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木漏れ日 (5)

 島野さんも、沓澤さんも、馬場さんも、僕には直球を投げない。みんながみんな思わせぶりで、僕の走り描きを見て勝手に納得している。肝心の僕は何一つ変われてないのにな。急ピッチで動き出した撮影班の盛り上がりとは対照的に、僕は不完全燃焼のままずっとくすぶっていた。そして……予定より一日早くロケが終わった。後半の撮影は、ほぼ一発撮りの一発オーケーだったらしい。
 ロケが早くに終わったことで一日空きが出来た。スケジュールが詰まっている馬場さんはすぐ引き上げるのかと思ったけど、せっかく涼しいところにいるんだし一日くらいオフ日があってもいいだろうと休日にしてくれた。馬場さんも町に降りて羽を伸ばしてくると言い、撮影クルーと一緒に浮かれ顔で出かけた。僕は……絵を描くためコテージに残った。
 描きたいんじゃない。描かされるでもない。描かなければならない、でもない。だけど、スケッチブックは開かれる。手は色鉛筆を持つ。目が何かを探り当て、それが勝手に指を動かす。島野さんを描いていた時と同じコテージのステップに腰を下ろして、僕は絵を描き続けた。何冊か持っていったスケッチブックの最後の1ページがなくなるまでずっと。

「ふう。もっと持ってくればよかったな」

 描いてどうなるわけでもないけど、描くためのエネルギーが枯渇していたわけじゃなさそうだ。意欲的ではなくても手は動く。ただ……ちっとも描き切れていない。描けているのはほんの一部だけだ。

「何が描けてないんだろう」

 この前島野さんを描けたから、人が絶対に描けないということじゃない。じゃあ、なに? 考え込んだ僕と閉じたスケッチブックの上を、木漏れ日が気ままに右往左往している。そのダンスを見ていて、ふと思ったんだ。自分が今描けないモチーフは、木漏れ日みたいなものじゃないかと。
 木漏れ日という存在は確かにあって、ちゃんと目に見える。でも描き止めることができない。どんどん色や形や印象が変わってしまうからじゃなく、僕という小さな枠に欠片でも押し込めたくないからだ。

「……」

 じゃあ、今描き残せるものはなに? 枠に入れたくないのは木漏れ日だけじゃないけど、それはなに? 僕が描けるものと描けないものの、どこに境界があるの? 答えなんか出そうにない疑問符をスケッチブックの上に積み重ねていたら、ぽんと声が降ってきた。

「変化、じゃない?」

 突然木漏れ日が遮られて、島野さんの顔が大写しになった。ぎょっとしてのけぞる。

「おおっと、びっくりさせないでよ」
「ふふ」

 今日はこれまでとまるっきり違う格好だ。最初に会った時と同じショートヘアだけど、サングラスはかけていない。ノーメイクかな。ユニセックスの白い半袖シャツに濃紺のキュロットパンツ。足元は素足にトレッキングシューズだ。カジュアルというよりわんぱく少年みたいだな。本当にころころ印象が変わる……というか意識して変えてるんだろう。いや、それより。

「僕、なんか独りごと言ってた?」
「いいや、そんな顔してたから。何が描けないのかなって」
「うう」

 そんなこと、見抜かなくてもよろしい! ったく。

「はあ……ちっとも見えてこない」
「そりゃあ変化って、したあとじゃないとどうなったかわからないからね。当たり前」
「……」

 座っていた僕に覆い被さるように立っていた島野さんは、とことこと僕の横に歩いていって、ステップにすとんと腰を下ろした。

「なんかね」
「うん?」
「三村さんの絵から、予感が見えるの。それは監督も同じ印象だって言ってた」
「予感……かあ。僕には何も見えないけどな」
「描いてる人にはわからないかもね。なんていうか、正解の決まっていない穴埋め問題みたいな感じ」
「ふうん?」

 島野さんが、ちっともじっとしていない木漏れ日を指で追った。

「穴の羅列は、三村さんには木漏れ日に見える。穴の形も中身も決まってないから、木漏れ日がパターンにしか見えない」
「……」
「でもね、わたしたちにとっては予感なの。あなたはそこをどうやって埋めるんですかっていう問いかけ。押し付けの主張じゃなく、あくまでも問いかけ」

 そんな風に見えるのか。自分で描いたスケッチを色のついた視線で見たことがなかったから、すごく新鮮だった。

「監督に、最初からずっと言われてたの。作らないでねって。でも、ナマのわたしを出せっていうことでもない。どうしたらいいかわからなくて、どつぼっちゃってさ」
「監督さんが言ってたよ。そんなのを自然にできるアクターなんか、ほとんどいないって」
「まあね。でも、できませーんていうわけにもいかないでしょ」
「確かになあ」

 島野さんの視線がスケッチブックの上に落ちる。

「三村さんの絵を見た時に、そこにいる自分……今のじゃなく、その先にいる自分がふわっと見えたの。これだっ!……って背中に電気走った。穴埋めの穴を自分で埋められたから、そこから先は楽だった」
「あはは。役に立ったのならよかった」
「ありがとう」

 全ての重荷を下ろしたっていう柔らかい表情で、島野さんが木漏れ日を見上げた。小さな木漏れ日が、涙のように頬を流れ落ちていた。

「これで決心がついたわ」

◇ ◇ ◇

 島野さんの決心の中身はわからない。でも、そこに深く意識を割く余裕は僕にはなかった。コテージのベッドに浅く腰掛け、描いたスケッチをじっくり見直す。その間に、いくつかの言葉……抽象的でよくわからなかった無彩色の言葉が、じわりと色と輪郭を持ち始めた。

『意識しないで描ける絵はない』

 沓澤さんが否定したことを咀嚼する。
 僕にだって何かを描き出そうとする意識はある。でも、その意識が貧弱だから、意識の指揮下で描いているということを認めたくないんだ。どうしても、無意識に描いていることにしたいってことか。僕は、自分で思っている以上に偏狭でわがままなのかもしれない。

『描けないものは、変化じゃない?』

 島野さんの指摘を思い返す。
 変化するものを描き留めることは、不定形の意識に形を授与する崇高な儀式だ。努力しないでさらっと描き出せる人もいれば、乏しいイマジネーションを総動員して線一本やっとの僕みたいのもいる。でも描こうと決意すれば、なんらかの形を与えられたはず。力不足を言い訳にして変化を描こうとしなかっただけ……かも。

『出口が見つかった時にはすでに枯れてる』

 馬場さんの独り言の背景も見えてきた。
 沼の中でばたばたあがいている時は、自分が思っている以上にエネルギーが放出されているのかもしれない。その無駄なあがきを止めると自然に体が水に浮き、流れに沿って運命が動く……いや動いていってしまう。スコープが定まって無駄がなくなるけど、絶対的な熱量は逆に減るんだ。それが『枯れる』ってことなんだろう。
 抽象的でばらばらだと思っていたみんなのセリフがきれいに一直線上に並び、沓澤さんの助言に収束していく。

「沼にはまることすらまるごとアート、か」

 でも……すんなり納得してしまったら意味がない。だって、僕はアートだと胸を張って言えるようなものを何も創り出せていないから。
 最後まで描き止められなかった木漏れ日のちらつきを思い返していたら、コテージの入り口で沓澤さんの声がした。

「三村さん、いる?」
「あ、はい」

 慌てて外に飛び出したら、走ってきたのか沓澤さんがぜいぜい息を切らしていた。

「お休みのところをごめんね。どうしても三村さんにお願いしたいことがあって、ちょっと早く帰ってきたんだ。いいかな?」
「なんでしょう?」
「ちょっと微妙な話なので、外で」

 うわ、なんか厄介そうだけど……。でも、助言してもらったし。

「いいですよ」
「今日もずっと描いてたんでしょ?」
「はい」
「描いたのを見せてくれると嬉しい」
「かまいませんけど……」

◇ ◇ ◇

 沓澤さんは、木立のずっと奥の方に踏み込んでいった。山の中なのに沓澤さんの格好がマリンルックで、ちょっと笑えた。でも、表情が硬い。まとっている空気がぴんぴんに張り詰めている。
 散策路の奥に木製ベンチが並んでいるスペースがあり、辺りには誰もいなかった。ベンチの一つに腰を下ろした沓澤さんが、今日描いていたスケッチを鋭い眼差しで確かめていく。最後の一枚を見終わってふうっと息をつき、しばらく黙考。それから、おもむろに口を開いた。

「あのね、ぶっちゃけた話をする」
「はい」
「次の三作目が、今の制作会社との契約最終作になるの。手伝ってほしい」
「えええっ? 僕がですかあ?」
「そう」

 いきなりぶちまけられた提案に困惑してしまう。そんな僕を見て、沓澤さんが自身の創作歴を語り始めた。

「わたしはもともと映像作家を目指してたの。映画にはそれほど興味がなかった」
「え?」

 う、嘘、だろ?

「手がけていたショートフィルムがちょっとだけ映画っぽい感じだったから、だめもとで応募してみようと思って海外の映画祭に応募したんだよね」
「最優秀新人賞を受賞されたんですよね。馬場さんから聞きました」
「あはは。なんか、しくじったなあと思って」

 しくじったって……耳を疑ってしまう。

「映画はねえ、わたしには合わないの。大型のトータルアートは制御しきれない。映像だけならともかく、脚本、役の造形と演技指導、音響、衣装、美術。わたしの得意分野以外の要素がこれでもかと入ってくる。それを指揮、統合する作業がすごく苦痛なの」
「最初からオファーを断るっていうのは……」
「選択肢になかった。もう少し広い世界を見た方がいいのかなと思っていたから。あなたもそうでしょ?」

 確かにそうだ。どこにでもあるバイトなら、先輩の代役は引き受けなかっただろう。

「はい」
「制作会社の担当さんがとても腕のいい人で、若手の切れ者を次々スタッフに引っ張ってくるの。ものすごく刺激を受けたし、わたしのセンスもだいぶレベルアップしたかなと思う。でも」
「すり減った……違います?」
「そう。疲れてしまったの」

 沓澤さんは、『監督』という名のジャケットを脱いでかたわらに置いた。そこにもちらちらと木漏れ日が落ちる。透明なジャケットが陽光で分解され、光の粒子に戻るような錯覚に囚われる。

「最初の作品は、受賞作の延長上にあったからまだ楽だった。わたしのエゴをそのまま押し通せたからね。でも今の二作目は原作とメインの役者さんが指定されて、枠がはまっちゃった。枠の設定は、わたしが一番受け入れられないこと。担当さんが知らないはずないんだけど、オトナの事情ってのがあるんでしょ」
「しんどかったんですね」
「うん。三村さんやさつきちゃんだけじゃない。わたしもどっぷり沼の中よ」

 そうだったのか。でも沼にはまることをマイナスには見ていない。それすらもアート……か。すごいなあ。思わず何度も頷いてしまった。


The Song Sings Itself by Gerry O'Beirne

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