【おむすびはもう隠さない】~アイデンティティは食から生まれた~5
その5 母がくれたものを繋いでいく
生まれ育った国の文化、その地方の文化、家の文化。
私たちのアイデンティティを育む文化は一様ではない。
人は台所から育つ
母親と台所に立つことで培われる食文化を自分の家庭に繋いでいくこと。今でこそ男女差を持ちこまない世の中になったが、かつてはこれが、女の子の理想形だったように思う。
ところが私は、18歳でできるだけ家から離れることを切望した。家族の納得を得るのに時間はかかったが、結局思いを貫き東京へ出た。
中高生の頃には農繁期の食事担当を務めることはあっても、母とも祖母とも一緒に台所に立つことがなかった。ひとり娘の名が泣いている。しかも、実家住まいに戻らなかったので、家庭の料理は教わらないまま今に至っている。
田舎の家族が想い描いたような、親孝行な娘でなかったことを申し訳なく思う。
もっとも、料理の学びということならば、田舎町を出たことがなく、洗練された味を知らない母よりは、『栗原はるみ』さんの料理本が私を主婦たる者にしてくれたと思っている。母よ、ごめん。
今にしてわかるのは、料理の仕方そのものを教えてもらうことが一番有益なことではなかったということ。もっと大切なことが台所から始まっていると私が知ったのは、三つのことを通してだった。
『誰かが嬉々として、家族のために食事を作っている』
その姿を知っていることがよかった。
『おしゃべりは台所で手を動かしながら』
向き合って話すのと違って恋バナが飛び出すのもこんな時。何を作っているかは二の次だった。
そして『皆で食卓を囲む』
あたりまえと言われそうだが、そのあたりまえをしてもらった子ども時代と我が子に対してもその環境があったことの意味は、計り知れない。
食を分かち合うことができなければ‥‥
それは長男甲斐が、初めて就職した頃だった。彼はイギリスの地方都市で、二人の白人イギリス人と同居していた。それは、一軒家に住みたいが、経済力のない若者が、合理性で選ぶハウスシェアだった。
その家にはまずキッチンテーブルがなかった。
確かにイギリスの食事はディナー皿一枚ですべて事足りるので、お皿を膝にのせてソファーで食べる人たちも居る。テレビと向かい合う形で食事する姿は、ポップコーンを食べながら映画を観るのとなんら変わりがない気がする。
食卓で食べられないことが甲斐にとっての一番の不満だったというが、ハウスメイト達はそのことに疑問すら抱いていなかったという。
一人は料理を一切せず、買ってきたものだけ、もう一人は毎日同メニューを作って食べ続ける。ハウスメイトの二人は食べることを大事に思っていなかった。
そんな『料理を楽しむこと』も『食卓を囲むこと』も共有できない場に居た甲斐には、普段の食欲が出てこなかったのだろう。
その年のクリスマス、半年ぶりに帰省した甲斐は、目に見えて痩せていた。仲は悪くないのに、『食』の歓びがないというだけで、彼にとってはこれほどまで魂の抜けた環境なのだ、と知った。
『共に食す』ことは生きる力になる。
何を食べるかに負けないくらい、誰と食べるか、どんな雰囲気で食べるか、は大切な要素だと思う。
たとえミシュラン星のレストランで食事ができても、居心地の悪い相手となら心身が滋養を受けたことにならない。家で誰かが険悪な状態なら、夕飯は砂を噛むようなものだし、消化にも悪いだろう。
そして素材の生産者さん、生き物の命にも想いを馳せ、感謝とともに「いただきます」を言える者でいたいと思う。
母を超えていく息子
次男の飛勇が18歳で体験した日本生活では、北海道の農業生活の後、沖縄へ渡った。数か月の牧場を経て、ゲストハウスで働いていた時だ。お客さんだった湖畔のゲストハウスのオーナーが飛勇を遊びに呼んでくださった。そのゲストハウスのお客様はバーベキューなどの自炊システムなので、オーナーさんはご自身の食事には頓着されていないご様子。一宿一飯のお礼に飛勇が作った食事がことのほか喜ばれたというのだ。
そこに在ったものだけでチャチャッと作ったスパゲティを食べて「こんな美味しいものどうやったら作れるの?」と驚かれ、用意くださる食材で毎食の料理を任せてもらったらしい。
食事が楽しいので「ずっとここに居てほしい」とまで言われたとか。
そんな飛勇は現在はイギリスの大学生。飲食のバイトをしながら、学生ローンだけでは足りない生活費を賄っている。
キッチンポーター (洗いもの担当) として入ったキッチンでいつの間にかシェフの補佐を任されるようになった飛勇は、大学の休みに帰省できないほど忙しくなった。シェフなら長時間労働はあたりまえだと言われるそうだ。いや、シェフじゃないやろ、本分は学生なのだ。認めていただいてありがたいことだが、母は本末転倒にならないことを祈っている。
母がやらずにはいられないこと
私の母は、私が帰省を終え長旅に発つ前は、必ず炊きたてのご飯で握ったおむすびを持たせてくれた。
子どもが大人になるくらい歳を取った私を相手に、それはずっと変わらなかった。
高速バスや特急列車の中で開く母のおむすびは、捨てずに取ってある包装紙と、そのままポケットに仕舞えるハンカチで包んである。
母の元からやって来たハンカチの数は、私が日本に帰省した回数でもある。

老いとともに、母は4合の米を5合分の水で炊くようになっていた。うちの息子が「ばあちゃんのピチャめし」と呼んだご飯だ。
けれど母が一家の主婦である限り、その糊のようになったご飯をいただいた。ご飯が美味しければもっとおかずが楽しめることはわかっていたが、居候の立場からの、母の台所への敬意だった。
帰省という響きは、人によって違うかもしれないが、私にとっては、親に甘えに行く、ホッとして普段の緊張から解放されるというものだった。この年齢までそれが続いてきたことが、当たり前でない幸福なのだ。
去年の夏に実家を訪れた際、認知症の母の家事能力の低下に愕然とした。
三週間の滞在では、帰省した充足感よりも、先行きの不安がつのった。
母は冷蔵庫にたくさん残る煮物と同じものを、連日作ろうとした。ゆで卵をグラグラと延々火にかけ、煮汁の少ない鍋はしょっちゅう焦がした。
そんな台所での失敗を続けた母は、炊いてあるご飯がなくなる事態だけは避けるべく【飯炊くこと】というメモをたくさん貼った。
自分の失敗を私に見られるのがどんなにか嫌だったことだろう。そのうち観念したのか、多くを私に任せるようになっていった。
次のご飯は私が準備するというタイミングで、自分用に硬めにご飯を炊き、一食分ずつ包んで冷凍した。
実家で自分の為のご飯を炊いた時が『甘えたい娘』から『介助する娘』に移行した象徴だったように思う。
任せた安心からか、母は自発的に家事をすることもせず、微熱を理由に日中も寝ている事が多くなっていた。
ところが驚いたことに、私が実家を発つという朝、6時前から早起きしてご飯を炊き、私のためにおむすびを作ってくれたのだ。
朝が慌ただしいだろうから、と急ぎでも食べられるように。「今食べても持って行ってもいいように作ったし」という配慮まで見せながら。
きっと起きられないと思っていた母が、逆に朝の苦手な娘を気遣ったのだ。あの朝の突然の変化はどういうことだったのだろう。
高速バスの中で、やっぱり柔らかすぎるおむすびを口にしながら涙がとまらないのだ。どこまで齧っても梅干もなにも入ってない、わずかに見える紫蘇の色。もはや母が何をしたかったのかわからない。
それでも手を合わせるほどに尊かった。感傷というのは不可思議なものだ。

そして私も母
大人になった子どもたちが自分の居場所に戻っていく朝は、決まっておむすびを作る。
母が私に作ってくれたおむすびは、母と涙で別れた数時間後に、また母の温もりを思い起こさせる。『余韻』ってやつだ。
私が子どもたちにおむすびを持たせるのは、道中に食べられるものが必要だからというだけではなく、自分の余韻を長引かせたい邪さもきっとある。
「サンドイッチとおむすびどっちがいい?」
本当はおむすびを作る気満々なのに、建前としてこれを訊いてしまう。
サンドイッチも嫌いなはずがないとわかっているが、彼らにとって、これほど嬉々としておむすびを食べさせたがる人間など、私しかいないのだ。そりゃあ、そこで「おむすび!」と答える君たちは大正解だ。
忖度けっこう。
ついでにこんなことも言ってしまう。
「匂いで、周りの人が振り向いたりしない?」
「知るか!」
あははは、いいぞいいぞ、それでいい。
自分たちのアイデンティに胸を張っていけ!
おわりに
むすんで、ひらいて
こんがらがって、ほぐして
自分たちのアイデンティティを模索した日々。
これから何度おむすびをむすんで行けるだろう‥‥
こどもたちの旅立ちに、
いつまで私は忘れないで作ってやれるのだろうか。
「最期の食事はおむすびでお願いしたい」
これだけは頑なに私が言ってきたことだし、五年前だったら本にそう書いていた。
けれども、認知症になった母が、食べたことを忘れたり、なんでもいいから食べたい姿を見ていたら、なんだかどうでもよくなった。
死ぬ間際に食事が喉を通るなんて期待しても仕方ない。
先のことは誰にもわからないから、今を味わって生きるしかないと思う。
あれから父が逝き、ひとりになった母も老人施設に居る。帰れる実家は無くなった。
母の握ってくれたおむすびは、あの日が最後になってしまった。
「娘がイギリスへ帰る」というスイッチが入った母の、奇跡のおむすびには、今でも目頭が熱くなるのだ。
まったくおむすびは泣かせてくれるよ。
握るというより、結ぶと呼ぶ、おむすび。
それは結ばれた絆の象徴なのかもしれない。
濡らした両掌にざらざらっと塩を擦り込む。
「熱っ、熱っ」と言いながら、素早く梅干しを芯に入れて、
両掌のなかで弾むように転がす。
それは祈りであり、
歓喜である。
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