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ドラマレビュー:『デカローグ Dekalog』~孤独と愛と救済の傑作ドラマシリーズ

1989年~90年にかけてポーランドのTVで放映された本ドラマシリーズは、最終的に視聴率が64%を超えたという。デカローグ(十戒)とタイトリングされてはいるが厳めしい感じはほとんどなく、たとえ予備知識がなくともそのまますんなりと入っていけるハードルの低さが特徴だ。しかし、ワルシャワ郊外と思われる巨大団地に住まう人々を主人公にして、キリスト教的メタファーをふんわり被せている巨匠キェシロフスキの演出力には舌を巻くしかない。第7話と第10話を除いてどの話にもひょっこり顔を出してくる天使ならぬ“救世主”がその最たる例だろう。アンゲロプロス作品では毎度お馴染みの“黄色い雨ガッパ隊”のような存在のこの男が、団地で暮らす孤独なポーランド人たちを優しく見つめているのである。グラスに注いだミルクや紅茶、ウォッカをテーブルから故意に落とすショットも実に印象的で、今まさに十戒を破った(破ろうとしている)人間に下る罰を暗示するかのような雰囲気を醸し出している。ボッチな人間たちが犯した過ちもいずれ神に許され救済を与えられるならば、普段リモートワーカーたちが強いられてる孤独もまんざら悪いものでもない。そんな前向きな気持ちに浸れる貴重なドラマシリーズなのだ。

第1話 [ある運命に関する物語]~私の他に神があってはならない
PCプログラム?を大学で教えている教授とその息子のお話。データさえ打ち込めば全ての未来は予測できると信ずる父親の影響を受けている小学生の息子も、簡単なプログラムならすでに自作できるほどの天才肌。ある日牛乳瓶が凍りつくほどの寒波が団地を襲い、PCによる計算の結果、池の氷がスケートできるほどの厚さに達していると親子は予測。父が息子のためにスケート靴を買い与えた結果、ある悲劇が….神の替わりに理性を信じた男は、手痛い“天罰”を受けるのだった。(水上ならぬ雪上を歩いていた)ホームレスに化けた救世主が氷が割れて穴が開いた場所でずっと焚き火をして暖をとっていたような….“I am ready”男が信じた“偽神”はけっして涙を流さない。

第2話 [ある選択に関する物語]~神の名あるいは主の名をむやみに唱えてはならない
愛人との間に子供ができた妊娠中のバイオリニスト妻の夫は、進行性の癌で死にかけていた。夫が直ぐに死ぬのなら生み、寝たきりのまま生き延びるのなら堕ろす。年齢的にもう子供を生むことのできない妻は究極の選択を迫られる。同じ団地に住む夫の主治医である医者にしつこく付きまとい、病状を何度も確かめようとする妻。お腹の子供を救うため嘘をつくこの医者に実は名前が無い。ラストには想定外のどんでん返しが待っていた。インターンに扮した救世主が奇跡を起こしたのかも。自己都合で医者=神を利用し、出産の選択を下した妻に訪れる皮肉な運命とは….妊娠中にタバコはいけませんよね。

第3話 [あるクリスマス・イヴの物語]~主の日を心にとどめ、これを聖とせよ
サンタクロースに扮したタクシードライバーのお父さんが、家族にプレゼントを配ろうと団地の表扉を開けた時、すれ違う男。そうやつれたその表情は、息子を事故で失ったばかりの[第一話]に出ていた無神論男。ならばその後に続くキャメロン・ディアス似の美人ちゃんエヴァは、自宅を留守にしていたお母さん?介護施設と思しき場所でボケた母ちゃんに「(数学を)ちゃんと勉強しているかい?」なんて聞かれたりするもんだからてっきり….まったく別人の単なる寂しい独女であることが後々告げられる。「家を出ていったきり帰ってこない夫のエドヴァルドを一緒に探してほしい」ずっと前に別れた女の狂言に薄々感づきながら、ずっと付き合ってあげる優しきサンタ男の職業はタクシードライバーだ。救世主の運転する路面電車に突っ込もうとしたって心中できるわけないんだよね。カメラレンズに映りこむワルシャワの寂しいイルミネーションがなんとも儚げで美しく、聖なる夜のアバンチュールを控えめに盛り上げていた。

第4話

第4話[ある父と娘の物語]〜汝の父と母を敬え
第1話に登場していたホームレスをなぜ私は天使ではなく救世主だと思うのか。母が残した最期の✉️を娘のアンカが今まさに開封しようとしている時に現れるボートを漕ぐ男のことである。「開けちゃうんだ」みたいな感じでアンカを横目に見ながら通りすぎる男。私には、白いボートを背中に担いで歩くその姿が、✝️を背負ってゴルゴダの丘を上るキリストに見えたからなのである。アンカは果たしてミハルの娘なのか、それとも…あえて明確な解答を示さずあいまいなまま終わらせたキェシロフスキの演出が素晴らしくハマっている。この父娘の関係はこの先どうなるのかって?神のみぞ知るってことでよろしいんではないでしょうか。

第5話

第5話[ある殺人に関する物語]〜汝殺すなかれ
以前、本話のロングバージョンを観たことがあったのでストーリーは大体頭に入っていたのだが、どこにでもありそうな日常的なエピソードをつなげた他の話に比べると、“死刑廃止“という社会問題に正面から取り組んでいるせいか肩に力が入りまくった作品だ。本ドラマシリーズ映画化の話が持ち上がった際にキェシロフスキが真っ先に推したのが本話だっという。“死刑“という殺人を非正当化するためには、余りにも無軌道で同情の余地がない殺人をしでかす青年ヤツェック、ブルジョワ連中に乗車拒否をかます割には野良犬や子供には優しい被害者のタクシードライバー、そして正義感の固りのような理想主義者の新人弁護士ピョートル。もしかしたら、3人の目から見たそれぞれの“殺人“を、キェシロフスキは「羅生門」風に演出しようとしたのかもしれない。殺人が行われるその直前、測量士姿の救世主がヤツェックと目を合わせながら微かに首を振る。それは「神の声はこの男には届かない」という諦めだったのだろうか。

第6話

第6話[ある愛に関する物語り]〜汝姦淫するなかれ
無償の愛を主張する孤児院出身の郵便窓口係トメク。愛なんて存在しない、SEXだけよ。トメクに私生活を覗かれ続けたマグダの反論である。覗かれた女が逆に覗き返す時、そこにはマグダさえ気づかない(遠くからそっと見守る、という)“無償の愛“が育ちつつあったのだ。本話のロングバージョンには、マグダを演じた女優さんがキェシロフスキに逆提案したラストが採用されたという。しかし、郵便局の“穴“の空いたガラスを隔てて「もう覗かないよ」とトメクが戯けてみせるドラマ版の方が断然よろしい。マグダの後悔が仰々しく強調されたロングバージョンに比して、こちらは茶目っけタップリ、トメクの恢復を予感させるラストになっているからだ。団地の“十字路“でトメクとすれ違う救世主も納得のエンディングだろう。

第7話[ある告白に関する物語]〜汝盗むなかれ
公式HPに書かれているキェシロフスキ本人のコメントによると、本話のシナリオはスタッフの身辺で実際に起きた出来事に基づいているという。実は隣家の娘さんがどうも若年出産し、おっかない母ちゃんが男と別れさせ娘と孫を実家に住まわせているらしく、赤ん坊の夜泣きが窓越しから始終聞こえていたのである。母ちゃんと娘が口げんかする様子は、まさに本話のエヴァとマイカそのものであった。実娘としてアニャを戸籍登録?しているエヴァは精神不安定なマイカからアニャを“盗み”、今度はマイカが自分の実娘アニャをエヴァから“盗み”返す。そしてアニャ自身は未来をこの二人の母親によって“盗まれ”てしまうのだ。救いの無いストーリーだったせいか、救世主の男は最後まで姿を現さない。そういえば、お隣さんから最近子供の泣き声が聞こえてこなくなったのはなぜだろう?

第8話


第8話 [ある過去に関する物語]~隣人について偽証してはならない
大学で倫理学を担当する女教授ゾフィアの元に、ゾフィアが執筆した本の英訳担当エルジュビエタがアメリカからやって来た。彼女は戦中ゾフィア夫妻が洗礼後見人になることを拒否したユダヤ人少女だった。「たとえ良いことでも、偽証は偽証だ」と言って断ったのだ。宗教的理由というよりも、真実は少女を預けることになっていた活動家によからぬ虚偽の情報(ゲシュタポ通報者)があったせいだった。エルジュビエタを自分の部屋に泊めたゾフィアはその晩エルジュビエタが神に祈る姿を目撃し、過去に自分が犯した罪からの救済を予感する。翌日彼女を元活動家であった仕立屋の元に案内するゾフィア。「戦争中の話はしたくない」複雑な表情で2人を見送る仕立屋は暗い過去にずっと囚われたままこれまで生きてきたのだろう。救世主が熱心に耳を傾ける授業中「子供が生きていることが何よりも大切」と生徒に語ったゾフィアが過去についた嘘を(絵をちょっぴり傾けるだけで)神はきっとお許しになったにちがいない。

第9話  [ある孤独に関する物語]~隣人の妻を欲するなかれ
孤独というより嫉妬心がキーワードになっているお話。性的不能の外科医が妻の浮気を疑い(後に大学生の若いツバメと妻が✕✕していることが発覚)、自暴自棄的行動に出た挙げ句自殺未遂。どうも第7話といい本話といい別に監督はキェシロフスキじゃなくてもよかったんじゃないかと思えるほど、ストーリーが陳腐で品性に欠けている気がする。外科医ロメクが駆るロードレーサーに追い抜かれるママチャリ救世主の登場のさせ方もありきたりで意外性がないのである。わざと夫の目に触れるようにし、妻のハンカがなぜあんな目立つところに学生のノートを置き忘れたのか。愛する夫ロメクをもう一度ふるいたたせるための艶技?ではなかったのだろうか。「愛は心と心の間にあるもので、両足の間にあるものじゃないわ」ハンカの名言がどこにも着地できずに宙に浮いたままなのである。患者役の若い娘がなせがバスローブ姿で院内をふらついていたり、自転車のサドルで股関を刺激したり…この時代バイアグラは手に入らなかったんですかね?どうしてももう一度“昇天”したかったロメクなのでした。

第10話  [ある希望に関する物語]~隣人の家を貪るなかれ
父親の葬式で久々に再会した平凡な会社員の兄イェジとロックバンドボーカリストの弟アルトゥル。厳重なセキュリティに守れた亡き父の部屋から大切に保管された切手が見つかる。扉を開けるや、けたたましくなり始めたアラームに合わせて弟アルトゥルがシャウトするシーンにまずは一笑させられる、シリーズ唯一のコメディ回なのである。切手商に騙されて、父が遺した高価な切手コレクション全てとイェジの腎臓を失い、二人に唯一残された“兄弟愛”までも危うく…ツェッペリンの連作切手を第8話で見せびらかす兄弟のけちん坊父さん、さらには切手の売り子役で第6話の自殺未遂男トメクまで友情出演?しているのになぜかあの救世主の姿が見当たらない。ぜひ代替えボーカル役でど音痴なシャウトを聴かせて欲しかったところである。しかし一番肝心要なところで“シャウト”どころか窃盗犯グループになついてしまったドーベルマン君が可愛すぎ。もしかしたらこの最終回、全てを失った兄弟の“泣き笑い”を含めた“叫びと(悪魔の)ささやき”がキーワードだったのかもしれない。

デカローグ
監督 クシシュトフ・キェシロフスキ
(1989~90年)
オススメ度:★★★★★


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