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鏡像の他者

仏現代哲学における「他者」は、単なる「自分以外の人」ではなく、思索の基礎をなす「自己とはなにか」や「主体はいかに成立するのか」また「社会や権力はどのように働くのか」などにつながる中心概念だ。自分の連作写真自画像企画においても、他者概念が基礎となっている。まず、サルトルの哲学における 他者は「まなざし」として現れ、私を「対象」に変える。有名な「鍵穴の覗き見」の例え『ひとりの私は行為に没入した主体だが、背後の足音で誰かに見られていると気づいた瞬間、私は「覗き見していた者」という対象へと凝固する』があり、他者は私の自由を奪う脅威で、対自と即自の間で相克が起きる。ラカンの他者は大文字の他者と小文字の他者に分かれて複雑だが、自己像はつねに他者(鏡・親)を経由してしか成立せず、自己は本源的に疎外されている。メルロ゠ポンティの他者はサルトルらの対立図式を緩和し、身体は「見るもの」であると同時に「見られるもの」で、他者との関係は闘争である以前に、身体間の間主観的な絡み合いとして基礎づけられる。つまり、鏡面に写る私は私ではなく、他者を経由してしか成立しない私であり、連作は仏現代哲学の絵解きでもある。

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Morihiro Matsushiro ¡Muchas gracias por todo! みんな! ほんとにありがとう!