掌編 引っ越し
段ボールに、蓋をするようにガムテープを貼り付け、箱にした段ボールを重ねていく。
衣類は詰め終わり、イサオの性格を表すように大きな字で【衣類】と書いた。
「 次は本棚かな 」
そんな独り言を呟き、段ボールを組んで底にまたガムテープを貼り付ける。
引っ越しを決めてから、不要な本はリサイクルショップに売ったが、手元に残した本もざっと見たところ段ボール二箱分はありそうだった。
本棚から、同じ位の大きさの書籍を選んで、段ボールになるべく隙間を作らないように詰めていく作業は、なんだか知恵の輪みたいだ。
いや、パズルかな?
そんなことをぼんやりと考えながら、次の本を手をのばし取った。
それは【珈琲専科】という、イサオがまだ二十代前半の頃、ホテルのスカイレストランで働いていた時に買ったものだった。
あれからもう10年ちかく経ったのか……。
そんなことを思いながら懐かしさに駆られページをめくると、一枚の写真が挟まっていた。
写っていたのは、仕事終わりに職場の仲間たちと行ったバーで撮った、ポラロイド写真だった。
あれ…?こんな写真あったっけ……。
イサオは、この写真の存在をすっかり忘れていた。
写っていたのは、あの頃の懐かしい仲間たち。
そして、その中でひときわ目を引いたのはイサオの隣で、右手でVサインをしながら、左手ではイサオの鼻の穴に指を突っ込む仕草をして笑っている、舞美の姿だった。
写真を眺めていると、あの頃の出来事が次々と甦ってきた。
「ボルちゃん」とあだ名をつけられていた、クセの強い女性の同僚と、仕事中に口喧嘩になったこと。
そのとき、仲の良かったシェフの片桐さんに宥められて、飯を奢ってもらったことも思い出す。
そして、舞美…。
垂れ目で愛らしい顔立ちなのに、話すと意外にも辛口で、どんな相手にも物怖じしない性格の彼女。
あの頃、一方的に舞美を好きになったイサオは、嬉しすぎて小踊りしたり、些細なことで頭を抱えたりと、毎日が舞美中心に回っていた。
写真を見つめているうちに、ある情景がふっと脳裏に浮かんできた。
あの頃、働き始めたばかりのサービス業の厳しさに戸惑い、ミスを連発していた。
その上、とどめのように、当時付き合っていた彼女に浮気されていたことも重なった。
しかも、とどめのとどめは、イサオ自身が浮気“された”のではなく、“する側”だったという衝撃のオチ。
つまり、自分が浮気相手だったのだと気づいた瞬間、いかに能天気なイサオでも、さすがに厨房でうずくまってしまった。
そんな姿を見て、面白い物でも見るように、薄ら笑いを浮かべ声をかけていく同僚たち。
そんな中で舞美は、顔をのぞき込み、背中をさすりながら、口に含んでいたチュッパチャプスを、俺の口に 『カポッ』と突っ込んだ。
その瞬間、口に広がるいちごミルクの味は、傷心の心をどこかに吹き飛ばし、一気に恋の味になった。
目をパチパチとさせながら舞美を見ると、背中をポンポンと叩き、何も言わず控え室の方に歩いていった。
結局、舞美は一言も喋らなかった。
残された俺は元カノのことなどこれっぽっちも思い出すこともなくなった。
元カノが占めていた俺の心のスペースは、あっという間に舞美でいっぱいになっていた。
それからの俺は、あの手この手で舞美を振り向かせようと、アプローチしまくっていた。
そんな舞美はある時
「イサオちゃん、あたしここ辞めて実家に帰るんだ。」
舞美は100キロも離れた場所へ引っ越してしまった。
そして俺は、休日になるたび、100キロの距離を超えて会いに行く日々を始めたのだ。
あの頃の情景を思い浮かべながら、熱くなっていた自分の行動をどこか誇らしく感じていると
カチャリ、と玄関の扉が開く音がした。
「全然進んでないじゃんか!」
コンビニに昼飯を買いに出ていた垂れ目ちゃんが
チュッパチャプスを口にくわえて戻ってきた…。
イサオの前日譚↑
