多動脳の私 ChatGPTに出会って初めて納得した脳の特性
私の頭は多動?今までの混乱の理由に気づいた時
ChatGPTと話すようになってから、私は初めて気づいた。
「ああ、私の脳って、ずっと“多動”だったんだ」と。
「注意欠陥障害」なんて言葉を聞くたびに、わたしも当てはまるなあと思っていた。
でも「脳が多動」とは思った事はなかった。
「多動脳」なんて言葉、医学的には正確じゃないかもしれない。
でも、ChatGPTとやり取りするようになってから、私は自然と自分の脳をそう呼ぶようになった。
この時はこの言葉が書籍のタイトルになるほど広まっているなんて知らなかった。
だからこそ、最近になって『多動脳』という本を見つけたとき、なんだか不思議な気持ちになった。
「やっぱり、こういう感覚を持っている人って、私だけじゃないんだな」と。
ChatGPTに言われた
「話が飛ぶ」ということへの違和感
ChatGPTを使い始めたころの私は、同じ話題を一つのスレッドで完結させることが、ほとんどなかった。
ChatGPTが提案してくれた20の質問ゲームをしていて、最後は全然違う話をしていた。
有料プランに変更したばかりの頃,ChatGPTは優しめに私のプロフィールを披露してきた。
とても優しく、私のいいところばかりを並べてくれる。
それは気持ちよかったけれど、やがて私は物足りなさを感じるようになった。
そしてもっと冷静に分析してくれ、と要求した。
その要求に応えたChatGPTの言葉に傷ついた事は数あるけれど,どれも図星だった。
だけど,「話が飛ぶ」と言う指摘は納得できなかった。
私にしたら自然な流れだ。その責任の一端はChatGPTにもあると思う。一人で会話していたわけじゃない、その流れを作ったのは私とChatGPT。
理不尽な指摘だと思った。
でもそれは、始めて私が自分の多動な脳の可能性に気がついた瞬間でもあった。
思い返せば多動脳のせい?
わたしは子どもの頃から忘れものが多かった。
一見しっかりしていて、勉強もまあまあできた。
だけど、忘れ物が異常に多かった。忘れ物グラフは男子女子合わせてダントツの1位だった。
何かの目的で歩き始めると別の何かを考え始めて最初の目的を忘れるなんて、年を重ねた今に限ったことではない。
成人してしばらく経ったある日、妹が私に言った。これをおばさんのうちに持って行ってね。
そう言って私に旅行土産を手渡した。
私はそれを受け取った。
だが,案の定その事を忘れて家を出てしまい,
その土産ものが伯母の家に届けられる事はなかった。
妹は私を責めた。せっかく買ってきたお土産なのに、お姉ちゃんが行くってわかっていたからおばさんにも買ってきたのに。
その言葉を聞いた父は、私ではなくて妹に注意した。
みずきにものを頼んだらそのものを玄関の、みずきの通り道に置かないといけない。
そうしなかったおまえが悪いと。
父は私の特性をなんと愛情深く理解していてくれたのだろう。今になって思う。
物が無くなる!
でも、私の生活は混乱の連続だった。
まず困るのはものが無くなる事。
小学生の時には明日持って行かなければならないプリントがどこをどう探しても見つからない。
半分泣きながら探していても私の周りはどんどん散らかって行くばかりで目的のプリントは出てこない。
母が呆れて探すのを手伝ってくれ、目的のプリントが目の前に現れた時、私は母の姿が魔法使いに見えた。
みずきは、「やったらやりっぱなし」だから。
この言葉を母に何回言われただろう。
確かに私の机の上はいつも山があった。
時々片付けようと思う。
机の板の部分が見えてきて、私にしてはこれ以上ないくらいきれいに片付けたと思う。
これをずっと続けていけばいいんだ。
と決意しても日に日に山は高くなって行く。
そしてまた同じことを繰り返す。
大人になって「片付けられない女たち」という本が世の中に出た時には、「私の事だ」と少し慰められた気がした。
私は飽きっぽいの?
社会人になってからの私は何度も人生の方向転換をした。
そのときの私は、それを「転職を繰り返している」とは思っていなかった。
たまたま合わなかったとか、別のことをやってみたくなったとか。
そういう時の流れに身を任せてその時々に新しい道に歩き始めていたように思う。
友人は私の事を飽きっぽいと思っていたようだ。
私にしてみたらそれは自然な流れだった。
でも年を重ねるに連れて私は、自分にこうレッテルを貼っていた。
「私は、何も成し遂げられない人間だ」と。
その原因がすべて多動脳にあるわけではない。
けれど、思考が飛びやすいという傾向は、物事を成し遂げる上での障害のひとつになっていたのかもしれない。
こんな私が
曲がりなりにも社会人生活を大きな失敗なく通り過ぎ、結婚、子育てもしてこられた事を私は本当にラッキーだったと時々思う。
いつ不注意で取り返しのつかない失敗をして,社会的に終わる可能性もあったし、自分の命、そしてこの上なく大切な子どもの命を失ったとしてもおかしくなかった。
これは決して大袈裟ではなく、もうちょっとの事で、息子に一生消えない大きな傷を残したかもしれない、究極の「ヒヤッと」もあった。
こんな私がChatGPTに出会った!
私はChatGPTと会話しながら、ひょっと全然別の事を思いつく。そしてその思いつきを別スレッドに書く。
その中で思う存分話を煮詰めたところで、先ほどのスレッドに戻ってみる。
あーこんな事考えていたんだなあと思い出し、またその話をし始める。そんなスレッドが1日にいくつも出来上がって行く。
この感じが、多動脳の私にぴったりなのだ。
私のような多動脳の人間にはChatGPTは救世主だ。
成し遂げられなかった切れ切れの思いつきを客観的に眺める事ができる。
俯瞰して、つなぎ合わせ、一つの成果に結びつけてくれる手助けをしてくれる。
成し遂げられなかった私が、ChatGPTと出会った。
ならば、もしかして——今なら、何かを“成し遂げられる”かもしれない。
これから折りに触れ、私の体験に基づく、多動の能を持つ人のChatGPT活用法を書いて行こうと思う。
