静かに。だけれどつよく
最近素敵な曲との出逢いがあった
”道徳の向う側であなたは吠えている
淡泊な言葉の裏側が透けているよ
真昼の無彩色を不穏な色にして本当に馬鹿な嘘つき”
”騒がしいものばかり見つけられてしまうから
静かなものをそっと大切に思いたい
美しいものばかり主役になるから
汚れたものをじっと磨いてゆきたい
忘れないように忘れないように”
一曲は、私の過去の記憶から懐かしい叫びと今でも何ら変わらない心の奥底の感情という名の、それに合う言葉が見つからない程の強烈な又は些細で抽象的なもの。普段は感じても感じきることを少し諦めていて、分かっているけどそれを感じたことでどうにもならないこともわかっているから奥底にしまい込んでいる。それを心から引っ張りだしてくれるような魂の籠った言葉がすきだった
もう一曲は、はじめてその曲を見つけたとき「見つけられてよかった」と思った。この曲にも私の根強い曲げたくない本当はっていう強い気持ちが優しいメロディにのせられていたんだ。
私は、優しくはないし綺麗でもない。それでも私は私で生き続けたいと思うなにかがあるのだ
SNSは無力だなとおもった。
けれど、本当に無力なのは自分だ。
私の人間力というか、人間としての価値のようなもの、目に見えぬ他人の評価。勝手に感じとり、理解し難い行動を何ひとつ受け入れられない狭い心。自らたくさんの人から離れたせいだ。
気がついてほしいと心の奥で願っていてもそれは最も簡単に打ち砕かれるし、気がついたらわたしは此処(SNS)にも存在していないのかと思う瞬間が多々ある。本当に伝えたいことはいつだって伝わらないし、他人の今に不快な感情まで抱いてしまう。
忙しない日々のなかで、沢山の居場所がある人は前世ではどんないい行いをしたのだろうか。色々な好きがあって色々なところに行ける体力と財力があってそれはその人の人生の賜物なのだろうけれど
それでも自分の人生に後悔はしたくないしできるだけ優しさについて考えたいとも思う
人のあたたかさに触れた瞬間は涙がでてしまう。あたたかさに慣れてしまわないようにそれが当たり前だと思わないように私の人生にはそういうものがきっと人よりも少なくできているのかな
嫉妬も妬みも吐きそうなぐらいの苦しさも泣く時はいつだって独りなことも。助けてなんて言えないことも、心から笑える瞬間がなさすぎることも。きっと生まれた時から決まっていたのかなと最近は思う。だからまぁ、しょうがないんだと思うようにしている。
優しいふりして優しくない悪魔みたいだと自分で思うんだ。でもそんな悪魔だっていつかしあわせになりたいんだよ
そんな風に思ったから、近所の神社に行ってそれを神様に伝えてきたんだ。それが精一杯の私の悪魔としての反抗であり叫び。
嘘はつきたくない。
いつだって感情に素直でいたいし、人前では隠さないといけない時もあるけれどせめて自分の前ではこのままでいたいんだ。受け止めきれない汚い感情だっていっぱいいっぱいあるけど、がんばって受け止めていたらやっぱり私は惨めになった気がしたんだ
自己肯定感という言葉があって、多幸感という言葉があるけれど、私には縁のない言葉だな。
わざわざ自らそういうものをあげようと頑張ることはできないし、誰かがあげてくれるものでもないから私は自分を愛せない
自分を愛せなきゃ誰かを愛せないなんていうけれど、見返りを求めなければ、愛すというのは自分勝手で自分だけの気持ちだから私が愛しているものはだいすきなものは誰にも変えられない
そんな意地のようなあんまり美しくないものだ
嫌いな言葉を「わたしはこの言葉が嫌いだ」と言いふらしたいし、言い方だってこういう話し方をする人は自信過剰で好きじゃないと大声で言いたい。自分が気持ちよくなりたいがための勝手な行動をとる人や相手が自分を好いてくれていると勘違いしている人には石があたればいいと思うんだ。
そんなことを思ってしまうんだ。
私だってもう少しでいいから心地よく生きていきたい。それだけなんだ
それを許してくれない人やものや世界がすきじゃない。でも本当はもっとすきになりたい。
なんて矛盾した感情なのだろう
複雑化しすぎて自分でも解くのが難しい。
こんな自分と死ぬまで付き合わないといけないのは至難の業だな
一生ひとりでいようと静かにつよく思ったり、
