意味も効能も主題も主張もモルゲッソヨ
かつて『エイリアン』がテレビ放送された際、解説者が「なんのテーマもメッセージ性もない」とこき下ろしたって、そんな都市伝説がある。いかにもありそうな話だし、映画を芸術と娯楽に分け、後者をくさしたがる傾向はいまもあるから、反発を感じつつも疑いなく飲み込んだんよね。そのころの、ワイは。ただ、いまならそのころのワイに言いたい。作品には「テーマもメッセージ性も不要やで」って。だいたい、ガチの国家認定パブリックアートになったら、わざわざ作家や評論家がテーマやメッセージを振りかざさなくても、作品の読みを鑑賞者へゆだねるもんや。例えば金知鉉の『弾丸マン』なんかはモルゲッソヨとネタにされ、作家自身が口を開く羽目に陥るまで、だれもテーマやメッセージを気にせんかったやんか。正反対の例として、ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』には多重のテーマやメッセージが込められてるって考察を、作家不在のままファンが賢しらに語っていた世紀末サブカル環境ってのは、転倒した権威主義っぽくて、正直きしょい。テーマやメッセージを盛り込んだ娯楽はつまらないって素人さんの直観は、もしかしたら正鵠を射とるんやないかな? それなのに、ソーシャルネットや作品販売においては、テーマやメッセージを求める圧がますます高まっているように思う。わかりやすいし、売りやすいからね。挙句、ケア・アートやらアートのメンタルケアなんて、効能までうたわれるようになっちゃった。この辺は、金も出さへん、作品を買うわけでもないくせに、でも自分が気に入った作品には客観的価値を有してほしいって、鑑賞者のものすごくせこい願いが露出しとる。あたかもスラヴォイ・ジジェクが語る幻想のイデオロギーや、生きるうえでの充足感が得られないためにすがる幻想のように。そんな願いに寄り添ったり、まして応じる必要もない。だから、課題提出作品ではなく、また販売目的の作品でもないなら、創りたいから創り、みせびらかしたいから公開するでいいと思う。特に権威や商業的要請、媒体としての役割から離れたアウトサイダーアートって、そういうものと思うし。




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