機能不全家族で育った私の結婚生活を哲学する⑩|私の家庭とは?
ちょっと聞いてもいい?
「私の家庭」って、どんな家庭だろう?
結婚して、家庭をつくってきた。
でも、「これが私の家庭だ」という感覚が、
どこかはっきりしない?
「普通の家庭」が分からないまま、
手探りでやってきた。
間違えた。
やり直した。
それでも。
「私の家庭」が何なのか、
まだ定まっていない気がする?
機能不全家族育ちに、これほんとに多い。
なぜかというと、「私の家庭」という感覚を、
持ちにくかったから。
親の家庭は、「親のもの」だった。
子どもの意見は、後回しだった。
「家庭はこうあるべき」という、
親のルールの中で育ってきた。
だから、「自分の家庭をつくる」という感覚が、体に馴染んでいない。
でも今日、はっきり言いたい。
私は、私の家庭をつくっていい。
🦉哲学的な問い、
「私の家庭」とは何だろう?
~哲学者のサルトルはこう言った~
「実存は本質に先立つ」 と。
「家庭とはこうあるべき」という本質が先に
あるんじゃない。
1日1日の選択の積み重ねで、
「私の家庭」が作られていく。
~哲学者のアリストテレスはこう言った~
「幸福とは、活動の中にある」 と。
「私の家庭」は、完成するものじゃない。
毎日の小さな選択の中に、ある。
仏教では、
「一期一会(いちごいちえ)」という言葉が
ある。
この瞬間は、2度と来ない。
今日の1つの選択が、
「私の家庭」を作っていく。
儒教では、
「斉家(せいか)」という概念がある。
家を整えること。
でも整えるとは、完璧にすることじゃない。
毎日、少しずつ向き合い続けること。
ここで問いを置かせてほしい。
「私が作りたい家庭は、どんな家庭だろう?」
そして、
「今日、その家庭に向けて、
1つだけできることは何だろう?」
🦉「私の家庭」は、今日から
作っていけるものだった

「私の家庭」とは何か、
その正体を、はっきりさせたい。
一言で言うと、
「今日の選択の積み重ねで、作っていくもの」。
機能不全家族で育ったから、
「家庭のモデル」が歪んでいた。
「普通の家庭」が分からないまま、
手探りでやってきた。
間違えた。傷つけた。傷ついた。
でもその手探りの中で、
少しずつ分かってきたことがある。
「私の家庭」は、
親の家庭のコピーじゃなくていい。
安心できる場所にしたい。
本音が言える関係にしたい。
笑える時間を持ちたい。
その1つひとつが、
「私の家庭」の定義になっていく。
完璧じゃなくていい。
正解じゃなくていい。
今日1つだけ、
「私の家庭らしい選択」をすること、
それが、「私の家庭」を作ること。
心理学的に言うと、
「世代間伝達の断絶」という概念がある。
機能不全家族のパターンは、
気づいた人が、意識的に変えることで、
次の世代に伝わらなくなる。
「私の家庭」を意識的に作ることが、
その断絶の、具体的な実践。
スピリチュアルな視点で言うと、魂は、自分の家庭を自分で選んで作る力を持っている。
機能不全家族で育ったことは終わりじゃない。「私の家庭」を作る旅の、出発点だった。
仏教的に言うと、
「転迷開悟(てんめいかいご)」という言葉が
ある。
迷いを転じて、悟りを開く。
機能不全家族という迷いが、
「私の家庭」を作る力に変わっていく。
私自身の話をすると、
結婚したとき、こう思っていた。
「親のような夫婦にはならない」
「自分が育った家のように、嘘で塗り固められた家族なんて作らない」
そう、強く思っていた。
でも、理想と現実は違った。
私がそう思っていても、夫は違う。
逆に、夫が考えていることを、
私は考えてもいない。
「なんで分かってくれないんだろう」
「なんで伝わらないんだろう」
ずっとそう思っていた。
でも、あるとき気づいた。
家庭は、1人で作るものじゃない。
2人の問題なんだ、と。
私の家では、
「結婚は家同士のもの」と言われていた。
どこか納得できないまま、聞いていた。
夫との結婚は、猛反対された。
私は家出をする形で、結婚。
それだけは、どうしても曲げられなかった。
そこから色々あった。
夫の考えと、私の身内の考えが、あまりにも
ずれていて、しんどくなることも多かった。
でも自分で決めたことだから、
悔やめなかった。
そんな中で、ふと気づいたことがある。
祖父母も親も、
普通にいけば、自分より先に逝く。
だったら、よっぽどおかしなことじゃない
限り、夫の考えを大切にしよう。
そう思った瞬間から、少し楽になった。
「家のしがらみ」より、
「2人の関係」を大切にしようと、決めた。
私の理想だけじゃ、家庭はできない。
夫の考えも、一緒に織り交ぜながら、
2人で作っていくものだったんだ。
それに気づいてから、少し楽になった。
体1つで2つの人生を生きられるわけがない。
「私の家庭」は、今日から作っていける。
歪んだ世界を見てきたからこそ、
本当に大切なものが、誰より深く分かる。
🦉今日、「私の家庭らしい1つ」
を選ぶ

🦉歪んだ世界を見てきたからこそ、
本当の家庭の価値を知っている

最後に、1番伝えたいことを言うね。
「私の家庭」が分からないまま、
手探りでやってきたあなたへ。
あなたは、
「私の家庭」を、自分の手で作ってきた。
正解が分からなかった。
間違えた。
傷ついた。
でも諦めなかった。
手探りで、それでも前に進んできた。
それだけで、十分すごいこと。
機能不全家族で育ったことは、
「私の家庭」を作れない理由じゃない。
「本当に大切なものは何か」を、
誰より深く考えてきた理由。
~哲学者のフランクルはこう言った~
「苦しみに意味を与えることができるとき、
人は生き続けられる」
機能不全家族で育った経験に、
意味を見つけていく。
「だから分かる」
「だから作れる」
それが、
歪んだ世界を見てきたからこそ見える本質。
歪んだ世界を見てきたからこそ、
本質が見えるようになった。
機能不全な家庭を知っているからこそ、
本当の家庭がどういうものかを、
誰より深く理解できる。
「私の家庭」は、今日から作っていける。
歪んだ世界を見てきたあなただからこそ、
本当に温かい家庭を、作れる。
🦉自分と向き合う3つのワーク

傷は地図になる。
歪みは、本質を見る目になる。
そしてあなたの人生は、
今日から、あなたのものになる。
ゆっくりでいい。
でも、確かに。
最後まで読んでくれて、
ありがとうございました⭐
誰かの「前を向くきっかけ」になればと
思いながら書いています。
一緒に、
自分の物語を取り戻していきましょうね😊
