STAY
ふるさと遠く離れた街で
僕らは出会い友達になった
右も左もわからぬままに
僕ら互いの言葉を信じあおうとしてた
年老いた子どもたちに幸いあれ
うら若き老人たちに祝福あれ
あの日の僕らに会えるなら
肩を叩いて笑ってやりたい
君がいなくなってからも 僕はここにとどまってる
君がいなくなってからも 君とここでつながってる
わけのわからぬ映画を一緒に見たね
台詞もほとんど聞きとれなくて
同じ画面を見ながら僕ら
違う物語 組み立ててたんだ
孤独な仲間たちに幸いあれ
にぎやかな独り旅に祝福あれ
あの日の君に会えるなら
冷えた両手を握ってやりたい
君がいなくなってからも 僕はここにとどまってる
君がいなくなってからも 君とここでつながってる
理屈を並べ 言葉を並べ
誰かを悪者に仕立て上げようとしてた
自分の弱さをさらけ出してただけのsilly days
それでも君は僕のこと 信じてくれたよね
無邪気な罪人たちに幸いあれ
罪深き善人たちに祝福あれ
あの日の自分に会えるなら
のぼせた頭をはたいてやりたい
君がいなくなってからも 僕はここにとどまってる
君がいなくなってからも 君とここでつながってる
STAY STAY STAY 僕はここにとどまってる
STAY STAY STAY 君とここでつながってる
離れていった奴もいる 残ってる奴もいる
何もかもが変わってく 何もかもが変わらない
いつかは誰もが去ってゆく いつかは誰もが戻ってくる
冷たい風に吹かれながら みんな居場所を探してる
翼のない天使たちに幸いあれ
名前のない隣人たちに祝福あれ
未来の僕らに会えるなら
口笛鳴らして歌ってやりたい
君がいなくなってからも 僕はここにとどまってる
君がいなくなってからも 君とここでつながってる
STAY STAY STAY 僕はここにとどまってる
STAY STAY STAY 君とここでつながってる
*少しわかりにくいと思いますが、転職をテーマにした歌です。とは言っても、転職して去る側ではなく、残る側の視点からの歌なのです。
20代の頃、僕は3回、職場を代えました。従って、見送る側ではなく、見送られる側の立場に常に身を置いていたわけです。ところが、30才で赴任したスイスの学校は、当時は新設の海外校ということもあり、とにかく教職員の入れ替わりの激しい職場でした。僕は7年間そこで働いたのですが、その間多くの同僚たちが職場を去っていきました。つまり、そこではじめて僕は見送る側、とどまる側に身を置くことになったのです。その時の心情が歌になりました。
ただ、最近この歌を歌ってみて気づいたのは、これは「挽歌」にもなり得るということです。当時はそんなことは考えもしませんでしたが、還暦を過ぎて、少しずつですが、同世代の訃報を耳にすることが増えてきました。そうした視点からこの歌を眺めてみると、職場に残る者の立場から去る者を見送る歌というよりは、この世に残された者の立場から先にあの世へ旅立った人を見送る歌として捉えた方が、しっくりくるような気がしてきたのです。
年を経て自分で作った歌の解釈が自分の中で変わっていくというのは、十分あり得ることです。作者ですら解釈が変わっていくのだから、受け取る側の解釈は尚更ですよね。「STAY」は「とどまる」という意味ですが、無論それは永遠ではありません。いつかは去りゆくもの、うつろいゆくものが、たとえ一時的であるにせよ、いや、一時的であるからこそ、そこにとどまってつながりを保つことの、はかない美しさと力強さを表現できていたなら幸いです。
