボな現代語訳ですが、ご勘弁を。
博奕数寄者連歌師泥坊
道の傍らに土の上に直にむしろなどを敷いた貧しい家があった。それに住んでいる者が夜半過ぎに、咳払いをした。家の前の道を静かに通る音をききつけたのだ。女の声がして家の中で云う「何者だろうね。さてこの暗くて足下も見えない道を、深夜だというのに寝もしないでうろうろとほっつき歩くなんて」と。男の声で「あのように今時分歩き回るのは、他にあろうか。ばくち打ちか、数寄者か、連歌師か、三つのうちのでなければ盗人くらいであろう」と。
『醒睡笑(せいすいしょう)』は、江戸時代初期の笑話集で、安楽庵策伝によって1623年に成立。手元にあるのは、岩波文庫版(鈴木 棠三校注)でありますが、「序」にその笑いは、庶民を主人公にしたものではなく、戦国からひきついだエリートの笑いであるとあります。
この小話で可笑しいのは、深夜に徘徊する怪しいものは、「博奕数寄者連歌師泥坊」のいづれかだと、道ばたに住む人から見なされていることですよね。ばくち打ちと泥棒ならさもありなむと、いうところです。しかし、それらに「数寄者連歌師」を同列にならべているのが、面白いですね。
「数寄者(すきしゃ)」とうのは、風流人、特に茶人を指します。古く「伊勢物語」なら「好色な男」のことです。また「連歌師」とは、連歌の宗匠やら連歌を職業とする人間です。
それらもひとくくりに、夜間俳諧をする怪しい奴らと、埴生の家の住人が見なしております。埴生の家とは、「土の上にむしろを敷いて寝るような粗末な小家。また、赤土を塗ってつくった小屋ともいう。みすぼらしい家。賤しずが伏屋ふせや。」なのだそうな。その住人といえば、最貧に近い庶民でしたでしょう。そういう人の目には、そのように映っていたというのがわかる、貴重な証言です。
今時の知識ある人は、味噌も糞も一緒にする無教養な輩と一蹴するのでしょうか。けれども、これって当時の市井の一般人の平均的な認識であったのではないかとも想像するのです。
博徒やら泥棒は明確に反社会的存在ですが、数寄者連歌師もある意味常識的な暮らしから逸脱した人々と見なされていたということでしょう。堅気の人間ではないと。
こんなところで、引き合いの出すのは恐縮でありますが。
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
なんて、端から見るなら徘徊そのものでしょう、よっぽどの変人がすることではありませんか。
このような見方なり、認識なり、現代ではどうなのでしょう。
てなことで。
またまた暇時間長者の爺ィが訳のわからないことをブツクサいっておるわいと、お立ち寄りいただいた方は、あきれておられるに違いないと。
待望の雨が今朝から降り始めました。
けれども、期待したほどの雨脚ではないのですよ。
それでも耳を澄ますと、雨音が聞こえます。
春の長雨というのは、うっとうしいものでしたが、それも今は懐かしいような。
今日の雨を菜種梅雨の趨りかのようなことを云う人もいましたが、・・・。
ともにかくにも、春なら雨の降る日があってしかるべき、・・・でしょう。
