B05|ドーミエの息子たち⋯血に染まるシャルリ紙の風刺
( 終末論から読み解くバンクシー ⑤ 追編1 )
2022年1月26日/記
(敬称略)
このバンクシー論の本論では、バンクシーが生み出しているのは〈 アート力を活用した表現作品、より高度化したグラフィティワークである 〉との結論に至った。バンクシー作品の基本は非芸術的表現だと判断したのである。芸術性を疑って取り組んだ論考なわけだから、これは想定内の結論であり、自分としてはすっきりした気持ちになった。しかし、じゃあ、これで終わりかというと、そうではない。すぐにその結論に関わる諸問題が頭をもたげてくるからである。・・・追編として、もう少し先に進んでみよう。

「表現の自由」の失墜
バンクシー作品を表現一般の地平で再考したいのだが、表現一般に目を向けると、それはそれでたいへんである。今は、芸術的表現どころか、表現一般の足場そのものが揺らいでいるからだ。基本の基本と言ってよい理念「表現の自由」が危ないのである。まずは身近な例をあげておこう。2019年「あいちトリエンナーレ」内の小企画展「表現の不自由展、その後」事件のことである。
この事件では、芸術の特権性など、はなから相手にされなかった。かつてなら〈 芸術だから 〉といった遠慮がいくらか見られたのだが、そんなことは関係ないといった雰囲気で、いきなり作品の表面に露出している思想の断片に批判が向けられたのである。その多くは、いわゆる反日とか天皇不敬といった次元の批判であった。批判や批評が飛び交うのは、本来なら健康的な状況のはずである。しかし、そうじゃなかった。議論によって作品の理解を深めるのではなく、勝つか負けるか、潰すか潰されるかに短絡する。
以前は一部の右翼勢力が騒ぎ、一部のリベラル勢力が対抗、行政がことなかれ主義で決着を図る、といった構図だった。しかし、この事件ではかつての右翼は不在で、もっと広い、右派傾向の市民層が参入した。市民層の分断とまではいかないにしても、その前兆くらいの動きが現れ、対立が拡大したのである。
あいちトリエンナーレは行政主導の大規模なアートイベントだったが、その中の「表現の不自由展、その後」の方は、なさけないほど小さな企画展だった。津田大介芸術監督は〈 僕の肝いりの企画 〉と公言していたが、それは嘘だ。実際には真逆の展覧会で、金はかけてないし、企画内容も市民グループにほとんど丸投げ、展覧会場は美術館内部の押し入れのような小部屋、肝いりの痕跡はまったくない。そんな程度だからその小企画展自体の波及力は弱く、もちろん単なる展覧会だから物理的な危険もない。放っておけば〈 そんな小企画、あったかな? 〉で終わったのではないか。それが、幸か不幸か、大騒動になり、全国的な話題になった。反対勢力が放っておかなかったからである。
作品が公開されると電凸(電話突撃)と呼ばれる、行政機関などに対する電話攻勢などがおこなわれた。行政窓口を物理的に麻痺させようとする攻撃であり、これを意見表明と言うのには無理がある。また、誰かが大阪の松井市長にご注進したらしく、松井市長が河村名古屋市長に〈 どうなっているんだ 〉と電話する。河村市長は、ある伝聞によると、オープニングレセプションで「燃えよドラゴンズ!」を歌ってご機嫌だったらしいが、電話を受けるまで作品を見ていなかったのか、にわかに怒りだした。
こうして政治的社会的に大きな影響力をもった人たちが攻撃に加わった。河村市長は、主催者側のナンバー2という立場だったにもかかわらず、行政を物理的に麻痺させる電凸を、〈 それこそ表現の自由じゃないですか 〉(注1)とうそぶいた。「表現の自由」の濫用であり、形骸化、衰退を物語る一例である。主催者側トップの大村愛知県知事は、わずか3日でこの部門を公開禁止とした。お粗末と言うほかない。
一連の流れを知って、馬鹿馬鹿しくなった。小さなアリが小さな声を張り上げて〈 表現の自由! 表現の自由! 〉と叫んでいるのを、寄ってたかって踏み潰したようなもの。もう、日本の「表現の自由」ってこんなものかと、脱力してしまった。私は30年ほど前、今回の出品作家の一人である大浦信行の作品をめぐって起きた「天皇コラージュ」事件に関わり、かなりの年月活動した。その実感として、当時から「表現の自由」に陰りは見られたが、それでもかろうじて有用な理念であり続けていたように思う。しかし、今、「表現の自由」は明らかに失墜した。
(注1)堀川勝元「少女像展示『中止』を/河村市長が知事に申し入れへ」朝日新聞DIGITAL 2019年8月2日
私はシャルリ
「表現の不自由展、その後」事件は、「表現の自由」が崩れてきている現状を伝えてくれた。それでも穏やかな崩れ方なのかもしれない。世界的な視野で見ると、弾圧やテロによって、世界各地で表現の自由が血にまみれている。その中には宗教と表現が衝突した悲劇もある。とくにイスラム教を対象にした表現に悲劇的結果をもたらしたものが多く、有名なのが1988年に発表されたサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』に関わる事件である。この小説はムスリム(イスラム教徒)社会の激しい反発を招いただけでなく、イランの当時の最高指導者ホメイニによって作者に死刑宣告が出され、各国の翻訳や出版者へのテロ事件が起きたという(要検証)。日本では翻訳者が勤務先の筑波大で殺害され、暗殺ではないかと疑われている。
ビジュアル作品の表現でも同様な悲劇が起きている。パリにある週刊新聞紙『シャルリ・エブド』社への襲撃事件もそうだ。掲載している風刺画が原因だったのだが、その風刺表現が表現の自由に値するのか、あるいはヘイト表現と見なした方がよいのか、判断がむずかしいのである。ここでバンクシーの風刺表現を思い出そう。バンクシー作品にしても、芸術の名で覆い隠されてしまっているが、個々に見れば、きわどいものがある。例えばエリザベス女王をサルに見立てた作品(図1)などがそうだ。

王室批判の理念を表明した作品と見ることも可能だが、少しズレたら、エリザベス個人への中傷になりかねない危うさがある。一般に風刺表現には中傷やヘイトのリスクがあるわけで、その意味で、パリで起きた襲撃事件は重要な参考例になる。
『シャルリ・エブド』紙は、風刺画(注2)やコラムを掲載する左寄りの新聞であり、極右や宗教の原理主義に対して辛辣な批判をおこなっていた。標的の一つがイスラム教で、預言者ムハンマドを揶揄した風刺画などを掲載し、事務所に火炎瓶が投げ込まれたりしている。さらに2015年1月7日、銃で武装したイスラム過激派の2人(クアシ兄弟)に襲撃され、12人が殺害された。犯人は逃亡したが、2日後に警察によって射殺された。関連するテロも起き、襲撃事件と合わせると計17人が殺害されたのである。
たいへんな事件であったが、事件に対するフランスの反応にも驚かされる。すぐに各地でテロ犠牲者追悼と表現の自由を訴える集会がおこなわれ、同月11日の「共和国の行進」にはパリだけでも160万人、全国合計では370万人が参加したという。犠牲者の追悼とともに、表現の自由を守ろうとする動きであるが、ここまで大規模な行進を成立させたのは後者が原因だと思われる。表現の自由に対する思いが、日本と比べて、温度差程度ではなく、まるで違うようなのだ。そして犠牲者との連帯を示す〈 私はシャルリ 〉という言葉が広がった。
事件の背景には政治、経済、社会、民族、文化などの諸要因があるし、歴史的経緯などが入り組む複雑な問題がある。なによりフランスの基本理念であるライシテ (政教分離)を根拠にした宗教批判の徹底ぶりは、私の理解の範囲を超えている。また、個人の信教の自由を認めるが、宗教が公的な場に入り込むことを許さない。公立学校では、目立つタイプの十字架とかイスラム教を表徴するスカーフ、ユダヤ教男子がかぶる帽子キッパなどはダメらしい。
しかし、フランスのライシテだけが事件の背景ではなく、国内問題が複雑に絡む。シャルリ紙を襲ったクアシ兄弟は、移民系だったとはいえ、フランスに生まれて育ったフランス人であった。イスラム過激派との関わりが早くからあったわけではない。
兄弟の父親(おそらく別々の)は所在不明であり、シングルマザーの母親は娼婦だったらしいが、その母親が自殺することで兄弟は孤児院に送られた。こうした移民系の人々を取り巻く階層社会フランスの歪みや差別、貧困、孤立が兄弟をテロに導いたという見方も成り立つのである。他方で、イスラエルの諜報機関モサドが仕組んだ謀略「偽旗作戦」だったという、ぞっとする話もある(注3)。その他根の深い問題が多くて、私の手には負えない。せめて表現内容の問題、それも自分の知識、経験、感性でカバーできる範囲でだが、自分の考えを述べておきたい。
(注2)シャルリ紙掲載の風刺画を「漫画」「イラスト」と呼ぶ場合もある。なお、「シャルリ」は「シャルリー」と表記する場合もある。
(注3)ケヴィン・バレット著、古川美緒訳「序 なぜ、わたしたちはシャルリ・エブドでないか?」『シャルリ・エブド事件を読み解く』第三書館、2017年刊(アメリカで2015年4月に刊行された本の訳本)。
自己目的化した笑い
今こうして文章を書いている私も、表現者の一人である。自由な表現は自分の重要な生きがいであり、その自由を圧力や暴力で奪われることなどは考えたくもない。テロには絶対に反対である。じゃあ、シャルリ紙の編集姿勢や風刺画を擁護できるのかどうかだが、こちらはこちらで問題が多いのである。
2005年、デンマークの新聞『ユーランズ・ボステン』がイスラム教を揶揄する風刺画を掲載し、ムスリム社会から抗議を受けた。翌年にはそれらをシャルリ紙が転載した。例えば、預言者ムハンマドの頭に導火線がつけられている、といった内容の風刺画である。偶像崇拝を否定するイスラム教では預言者を描くこと自体がタブーな上に、預言者やイスラム教が危険だと決めつけるような印象を与えるのも問題であった。
その後もシャルリ紙は、イスラム教を揶揄するような自前の風刺画を掲載していく。ベッドに寝そべる裸のムハンマドらしき人物を描いて、あるセリフを書き加える。ゴダールの映画「軽蔑」でセクシー女優ブリジット・バルドーが語った、〈 じゃあ、お尻は? ねえ、私のお尻は好き? 〉(注4)というセリフだ。預言者主演の映画はムスリム世界を熱狂させるという風刺?らしいが、的外れな上に相当下品である。また、別の風刺画では、弾丸がムスリムの手にしている聖典コーランを貫通して体に当たってしまう絵を描いて、コーランを〈 弾丸除けにも役立たない 〉と罵倒する(注5、図2)などなど。これらは風刺なのか、ヘイトなのか、もしかすると表現の自由を内側から破壊しかねない表現なのではないか。

風刺は、その時の状況や文化を熟知しないと理解がむずかしいので、日本をモチーフにした風刺画を見てみよう。その方が風刺内容を実感できる。例えば、シャルリ紙常連で襲撃で死亡した画家にカビュという人がいる。彼は、東京五輪の開催決定の直後、フランスの週刊紙『カナール・アンシェネ』に、ある風刺画を描いた。その風刺画では、放射能の影響ということなのか、三本足や三本腕の力士が登場して相撲をとっている。吹き出しには〈 すばらしい!フクシマのおかげでスモウがオリンピック競技に選ばれました 〉とある(注6)(図3)。唖然!これは一体何なんだ? 日本人にとっては不快以外の何ものでもないのではないか。事故が終息していない中での開催決定を批判しているらしいのだが、批判が軽薄で、本気さが感じられない。笑いが自己目的化した、笑いのための笑い、しかも引きつった笑い、といった印象である。

当然ながらこの風刺画は日本側の強い反発を招いた。しかし、掲載紙は、責任をもってこの風刺画を掲載し、いささかも良心に反するところはないと述べ、日本人にはユーモアのセンスがないと嘆く。編集長は言う、〈 ユーモアを表現しているからといって、被災者の皆さんを侮辱していることにはならない。ここ(フランス)では、悲劇に対してはユーモアを持って立ち向かうものだが、どうやら日本ではそうではないようだ 〉と(『AFP』2013年9月13日)。
この風刺画はあくまで一例にすぎない。が、日本とフランスでは、風刺に対する見方がずいぶん違うようなのだ。襲撃事件に対する日仏の反応の違いについて、フランス文学・映画研究者の野崎歓が興味深い指摘をしている。
〈 日本ではテロリストへの非難にもまして、イスラムを揶揄するシャルリ紙の姿勢を問いただす声が強まっていった。表現の自由の行き過ぎに疑問を投げかける論調が目立った 〉。ところが、そうした論調はフランスではほとんど見られず、表現の自由においてはわずかな譲歩も大きな後退になるとする論調がフランスでは主流のように見えるという。そう指摘した上で、野崎は〈 三歩進んで二歩下がるなどという妥協性とは無縁の『共和国行進』の徹底した進歩主義に改めて感服すると同時に、空恐ろしさも覚える 〉と記している(注7)。オシャレなだけではない、ラジカルなフランス。フランス国民の抱えている歴史や思想の重さを思い知らされる。
また、作家・翻訳家の関口涼子は、表現の自由における安易な妥協を警戒する。〈 イスラムからの時に理不尽な要求に聞く耳を持つ態度を見せれば、現在イスラム文化圏で多くの検閲や投獄、生命の危険に晒されながら自由な表現を求めている知識人たちの首を、さらに絞めてしまう状況を作る可能性だってある 〉(注8)という。確かにそうだ。この件だけでなく、世界各地で表現の自由が奪われつつある現状があり、安易な妥協は許されない。しかし、そうだとしても、表現の中味に関わる検証も同じく妥協できない事柄だと私は思う。
(注4・5・6)( 図2・3) 『イスラム・ヘイトか、風刺か』第三書館、2015年刊の翻訳による。
(注7) 野崎歓「ウエルベックの涙」『シャルリ・エブド事件を考える』白水社、2015年
(注8) 関口涼子「表現は誰のものか」『シャルリ・エブド事件を考える』白水社、2015年
ドーミエの息子たちなのか
歴史を遡り、過去の偉大な風刺表現との比較を試みたい。例えば、迷信や宗教家の堕落を風刺したスペインの画家フランシスコ・ゴヤ(1746~1828)を思い起こそう。1799年出版の《ロス・カプリーチョス》がそれである。人間の過ちと悪を風刺した版画集であり、宗教的愚行や迷信、修道士の堕落などにも厳しい目を向けた。隣国フランスの革命精神を個人的な形で共有していたかのような、斬新な内容の風刺表現であった。が、さすがにスペインでは発行後数週間で販売中止に追い込まれたようである(注9)。
宮廷画家として華麗な絵画で特権階級に奉仕してきたゴヤだが、この版画集以降は、権力者と妥協しつつも、激烈な内容の版画《戦争の惨禍》連作を制作、さらに自宅の壁に《暗い絵》連作を描く。その過程は、身分制度を超えて、一個人としての精神探求と表現を獲得していく過程であった。いわば精神の近代化であり、その進展に、風刺画は重要な役割を果たした。そうしたゴヤの風刺画と比べると、『シャルリ・エブド』やその周辺に見られる風刺画では、何かが大きく変質しているように思えてならない。もちろん時代が違うし、国が違う、表現の基盤が違う。
では、フランスのオノレ・ドーミエ(1808~79)はどうなのか。執筆・翻訳家のにむらじゅんこによると、殺害されたシャルブ(画家・シャルリ紙発行人)らは、〈 ドーミエの精神的息子 〉だと自称していたというから比較は大いに意味があると思われる(注10)。
ウジェーヌ・ドラクロワの代表作に《民衆を導く自由の女神》がある。1830年のフランス7月革命を主題とした絵画である。フランスではこの7月革命をへて、言論の自由が本格的に実現し、ジャーナリズムが活性化していった。また、石版印刷の技術の発達で画像が素早く新聞に掲載されるようになり、ジャーナリズムと風刺画が一体化していく。この時代に青年ドーミエは活躍の場をえたのである。シャルリ紙の画家たちのルーツもここにある。
ドーミエの風刺は、7月革命の成果を市民から横取りした国王ルイ=フィリップを批判する政治風刺から始まり、表現の統制や弾圧を受けて政治風刺ができなくなったのちは、社会風刺などに転じた。1848年の2月革命後には、政治風刺に復帰し、皇帝の座を狙うルイ=ナポレオン(のちのナポレオン三世)を風刺した。そして再び政治風刺から撤退、最後にはゴヤのような奥深い精神世界に近づいていく。
1870年7月に普仏戦争が始まるのだが、9月にはナポレオン三世が降伏してしまう。しかし、パリ市民はプロイセン軍に包囲されながらも抵抗を続け、翌年1月の休戦でようやくパリ籠城戦が終わる。この時期にドーミエが描いたのは、死屍累々の荒野を背景とした悲劇の絵であった。ある絵では、安楽椅子でまどろむプロイセン首相ビスマルクに死神が寄り添い、死体だらけの荒野を指さして、〈 ビスマルクよ、ありがとう 〉と皮肉な言葉を語る(注11)(図4)。あるいは死の荒野にただ一人たたずむ女性(図5)。敵も味方も、あまりにも多くの人が死んだ。もはや批判や憎しみの次元ではなく、深い諦観がにじむ風刺に至っている。

右(図5)ドーミエ《遺産に打ちひしがれて》同紙1871年1月11日
ドーミエとシャルリ紙の画家たちの間には継承というより大きな断絶があり、ドーミエの精神的息子と呼ぶことにはためらいを感じる。シャルリ紙の画家たちの表現の中味を冷静に検証する必要がある。もちろん誰からも表現の場を奪ってはならない。自分たちの思想に合わないからといって、暗殺したり襲撃したりするな!、である。そうではなく、あくまで表現内容へ関心を向け、評価と批判を繰り返すことで、優れた表現を獲得していくこと。これが結論である。これは、ありふれた結論なのだろうか。抑圧、弾圧、暗殺、そして様々な差別、そして極端な経済格差、そして普遍的価値だったはずの民主主義が切り裂かれようとしている現実の前では・・・非現実的な空論なのだろうか。
(注9) ローズ=マリー&ライナー・ハーゲン著、Reiko Watanabe, Chiba訳『フランシスコ・ゴヤ』TASCHEN、2003年
(注10) にむらじゅんこ「シャルリとは誰か」『シャルリ・エブド事件を考える』白水社、2015年
(注11)(図4・5) 喜安朗編『ドーミエ風刺画の世界』岩波文庫、2002年
われわれの時代が来る
最後に、バンクシーとの関連性について記しておこう。シャルリ襲撃事件とバンクシーの間に関連性は見られない。が、文芸評論家・フランス文化研究者の陣野俊史の論評(注12)を読むと、関連する一面が見えてきた。ラップである。事件直後に襲撃犯兄弟の弟の方、シェリフ・クアシの古い動画が世界中に配信されたそうである。陣野によると、〈 赤いキャップを逆向きに、つまりツバ部分を後頭部のほうに回して被り、軽快なステップを踏んで、ラップしているのが、誰であろう、シェリフ・クアシだった 〉という。配信されたのはたった3秒のラップだったが、ラップに詳しい陣野は、この点に注目しながら、シェリフの背後にあるラップ文化に言及している。
陣野は、〈 そもそもイスラム教徒が多いラッパーたちは、シャルリ・エブドへのシンパシーが薄かったようだ 〉と記している。おそらくフランスに限定しての話だと思うが、ラップについてまったく知識のない私などは、〈 へえー、そうなの 〉という以外に言葉が出ない。しかし、興味深い。事件より数年前、ラッパーのネクフが〈 ろくでなしどものシャルリ・エブドには火刑を望む 〉と歌ったというし、また、事件の一週間前には、ラッパーのメディーヌが新曲のサビでこう歌った。〈 マグレブ出身のあんたの髭、この国じゃ好かれないぜ、オレの妹のスカーフ、この国じゃ嫌われる、あんたの黒い信仰もこの国じゃダメだ、ご婦人と紳士のカップルもこの国じゃ好かれない、みんな天国へ行こう、天国へ行こう、天国へ行こう・・・・・・ 〉。そして「ライシテしない 」(宗教色を捨てない)と解釈できる歌になっているという。
ラップというと、素人の私には、流行現象の一面しか見えていないが、違うようだ。陣野の論評を読むと、ラッパーたちがフランス社会でかなりの発言力をもって活動している様子が見えてくる。その他の国でのラッパーたちの活動、さらにラップを含めたヒップホップ文化の有り様が気になってくる。そう、私はヒップホップ文化であるグラフィティとの関連で語っている。ストリートで表現行為をするグラフィティライターたちの背後には、クアシ兄弟とたいして変わらない現実、社会の歪みや差別、貧困、孤立があるものと想像できる。譬えるなら、やはり違法ネズミである。こうした現実の中で増殖した違法ネズミが、いつの間にか、美術のような表文化とは次元の異なるアンダーグラウンド文化を創り出してきた、ということではないのか。
金(カネ)をふんだんに与えられ、金ピカのアートネズミになった奴もいるだろうが、背後の現実は変わらない。そして別の違法ネズミが次々と地上に這い上がり、自己主張する時代が思い浮かぶ。すでに2004年頃にバンクシーが予告していたではないか、〈 われわれの時代が来る 〉と。実はもうそんな時代の中に私たちは生きているのかもしれない。
(注12) 陣野俊史「たった3秒のラップ」『シャルリ・エブド事件を考える』白水社、2015年
( 05|ドーミエの息子たち⋯血に染まるシャルリ紙の風刺 おわり)
