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木漏れ日 (8〜FIN)

 簡単な自己紹介と仕事の段取り説明のあと、馬場さんは沓澤さんと一緒に結婚式の打ち合わせに行った。細かいところは僕から説明してくれと言い残して。いや、その前にもうちょい事情説明をしてほしい。沓澤さんとの結婚はともかく、なんで島野さんがここに? ドアをぎりっと睨みつけていた僕が気になったんだろう。田谷さんがこそっと探りを入れた。

「あの……引いた?」

 ジャブをかわさずに受ける。

「引く? どして?」
「いや……」

 気後れがあるのか、俯いてしまった。うーん……芸術系ってLGBまではよく聞く話だし、僕の周りでもリアルな話が溢れてたから、特別どうってことはないんだよね。
 それに。僕はヘテロだけど、だからと言って人に意見できるような何ものも持っていない。というか、絵以外のことを突っ込んで考える余裕が全然ないんだ。それをどう説明したらいいかしばらく考えた。時が、ひとりでに軽井沢の木漏れ日の中に戻っていく。

「ロケの時、監督に言われたんだよね」
「え?」

 全く関係ない話に誘導されたと思ったのか、田谷さんが顔をしかめる。

「沼にはまるのはしんどいけど、あがくこと自体がアートなんだよって」
「うわ、さすが監督だあ」
「でしょ? 確かにそうだなと思ったの。僕はまだあがいてる最中だし、田谷さんもあがいてるんでしょ?」
「……うん」
「何にってとこは違うけど、あがいてるのは同じ。それでいいんじゃない?」

 ほっとしたんだろう。田谷さんは、短く刈り上げられた髪を寒そうに撫でながら少しだけ笑った。

「三村さん、LGBTQのことは知ってる?」
「もちろん。僕らの周囲では珍しくなかったし。芸術系なんかもともとなんでもありだよ」
「そっかあ」

 緊張をほぐすように何度か肩を揺すった田谷さんが、話を核心へ、心の深い裂け目へと掘り下げていく。

「わたしね、五番目なの。クイアーのカテゴリー。性で分ける意味がわからない。男なら女ならっていう性差を一切考えたくないの」
「うん」
「だけど、みんなは早くから異性を意識するでしょ? すごく生きにくかった。特に女の子の集団では、ね。どこにいても違和感を覚えるの。犬の群れの中に一匹だけ猫が混じってる。それがわたしっていう感じ」
「なるほどなあ。じゃあ、今の男装も本意ではないんだね」
「うん。トランスジェンダーにしたら、カミングアウトがわかりやすいかなと思っただけ」
「Qだってこと、馬場さんには?」
「言ってない。馬場さんも監督もTだと思ってるはず」

 自分だけが違うっていう違和感、か。僕自身のことと照合しながら問いかける。

「人の中での違和感も、自分に対しての違和感も、なんかしっくりこないってところは同じだと思うんだけどな」
「そうなの?」

 ひょいと首を傾げたから、僕の沼が全然干上がっていないことを明かす。

「僕は何も変わってないよ。エネルギーはいつもガス欠寸前。相変わらず筆は遅いし、描きたいものもすんなり浮かんでこない。生活は余裕ないし、休みの日は燃え尽きてることが多い。今のままでいいとは思っていないけど、じゃあどうするの部分はなかなか、ね」
「ふうん」
「でも、絞り出すものと湧き出るものとは違う。それだけは区別したいなと思ってさ」
「今は?」
「ずっと絞り出してるよ。だから違和感は続いてる。ただ、今すぐ湧き出させなきゃって焦らなくなったかな」

 頷いた田谷さんが、小さな声で本心を吐き出す。

「わたしね、自分の考え方とか感性みたいのを人と比べて調整するのがすごく苦手なの」
「反発も同調もうまくできないってことね」
「うん。浮くか、ぼーっとしてるかになっちゃう」

 そりゃあ……ぼっちまっしぐらルートだなあ。

「だから、いつの間にかいろんな人を『演じる』ようになっていったの。使える人格の型が増えれば、日常生活が楽になるから」
「なるほど」

 ぶりっ子とか猫をかぶるとか、そんな表面的な対処じゃツールにはならない。架空の人格を組み立てる訓練をずっと積み重ねてきたってことか。演技がうまくなるはずだわ。その流れで俳優になったんだろなあ。

「でもね。ずっと演じ続けている間に、自分自身を見失っちゃった。どれも自分に見えて、どれも自分とは微妙に違う。じゃあ、何が本当のわたしなのかなって」
「違和感ていうレベルを超えちゃったってことか」
「うん。もう限界だった。型通り演じるな。でも生身を出すな。感じるままに表現しろ。監督のオーダーが、わたしの全否定に聞こえたの。自分を見失って、幽霊になってたから」

 俯いていた田谷さんが、さっと顔を上げた。口元に微笑みが浮かんでいる。

「でも。三村さんの描いた幽霊はすっごい楽しそうだった。大気の流れに身を任せて、気ままに木立の間を漂ってる。それはどこにも属せない哀しさじゃなくて、何にも囚われない解放感の現れ。わたしは、彼らがどこに行って何をするのかなあって、先の姿を思い浮かべたんだ」
「あはは。静止している絵が、思いがけず予告動画になったってことかな」
「近いかも。もっと淡いイメージだけどね」

 きゃしゃな指が組まれ、すうっと前に伸ばされる。何かをやんわり押し返すように。

「三村さんの絵を見て、わたしも描きたいなって思ったんだ。人に見せる絵じゃなく、本当の自分の姿を」
「じゃあ、女優を引退したあと絵を始めたの?」
「うん。アート系の専門学校に行って、イラストとかを勉強してた。へたっぴだけど、めっちゃ楽しい」
「やるなあ……」
「それにね、夢中で絵を描いてる時は性を意識しないで済む。すごーく楽なの」

 ああ、その感覚はよくわかる。渡辺先輩の結界みたいに、集中すると不要なものは創作から一切排除されるからな。

「にしても、なんでここに?」

 一転してばつの悪そうな顔になった田谷さんが、もごもご答えた。

「監督に三村さんのことを教えてもらったの。馬場さんと一緒に仕事してるよって。だから強引に頼んだ」
「おいおい、馬場さん困らせてどうすんだよ」
「だってえ、また絵が見たかったんだもん!」

 ぷんぷくりんにむくれている姿を見て、ほっとする。カミングアウトで微妙になっていた彼女の雰囲気が、軽井沢で見た奔放な姿に戻っていく。そうだよね。彼女のエネルギーは特別仕様だ。飼い馴らして『枯らしちゃう』より、無指向のまま爆裂させた方がいい。ずっといい。
 さて、そろそろ仕事の話に戻そう。これから一緒に働くなら、コアな話をする時間は山ほどあるからね。

「ええと。一つだけ確認させて」
「うん」
「男女のどちらかになりたいとか、どちらかが嫌だってことじゃないんだよね」
「違う。そういう性差を考えたくないの」
「おっけー。じゃあ服装とか振る舞いとか、無理にどちらかの形にこだわらなくていいと思う。田谷さんのしたいようにすればいいんじゃないかな」
「そうなの?」
「だって、ここで仕事をこなす時に必要なのは手と感性をフルに使うことだもん。男や女であるのを求められるケースはほとんどないと思うよ」

 満面の笑みを浮かべて、田谷さんが力一杯頷いた。

「うんっ!」

◇ ◇ ◇

 専門学校を卒業した田谷さんは、バイトではなくアルテアの社員になった。社員としての僕の身分もきちんと定まった。馬場さんは沓澤さんとの結婚を機にアルテアを社として組織し、しっかり切り盛りする覚悟を固めたんだろう。
 僕と田谷さんとでこなす仕事は量質ともにハードになったけど、僕はともかく田谷さんはエネルギーの塊だ。僕がストップをかけないと、エンドレスで作業に熱中する。今後、僕と田谷さんの立ち位置はどこかで逆転するだろうな。でも、僕に焦りはなかった。木漏れ日が刻一刻と形を変えていくように、馬場さんや僕の『今』も変わり続けている。僕が軽井沢で描き出せなかった変化は、否応無く目の前に現れるんだ。それなら、変化を直視してどうするかを決めていくしかないからね。
 田谷さんが感じ続けているという違和感も、Q……クエスチョンのままなのか、別の形に変容していくのかはわからない。ベクトルの向きは田谷さんが自身をどう描くかで決まることだから、馬場さんも僕も口を出すつもりはない。
 三人三様に試行錯誤だった四月が終わって、五月後半からはフル稼働だ。馬場さんと僕たちとで別現場になることも増えてきた。今日もそう。工程表を見ながらがっつり気合いを入れる。

「さあて、どんどん新しい絵を描かないとな」
「そだね。がんばるぞー!」

 元気印の田谷さんが、塗料満載のバッグを抱えて用具庫を飛び出していった。僕もゆっくり後を追う。ワゴン車に商売道具を積み込んでリアハッチをばしんと閉じ、青が濃くなってきた初夏の空を見上げた。今日もいい天気。日中はかなり暑くなるだろう。若葉が生え揃った街路樹の下に立って、萌黄色の木漏れ日を味わう。葉の隙間から薄く柔らかい雲がゆっくり流れていくのが見える。
 あの雲がもりもりたくましく育つ頃に、また軽井沢に行きたいなあ。もし今の田谷さんを描いたら、どんな風になるんだろう。そんなことを夢想しながら運転席に乗り込み、キーを突っ込んでセルを回す。ぶるんと身震いしたおんぼろワゴンが、少しは年寄りを労ってくれと言わんばかりに忙しなく咳をした。ははは、ごめんごめん。
 勢い良く助手席に飛び込んできた田谷さんが、両腕をぽんと突き上げる。

「れっつごーっ!」
「ほいほい。こら、シートベルト」
「へーい」

 車がガソリンじゃなくて田谷さんの元気で動くといいんだけどなあ。そんなばかなことを考えながら、ハンドブレーキを下ろしてアクセルを踏んだ。

 今日の……いや、今日だけしか描けない僕らの絵を描くために。

【木漏れ日 了】


Forest Au Lait by ZMI

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