旅の始まりは、人生のふりかえり
飛行機に乗るとき、いつも最悪を想像する。
万一この飛行機が無事に着陸できないようなことがあったなら、誰に、どうやって、どんなメッセージを残そうか?
世界一危険なネパールの空港
今年の初めにネパールへ行った。このときはじめて遺書というものを書いた。私は本気で墜落事故を心配していた。けれど無事に帰ってくる希望を込めて内容は最低限。
現在の自分の資産(分散されているから、残さずきちんと家族の手に渡ってほしい)とその使い道、万一のことがあったら連絡してほしい人と連絡手段。たったそれだけの事務的なことだった。
山間にあって離着陸が難しいために世界で最も危険な空港の一つと言われるネパール・カトマンズのトリブバン空港。ネパールへ行きたいのにずっと行けなかった理由はこれだった。
しかし実際に行ってみたらなんてことなくて、飛行機は思ったほど揺れなかったし、いつか誰かのブログで見た「着陸時に乗客みんなで拍手」、なんてことも起きなかった。そんな心配より、窓の外に広がる美しい山々を目に焼き付けるのに必死だった。結局ネパールで起きたのは食あたりだけだった(辛かった)。
私は心配性すぎるのだ。
バックパッカーするくらいの人間がそんなに小さな肝っ玉ですかと思われるかもしれないけれど、実際のところそんなもんだ。
そんな私がなんでネパール行きを決断できたのか。それは、航空券が安かったから。ただ、それだけ。単純すぎる。
貧乏性が心配性に優ったのだ。
でも、貧乏性のせいで人生損したことはない(と思う、思いたい)。
実際このネパール旅では、面白い出会いを経験した、ちょっとミラクルな出会い、これはまたいつか記事にしたい。
石橋を叩いて叩いて割る
私はいつも、未来の要らぬ心配ばかりして、足踏みして、機会を逃してしまう。きっと気付いていないだけで、そんな場面はたくさんあったんだろうなと思う。
就職活動をしていた学生時代、担任から言われたことがある。
「石橋を叩いて叩いて割っちゃうタイプだよね」
自分の優柔不断について考えさせられるとき、いつもこの先生の声が脳内で再生される。貧乏性でもせっかちでもなんでもいいから、私はいつもこの優柔不断で心配性な自分に勝てる武器を探している。
死を思うたび、生が近づく
私自身が死を覚悟するような出来事には、幸いなことにまだ遭遇したことはない。それでも死を意識せざるを得ないことは日常的にと言ってもいいほどたくさんある。
死を意識してしまった途端に、全てのことが無駄に思えてくるようなこともある。でもだからこそ、どうせ人は死ぬんだと諦めがついたとき、それなら挑戦しておこうかと思えたりもする。
死を意識することは、ときに生きる意味の輪郭をくっきりさせてくれる。
死を意識するからこそ、今を精一杯に生きたいと思える。
私にとって旅に出ることは、同時に死について考えることでもある。
それは心配性だから考えてしまう、というだけのことかもしれない。
けれど結果として、旅は私に生きる意味を思い出させてくれる。
楽しいことと恐ろしいことは表裏一体で、常にワクワクと緊張感を持ち合わせていたいなと思う。
今朝ふとこの記事を書いてみようと思った。
何を隠そう、明日飛行機に乗るからだ。
今回は遺書は書かなかった。
そのかわり母に伝えたことがある。
「もしも私に何かあったら私の資産は旅行に使ってね。生活費の一部にしたりしないでね。」
でも次は母と二人で旅行に行きたいので、無事に帰ってきます。
