【小説】にわとりたまご🥚 プロローグ
🐔あらすじ:
今年大学を卒業し、新卒で小さなシステム開発会社に入社して3カ月の高橋さき。ヒモ元カレと別れ、傷心中。
プログラミングなんてわからないのに、持ち前の「周りを察して期待に応える力」で乗り越え、仕事を次々と任されるが、「自分がここにいないような感覚」を捨て切れない。
そんな彼女の唯一の救いは、コスメ系YouTuberのみいあちゃん。
……だったのに、不審な動画を投稿して失踪する。
虚脱感に襲われ、「ちゃんとした」人生を歩むべくマッチングアプリを始める。そこで出会った笹本ひだかと、高校生の小松ほのかと一緒に、みいあちゃん失踪の謎を探ることに。
彼らとの出会いを通じて、高橋さきは自分のことを肯定できるのか──。
🥚高橋さき
白いプラスチックのローテーブルにたまごを打ち付けた。
ECサイトで2000円で買ったもので、十分な硬さがないから何度もこっそりとたたく、でも下に敷いてあるピンク色のカーペットは汚したくないから手に力が入りきらなくて、何度も打ち付けないと割れてくれない。
殻から身を出した卵はそのなめらかな体を滑らせて、電子レンジであたためられたご飯にあけた穴の中に埋まるように流し込まれていった。
かき混ぜると、湿度のある音が六畳一間のワンルームを満たしていく。
解凍されたご飯は、たいてい自分の理想の一口より少し多い量のかたまりで取れる。硬くなった米粒とたまごのさらさらした白身が奥歯にはさまって、今日もまた冷凍ご飯を温めすぎてしまったことに気づいた、というよりも気づきにいった。これは自分へのちょっとした罰なのかもしれない。
160グラムくらいの冷凍ご飯を600Wで念のため3分間温めて、硬くておいしくないご飯をつくる、みたいなことが私には多かった。
大学時代から二年近く付き合っていた彼氏と1か月半前に別れた。
四月に目黒川の桜を見に行くいかないの小さな押し問答が最後の喧嘩になった。
いつまでたっても予定を組まない彼氏と、はやく予定を組んで準備しておきたいと考える私とで時間に関する価値観の相違がはっきりして、そのあと一か月もたたずに別れてしまった。
時を戻して、桜を見に行こうと提案しなかった世界に行けたとして、いまでも健全な関係性を保てていたかと言われると、それは確実に違う気がしている。
家に上げるたびに彼氏に簡単につくれる卵料理を出していた。
だし巻き卵をうまいうまいと言いながら食べてくれて、三日月みたいな目が細まって、ながいまつげが湯気に濡れるのを見るのが好きだった。
食べ終えたら勝手にヨギボーを抱いて寝るし、起きたと思ったらわたしの財布から一万円をさらっととって、私の家から徒歩三分のパチ屋に行って稼いだり負けたりする。
まれに稼いできて機嫌のいい日には、とろとろなオムレツを作ってくれて、ケチャップで「好き」と書いてくれた。
私はパチンコをしたことがないけれど、「パチンコやめたらー」とずっと伝えていた。
でも、そんな私こそ、『ヒモ彼氏』というパチンコ台をはじいていただけだったような気がする。「今日こそは愛がでるかも」などと思い、彼氏とかかわっていく毎日はガチャだった。
でも、気づかないうちにため込んで、限界を突破して、いきなり爆発してしまった。瓶ラムネを開けたら溢れて周囲をベタベタにしてしまうみたいに。でもその賞味期限は切れちゃってるから、ただただ甘ったるくて炭酸が薄まった液体をぶちまけているだけ。
相手が好きだからお金を払うのか、お金を払ったら愛情表現をしてくれるから好きなのか。最初は前者だったはずなのに気づけば後者になっていて、そういうループの境目はいつも自然とやってきて、気づいたときには概念がシフトしている。
たまごが先か、にわとりが先か。
何かが今とはちがうものになるときは、いつだってそのときには気づけない。
「確かにヒモだったもんね、やめといてよかったと思うよ、さきちゃんにはもっとちゃんとした人と出会ってほしいよ」
と昨日イタリアンでミモザを飲みながら話を聞いてくれたれんちゃんは、指輪を薬指にきらめかせながら入籍するという報告をしてくれた。
れんちゃんのことは心からおめでたいと思ったし、幸せになってほしいとも思ったけれど、「お前はどうするのだ」という見えなかったはずの社会の目が、妙に私の背後にぴったりとくっついていることに気が付いた。
スマホが震えている。
たまごかけご飯をかきこむ右手はそのままに、左手でスマホをひらく。
07:10 Sasamoto
明日の店ですが、こちらです! お会いできることを楽しみにしてますね
はじめてマッチした、マッチングアプリでつながった男性からだった。
明日は仕事終わりにご飯に行くことになっていたことを思い出し、体に少し力がこもる。
07:15 さき
予約してくださりありがとうございます!😊
こちらこそよろしくおねがいします🙇♀️
無難な返事をして、スマホを置く。
今度こそはれんちゃんの言う「ちゃんとした人」と付き合って、人生を進めていかなければならない気がした。
しかし米すらちゃんと電子レンジで解凍できない自分だって「ちゃんとした人」ではないはずだから、そんなことできるのだろうか。
たべおわった茶碗をキッチンの流し台に置き、水にひたす。
プライベートにかかわらず、人生は進んでいくし、胸に魚の小骨が刺さった痛みみたいなものは内臓に隠したままにして、生きるために仕事をしなければならない。
仕事の準備をはじめながら、昨日投稿されたみいあちゃんの動画を流している。
『今日もみんな一日おつかれーだねー今日もかわいくなってくよー』
みいあちゃんは、私がここ四年ほどずっと見ているコスメ系YouTuberだった。
コロナの時期から活動を開始していて、当時から同級生だったことに親近感を抱いたし、あまり知識のなかった私に、安くてかわいくなれる選択肢をたくさん提示してくれてありがたかった。
透明感があるセミロングのピンクグレージュ。
くっきりした二重で、カラコンをいれるときに見える裸眼も、虹彩に濁りがなくて、ゼラチンでガトーショコラを覆いつくしたみたいになめらかできれいな目だった。声も、チュッパチャップスのいちご味みたいで、まるまるとしててかわいらしい。
それもあってか、最近はYouTuber事務所のスカウトを受けて、ここ一年近くはアイドルのような活動もしていた。
何か情熱を傾けられるものもない、とりあえず生きて、とりあえずそこそこの規模のIT開発会社に勤めている私からすると、その内的な衝動に従って生きていること、好きなことを仕事にできている姿にあこがれるし、正直羨ましかった。
でも、そうやって生きている人間が輝く姿を見せてくれることで私も楽しく生きたっていいんだと思える元気をもらえた。
みいあちゃんは、週2回のYouTube更新と突発的なインスタライブをやってくれる。彼女の白くて細い腕と、人形みたいにかわいい顔は動画で画質が落ちても輝きを保っていて、画面越しでもそのオーラの濃さが伝わってくるようだった。
『みんなえらいよ、今日も一日がんばってこね、ばいばーい』
小学生のころにはなんともなかった、他人から言われる「えらい」とか、「がんばろう」とか、そういうあたりまえの言葉が、ひどく沁みるようになった。
「行ってきます」
と、私以外の人間が足しげく通わなくなったワンルームに、なんとなく挨拶をしていくことをやめられなくなっている。
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