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木漏れ日 (3)

 たぶん、マネージャーさんか馬場さんが僕らのことをこっそり監視しているはず。そんなに遠くには行けない。島野さんがどんどん奥に行ってしまうと困るなあと思ったけど、スタッフが泊まっているコテージの近くで林内をふらふら歩いている。本当に息抜きの散歩って感じだな。ただ、島野さんは「行くよ」と言ったきり。僕と話をするつもりはないみたいだ。それなら、僕も絵を描かせてもらおう。コテージのステップに腰を下ろし、島野さんが日傘を広げてメアリー・ポピンズみたいにひらひら歩き回るのを見ながら色鉛筆でスケッチを始める。彼女を、ではなく。軽井沢の夏を。
 ラストの一年は制作も就活もバイトも一気に忙しくなる。のんびり避暑を楽しむ余裕なんかどこにもないだろう。首尾よく就職できても、生活に追われる状況が変わるとは思えない。いや、むしろ今以上に忙しない日々になると思う。生み出した作品が余暇を連れてきてくれるのが一番理想なんだけど、僕にとってはそんなの夢のまた夢だ。技量やセンス以上に、創作に注ぐエネルギーの絶対量が足らないから。

「……ふう」

 僕はどこで間違えたんだろうな。いや……間違えたんじゃないか。絵以外の部分も含めて、自己主張がずっと不完全なままなんだ。さっき島野さんが言い放ったみたいな三下扱いとかお人好しとか使い勝手のいいやつとか、一方的に出来合いの型にはめられるのは嫌だけど、押し返す気力が湧かない。かと言って、色がなくなるまで自分を薄く淡く溶かすこともできない。何もかもが中途半端なまま、時間の流砂に飲み込まれてしまうってのはなあ……。いつまで経っても輪郭が定まらない自分自身にがっかりする。
 そんな始末に負えない心中どろどろ状態でも、色鉛筆は坦々と動く。手だけが自分の身体じゃないみたいに。意識がずっと内向きのままだったから、島野さんがいつの間にか隣に座っていたことに全く気づかなかった。

「ふうん」

 膝の上に置いてあったスケッチブックが、さっとひったくられた。

「わたし、いないじゃん」
「ああ、僕のは自動書記に近いから」
「え? なにそれ」
「手が勝手に動くんだよ。何描くとか、どうやって描くとか、全く考えてない」
「へえー」

 描き上がった絵をぱらぱら見ていた島野さんは、すぐに興味を失ってスケッチブックを放り出すだろうと思っていた。でも。彼女は食い入るように、舐めるように、僕の描いた絵を見つめ始めた。声が絶えて、梢を渡る風の音と小鳥の囀りが静かに降りてくる。僕と島野さんの上と周りをひっきりなしに木漏れ日が行き過ぎる。
 少し苛立った口調で島野さんが文句を言った。

「わたしを描かないんだね」
「目が拾わなかったのかな。人物、不得手だから」
「どして?」
「意思のあるものを描き止めるのが苦手なんだ」
「でも絵描きさんて、意思を描くのが仕事じゃないの?」
「……」

 彼女の言う通りさ。たとえ人物画でなくても、風景でも抽象でも描き出されるものは画家の意思だ。意思なきところに創作なし。でも意思の貧弱な僕は、どんなにもがいても意思を自分の小さな枠外に出せない。意思を枠の外に出すには、枠を壊すエネルギーと自分オリジナルのツール……創作方法が要る。創ることで意思を強化し、より高次のレベルに自分を持ち上げる。そんなの当たり前だと思う。その当たり前が、僕にはうまくこなせない。
 ぱんぴーの僕と違って、島野さんはプロの女優だ。僕とは全く違う世界で生きているから、しょうもない愚痴をこぼしてもスルーしてもらえるかもしれない。年下の女の子相手に愚痴なんて、すごく情けないけどね。

「スケッチって、写真とは違う。そこにあるものを一度自分の中で壊して、自分の意思と感性を使って組み立て直し、自分の一部として吐き出す。クリエーターなら必ずそうする。映画もそうだと思う」
「うん」
「その『自分』というところが、僕は極端に弱い。弱い自分を織り込むと、出てきた絵が歪んじゃうんだ。だから、入ってきた印象を何も考えないで絵にするの。濁りは混じらないけど、意思が噛まないから薄くなる」
「でも、写真じゃないんだよね」
「写真は嫌い」
「どして?」
「そこにあるものしか残せないから。もちろん、アートフォト撮ってる人はすごいと思うよ。この映画の監督さんもそうだけど、在るものにちゃんと意思を上乗せできるから、撮った画像や映像に魂が宿る。でも僕が写真を撮ったら、単なる事実にしかならない」

 ポーチからスマホを出して、フォトのところを見せた。僕は写真を撮らないから、ストックが一枚もない。島野さんが呆れ口調で言った。

「清々しいほど何もないね」
「でしょ?」

 俯いてふうっと一つ息をついた島野さんが、思いがけない言葉を風に流した。

「馬場さんが心配してたよ。沼にはまってるなあって」
「あちゃあ」

 自己表現の形を決められないってのは、クリエーターとして致命的だ。でも、創作をすっぱり諦める決心もつかない。諦める決心をするには意思の強さがいるから。馬場さんの目には、八方塞がりで自己溶解しかけている僕の惨状がまざまざと見えてしまってるんだろう。

「沼、かあ。確かにそうだなあ。美大に入るずっと前からだから、足がもう抜けないかもしれない」
「ふうん」

 僕の絵をじっくり見回していた島野さんが、僕の膝の上にぽんとスケッチブックを戻した。

「描いて」
「島野さんを?」
「いや、わたしがいるここの空気を」

 ああ、それならできるかもしれない。

「僕の好きにしていいんでしょ?」
「いいよ。わたしがいてもいなくてもいい」
「わかった」

 色鉛筆を走らせていたのは一時間くらいだっただろうか。僕が描いた十数枚のスケッチの半分くらいに、彼女は入り込んでいた。もっとも、僕はあるものをあるようには描かない。指が動くままに任せているから、自分でもどう描き上がるかわからないんだ。傘をさしたり、花を詰んだり、走り回ってみたり。木漏れ日をまとうようにして動き回る島野さん。彼女の存在感の一部がスケッチに忍び込む。僕のは、描き込まれているのが誰か全くわからない仕上がりだったと思う。
 僕が手を止めたのを見て息急き切って駆け戻ってきた島野さんは、僕の手元からスケッチブックを奪い取ると、追加されたスケッチを見つめ始めた。ものすごく真剣に。そこになにがあるのかを確かめるようにじっくりと。それから、信じられないという表情で天を仰いだ。

「……すごいわ」
「え? そう?」
「うん。すごい」

 島野さんは、そう言うなり追加分の何枚かをびりっと破り取ってしまった。

「それ、どうするの?」
「内緒」

 僕の了解なんか取りやしない。まあ……いいか。遊び描きみたいなものだし。
 それきりうんともすんとも言わなくなった島野さんは、すたすたと撮影本部に戻っていった。これのどこがデートなんだろと苦笑いしながら、それでも愚痴をこぼせた分いくらか身軽になって、僕もゆっくり作業場に戻った。

◇ ◇ ◇

 翌日の夜。宿泊していたコテージでこれまで描いたスケッチを見直していたら、打ち合わせから戻って来た馬場さんがえらくにこにこしている。

「あれえ、馬場さん。何かいいことあったんですか?」
「まあな。これまでずっと監督の機嫌が悪くて近寄りにくかったんだけど、気分が持ち直したらしい」
「へえー、撮影が進んだってことかなあ」
「ローペースだったのを知ってたのかい?」

 島野さんが原因だったとは言えないので、ごにょごにょとごまかす。

「撮影なんざそんなもんだよ。監督がオッケー出さない限りは先に進めなくなる。監督の腹次第ってところがあるんだ」
「でも、よかったですね」
「まあな。監督がそれいけ状態になったんで、予定通りに上がれそうだ。次の仕事が控えてるからはらはらしてたんだよ」

 そうか。下請けだと監督のエゴもある程度飲まないとならないけど、社としては歓迎できないってことだ。

「おっと、忘れるところだった。監督が三村さんと話をしたいってさ」
「僕と、ですか? なんで?」
「さあ、それはわからん。でも監督の機嫌がいいから、悪い話じゃないと思うぞ」

 島野さん絡みかなあとびくびくしてたけど、叱責じゃないならいいか。バイトの目的には異業種の人との交流も入ってる。今後の就活にも活かせそうだから行ってこよう。

「今からでいいんですかね」
「かまわんだろ。みんな、もうオフモードだし」
「わかりました。本部ですよね」
「そう。今は別荘の前でうろうろしてると思う」
「じゃあ、行って来ます」
「おう」


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