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エンジニアが苦手な見積もり(価格設定)の話

なぜ価格の話になると、急に弱くなるのか

技術の話なら何時間でもできる。
アーキテクチャの選定、言語の比較、設計思想の違い。そういう話になると、エンジニアは饒舌になる。根拠を示し、論理で組み立て、自信を持って話せる。

ところが「で、いくらですか?」と聞かれた瞬間、空気が変わる。

急にトーンが下がる。語尾が曖昧になる。「一旦持ち帰って見積もりを出します」と言って、その夜、スプレッドシートの前で固まる。

この感覚に覚えがある人は少なくないと思う。
技術には自信がある。作れるものには確信がある。でも「それをいくらで売るか」になると、途端に足元がぐらつく。

なぜエンジニアが値付けを苦手にするのか。
問題は技術ではない。価格の正体を誤解していることだ。

私自身、新卒でIT企業に入社し、取締役を経験し、今はソフトウェア開発会社を経営している。技術側にも経営側にもいた人間として、ずっとこの問題を考えてきた。


技術には自信があるのに、値付けだけは弱気になる

エンジニアは本来、合理的な人間だ。合理的な判断を求められる。
技術選定では数字とロジックで判断する。パフォーマンス、保守性、拡張性。比較し、検証し、最も合理的な選択を取る。

なのに、値付けになるとその合理性が消える。

「高いと思われたらどうしよう」
「失注したら、自分の技術を否定されたことになるんじゃないか」
「本当にこの金額に見合う実力が自分にあるのか」

この三つの感情が、見積書を作るたびに頭をよぎる。

冷静に考えれば、価格が高いかどうかは相手の予算と期待値の問題であって、自分の人格とは関係ない。失注の理由は価格だけではないし、仮に価格で負けたとしても、それは市場の構造の話だ。

でも、そう割り切れない。
この三つの感情は、なぜこうも根深いのか。そこには個人の性格では片付けられない構造がある。


エンジニアが値付けを苦手にする構造

工数でしか価格を考えられない

エンジニアが見積もりを作るとき、まず考えるのは「何時間かかるか」だ。要件を分解し、タスクに落とし、工数を積み上げ、単価を掛ける。

この方法は一見合理的に見える。しかし、これは原価計算であって値付けではない。

原価から積み上げると、必ず「安い方が誠実」という思考に引っ張られる。余裕を乗せることに後ろめたさを感じる。バッファを積むと「盛っている」気がする。結果、ギリギリの金額で出すことになる。

価格が自己評価の表明になる

会社員の給与は、会社が決める。だから自分の市場価値について、ある意味で鈍感でいられる。

しかしフリーランスになったり、経営側に回ったりすると、価格は自分で決めなければならない。このとき、価格の提示が「自分はこれだけの価値がある人間です」という宣言に変わる。

高い金額を出すことが、身の程知らずに思える。
安い金額を出すことが、謙虚さの証に思える。

エンジニアにとって値付けは「自分の技術に値段をつける行為」であり、見積書を出すことが能力の自己申告になってしまう。この感覚は、日本のエンジニア文化の中では特に根深い。

再現性や安心を言語化できない

エンジニアが提供しているのは、コードだけではない。
要件の曖昧さを整理すること。技術的なリスクを事前に潰すこと。トラブルが起きたときに対処できること。長期的に保守可能な設計にすること。

しかし、これらの価値は目に見えない。
「この設計にしたから、二年後の改修コストが半分になります」と言っても、今の時点では証明できない。

結果、エンジニア自身が「自分の価値を再現性のある言葉で説明できない」という状態に陥る。説明できないから、価格に反映できない。反映できないから、工数×単価に逃げる。

そして「価格でしか勝負できない」と感じるようになる。
技術力に差があっても、見積書の上ではそれが見えない。だから安い方が選ばれる。そういう世界観の中に自分を閉じ込めてしまう。


見積もりで低く出してしまうとき、何が起きているか

独立して間もない頃、ある案件の見積もりを出すとき、本来なら相応の金額を提示すべき規模の仕事だった。工数を見積もり、自分の経験を考慮し、一度はそれなりの金額を書いた。

でも、送信ボタンを押す直前で書き換えた。少し下げた。
「少し」のつもりだった。でも振り返ると、自分の中で「これなら断られないだろう」と思える水準まで落としていた。安心できる金額を探していた。相手のためではなく、自分の恐怖を鎮めるために。

相手の反応が怖かった。高いと思われて、返信が来なくなるのが怖かった。それまで良い関係で話が進んでいたのに、金額ひとつで空気が変わるのが嫌だった。

結果、受注できた。そのときは安堵した。

しかし、プロジェクトが進むにつれて、じわじわと苦しくなった。

要件は当初の想定よりも膨らんだ。追加の対応が必要になった。それ自体はよくある話だ。しかし、もともとギリギリの金額で受けているから、追加対応のたびに「これは見積もりに入っていない」という気持ちがせり上がってくる。

言えばいい。追加費用の話をすればいい。それは分かっている。でも、最初に安く出した自分に引け目がある。「あのとき適正な金額を出していれば」という後悔が、交渉の言葉を鈍らせる。

安い金額で大きな責任を引き受けると、仕事に対する感情が少しずつ摩耗していく。

最初は「良いものを作ろう」という気持ちで始めたはずなのに、途中から「早く終わらせたい」に変わる。品質へのこだわりが薄れる。相手への提案が減る。必要最低限をこなして、納品して、終わらせたくなる。

これは相手にとっても不幸なことだ。

安く発注できたように見えて、実は手薄な対応を受けている。本来ならもっと良い提案があったかもしれないのに、それが出てこない。エンジニアのモチベーションが削れた分だけ、成果物の質が静かに下がっている。

値付けを間違えると、両者が損をする。

安く受けることは、安く働くことではない。責任を安売りすることだ。


価格とは何か

ここで一度、前提を疑ってみたい。
顧客は本当に「技術」を買っているのだろうか。

多くのエンジニアは「技術を売っている」と思っている。
コードを書く力、システムを設計する力、問題を解決する技術力。だから価格は技術の対価だと考える。

しかし、顧客の側から見ると、景色はまったく違う。

これは経営をやるようになって、自分が発注する側に回ったとき、はっきり分かった。外部のエンジニアに仕事を依頼するとき、自分が気にしていたのは技術力のスペックではなかった。「この人に頼んで、最後まで大丈夫か」だった。仕様が揺れたときに一緒に考えてくれるか。問題が起きたときに逃げないか。そこを見ていた。

顧客が本当に買っているのは、作業時間でも技術力でもない。

「この人に任せれば大丈夫だ」という安心だ。

もう少し分解すると、顧客が対価を払っている対象はこういうものだ。
問題を正しく理解してくれること。期待値を適切に調整してくれること。一定以上の品質を担保してくれること。納品後も継続的に対応してくれること。トラブルが起きたときに逃げずに引き受けてくれること。

これらはすべて「責任」だ。

顧客は責任を買っている。
そして価格とは、その責任の重さに対する対価だ。

技術力は、責任を果たすための手段にすぎない。手段に値段がつくのではなく、責任に値段がつく。

この視点が入ると、値付けの考え方が根本から変わる。

「この作業は何時間かかるか」ではなく、「この仕事で自分はどこまでの責任を負うか」が問いになる。

要件が曖昧なまま進むリスクを引き受けるなら、その分の価格が必要だ。
納品後のトラブル対応を含むなら、その分の価格が必要だ。
顧客の社内調整まで巻き取るなら、その分の価格が必要だ。

値付けとは、責任範囲を設計することだ。


値付けができないのは、責任範囲を言語化できていないから

値付けが苦手だという問題に戻る。

エンジニアが値付けを苦手にする本当の理由は、技術の値段が分からないからではない。自分がどこまでの責任を負っているのかを、自分自身で言語化できていないからだ。

なんとなく全部やる。なんとなく面倒を見る。なんとなく品質を担保する。

この「なんとなく」の部分こそ、本来は価格に反映されるべきものだ。しかしそれが言語化されていないから、見積書には工数しか書けない。工数しか書けないから、安くなる。

逆に言えば、自分の責任範囲を明確に言葉にできれば、価格はそこから自然に導かれる。

「要件定義の段階から入り、仕様の曖昧さを整理する責任を持ちます」
「本番リリース後三ヶ月間の不具合対応を含みます」
「技術選定の判断とそのリスクについて、説明責任を負います」

こう書けたとき、価格は「高い」「安い」の話ではなくなる。責任の範囲と重さに対して、適正かどうかの話になる。


価格を上げることは、偉そうにすることではない

価格を上げるという話をすると、「強気に出る」とか「自分を高く売る」といった言い方になりがちだ。でも、それは少し違う。

価格を上げるとは、自分が負う責任の重さを正しく扱うことだ。

安い金額で重い責任を背負えば、どこかで無理が出る。品質が下がるか、対応が雑になるか、心が折れるか。そのしわ寄せは、最終的に顧客に向かう。

適正な価格をつけることは、顧客に対する誠実さでもある。

「この金額をいただくからには、ここまでの責任を持ちます」

そう言い切れる状態を作ること。それが値付けだ。

価格は技術料ではなく、責任料だ。
そして責任に値する値付けをすることは、エンジニアにとって技術を磨くことと同じくらい大切な仕事だと、私は思っている。

それでも、次の見積書を開いたときまた手が止まるかもしれない。
あの三つの感情が、また顔を出すかもしれない。

そのときに思い出したい。
自分が怖がっているのは価格ではない。責任を引き受ける覚悟の方だ。

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