にじゅうろく。
あと数ヶ月でわたしも26歳
世間的にアラサーなのは正直どうでもよくて
私はこの先また頑張れるのか不安に思う日々。少なくとも周りから見て「普通」認定されるぐらいには元に戻りたいのです。今はまだ程遠くて、今日も長時間の検査と診察で自分のことを話すことにストレスを感じトラウマを蘇らせる行為をどうして自分でしないといけないのか、話してると涙が止まらなくなるのもいつものことで、いつかはそんなこともあったと笑える日が来るのだろうか
25歳の残り2ヶ月半と、26歳の1年間はどう過ごすのが正解なのかな。どう過ごしたら在りたい自分で在れるのだろうか。そんなことを考えながらぽつらぽつらと書いていきます
最近は推しの誕生日があって、そしてだいすきな推しのエッセイを読み返していたら、そんな日々でも残しておきたいなって気持ちになってここに記そうとおもいます
健康ってむずかしい
あと3ヶ月ほどで26歳。この歳になって、健康って大事なんだなって、健康に生きていきたいと思うようになった。自分が実際に心と身体を壊して、何もできない灰のような日々を過ごさないといけなくなってから、普通の大人は、限界というものを知らないといけなくて、自分を労わりながらも、周りから見て貴方は頑張っているそんな風に全てほどよく存在しないといけないことに気がついた。そうじゃないと、存在そのものが否定されてしまうんだ、頑張っていないと、気を張っていないと居場所も評価もなくなってしまうそんな風に怯えて過ごしていた20代前半。でもそれは違くて、頑張っていても気を張り詰めて耐えていても、人と比べられ、酷い言葉や態度、誰も守ってくれない見て見ぬ振りの環境、そんなものは変わらなくて、評価されるなんてことはなかったんだ。だとしたら、私はなんのためにあんなに心を壊すまで耐え続けたのだろう。評価なんてついてこないのに、誰も見てくれないのに、なんなら最初から最後まで誤解されまくりだったのに、そんなことなら初めから頑張らなくても良かったのにね、意味ないじゃんって時間を無駄にした気がした。気を張り詰めて過ごした時間も、心を壊して休んでいる今も、全部無駄な時間に思えて呆れてしまう。
今は2度目の休職。1度、2ヶ月ほど復帰してみたものの、また体が動かなくなりどうしようもない気持ちで涙が止まらなくてまた仕事に行けなくなった。前よりは全然元気で気持ちの落ち込みもだいぶよくなって大丈夫だって思って復職したのにだめだったんだ。鬱の完治はそれほどにむずかしかった。大丈夫ともう無理を何年も何年も繰り返して良くなっていくのか良くならないのか、そんな病気だと医者からは言われた。2週間に1度の通院。病院も転院させてもらって今の病院は前よりも心地がいい。人に話すということのハードルが物凄く高い私にとってはメンクリは地獄のような場所なのだ。毎回一番初めに聞かれる「この2週間どうでしたか」の質問が1番苦手でどう答えるのが正解なのか未だにわからないのだ。「かわらないです」それだけしか言うことがない。でも今の病院では、検査をしてもらったりオーバードーズをしてしまってから離れていた服薬も調整してもらったり、これから復職に向けてのプログラムに毎日通ったりという日々も待っている。焦るし不安だしこれからどうなるんだろうって物凄く怖いけど、日々やれることをこなせるように。
鬱になってから何十キロも太ってしまった身体も少しずつジムに通いながら、食事に気をつけながら体重を落としていったり、自分と向き合う時間を作ったり、これからどう生きていきたいかを考えたりしている。鬱が今よりももっとよくなったら、どこか遠くに行きたいな。健康、むずかしいけど、健康でいたいね
働くことで
働けるって幸せだったんだなと思う日々。利用者さんの笑顔で癒されていた日々。またあいたいなぁと思い浮かぶ顔もある。働くって、働くことだけになりがちで、働いていると見逃してしまうものがたくさんある。すきなこともできない。特にシフト制で1日しかお休みがなくて、体力仕事だから疲れ切って休みはだいたい寝て終わる。そんな日々にストレスも溜まり、生きる意味を無くしがちだったんだ。だから、次、復職するときは前の会社には戻らず土日祝お休みの仕事に就きたいと思っていて、そのために少しずつ向き合っているところなんだ
介護福祉士の仕事をしているからには、夜勤もやりたいし不規則な仕事もやりたいと思ってはいたけれど今の私、いや、これからの私の「こう生きたい」には合わない気がしたんだ。そのためにやりたいけど諦めることも必要なんだとおもう。諦める、というか選ぶこと。どっちが大事かちゃんと選んで生きること、働くこと。働くからお金がもらえて自分のすきなことに使えて、リフレッシュができて、休日ももっと素敵なものになる。でも働くことで自分を犠牲にしすぎて自分の「すき」を忘れてしまったり薄れさせてしまうのは悲しすぎると思うんだ。私の生き方に合った働き方をみつけていきたいです。
在りたい自分と自分らしさ
私の在りたい自分とは、優しいけどつよいひと。ひとりでも生きていけるような自由さと柔軟さがあって、あとは綺麗に笑えるようになりたい。笑いかたってその人らしさが出る気がしていて、私はある人の笑いかたがすごくすぎて、すごく綺麗に笑うんだ。目を細めて優しく笑うから、私も私らしく笑えるようになりたいんだ。自分らしさってなんだろうって考えることが多くて、どう生きたいかを考えるたびに、自分らしくが思い浮かぶけど、自分らしさって具体的になんなんだろう。周りから私はどう見えているんだろう。人から言われた言葉を思い出してみたり、古いDMのやりとりを見返してみたりする。周りから見えている自分が自分らしさかと言われたら違う気もするし、でも確信をついている気もする。私らしさって、人のことも自分のことも考え抜けるところだったり、五感が鋭すぎるところだったり、心の感覚が敏感で繊細で、それが故に涙脆かったりするけれどそんな自分がすきでもあって、変わりたくない部分でもあるんだ。そんな私を、「優しすぎるから」と言ってくれた人が今までにも居てくれていた。その人達が言う、思う、私でこれからも在りたい。それがらしさなのかな。これからも自分らしさの発見に努めたいし知らない自分を知っていきたいです。
城での過ごし方
わたし、ほんっとに家がすきで。
20歳まで過ごしていた家もすきだったけれど、一人暮らしを始めてから家が城ってぐらいにすきで、今は一旦一人暮らしを辞めておばあちゃん家の2階の部屋を借りて暮らしているんだけど、その部屋もすきで。私の白い家具たちと、窓に貼ってある障子がレース越しに見えるところもおばあちゃんちって感じがしてすき。今は、一人暮らしの時に比べたら狭い部屋だけど、本棚も推し活コーナーも、白いカフェテーブルも分厚いマットレスのふかふかお布団も私が安心できるお城なんだ。
そんな城で過ごす日々、今は仕事をお休みしているから家で過ごすことがほとんどで、ジムと病院の時間以外はずっと家で、本棚の整理をしてみたり、珈琲を淹れてノートに自分の気持ちを書いてみたり、自分の世界に思う存分浸ってみたり、作業BGMを流しながら、本を読んだり、だいすきなハリーポッターを部屋を暗くして見たり。私はすきなドラマや映画を何度も見返す癖があって、全然飽きないのです。SPEC、ストロベリーナイト、プライド、夏の恋は虹色に輝く、コードブルー、アンナチュラル、Queen、ハリーポッター、いちばんすきな花、踊る大捜査線、9係、ちょっと趣味が渋かったりするんだけれど、どれもどれもだいすきで大切なシーンや言葉が詰まってて何度も見返しているもの。そんなすきなドラマたちを部屋で温かい飲み物を飲みながら観るのがだいすきで至福なんだ。すきなドラマを何度も何度も見ているから、なかなか新しいものに手が出せなくて最近のドラマはあまりみれていないのだけれど今期はDOPEにハマってます。あの現実世界では在り得ないぶっ飛んでる世界線や異能力というものに憧れを抱いたりして見ている間はいろんな気持ちを忘れさせてくれるからとても素敵なドラマでした。
新しい本を捲る時、いや表紙と対面するとき、なんであんなに勇気がいるんだろう。新しいドラマや映画を見始めるのもとても勇気がいる。この世界に私は今から入るんだと思うと、覚悟のようなものが必要で、映画館でチケットを買ったあと座席に座ってからもずっと緊張しているのだ。その感覚は大人になってから鋭くなっていったように思う。まだ子供の頃は新しい本の表紙を眺め、読むと決めてページを捲るまでに時間はかからなかった。大人になっていくにつれて新しい世界へ飛び込むことへの恐怖、緊張。臆病になってしまった証拠だとおもった。
26歳。恋、トラウマ
恋愛がすきじゃない。自分を見失う感じがして判断を誤ったりするからほんとにすきじゃない。今まですきになった人は3人ぐらい。すごくすきだったけどそんなに綺麗な思い出じゃなくて思い出したくない黒歴史みたいになっている。時々思い出してはそんなこともあったなと穏やかな気持ちでいられるような恋がしたかったものだ。すきになって恋をして別れて、恋をしたこと自体を後悔するなんて、どこが好きだったんだろうとわからなくなる恋なんてしないほうがよかった。思い出させないでほしいから思い出しかけると胸が痛い。それにいつもどこか違和感だった。都合よく扱われてる感もあったし、甘えられているなとそう感じていた。嬉しさもあったが悲しかったんだと思う。そういう雰囲気にもっていかれるときもいつも内心悲しくて嫌で仕方なくてでも傷つけたくないから私もそういう気分なふりをした。いつからかそれがすごくストレスになってしまって好きなのにできないがはじまって、もう今ではその行為自体もキスもハグも好きではなくて、それはもはやその人を好きじゃないって思われるけどそうじゃなくてでも理解されないからもうそういうことでいいやって諦めたんだ。だからもう恋はしないって決めたんだ。最後の恋らしいものに終わりを告げた時、もうやめようって。傷つけるだけだから、私はきっと理解されないから、やめようって心に誓った。全部の恋がトラウマで、今では男性恐怖症みたいなのもあって、恋愛ドラマが苦手なのはそのせいだ。男の人が、男になる瞬間がどうしても無理で生きた心地がしなくなってしまう。恋ってきっと素敵なものだと思うのにこんな私になってしまって少し悲しいけれどこうなってしまったものは仕方がない。恋をしている限りその人に対してずっと優しくいなければならない。どの瞬間もその人に恋をしていなければならないそんなふうに思ってしていた恋愛は、一生抱えることになるトラウマを引き起こしただけだった。恋愛とはまた違う話になってしまうんだけれど、だいすきな子のエッセイで、「すきはずっとは続かない」というような文があって、そのときはその子に対して私はずっと好きだし味方だよって感想を送ったりしたのだけれど、安易に送ってしまったかなとずっと後悔していた。ずっと続かないことも知っているし、ずっと続かないとエッセイに書いた彼女は、きっとものすごくポジティブな意味で書いたわけではないと思うから。それを「私はずっとすき」と感想を送ってしまったのは何か違くて彼女の気持ち、経験から思ったことに対しての言葉に「私は」なんていらなかった。そう思ってから、DMで伝えようかと思ったりしたけどそんなことしたらキモいかなって一度送ってしまった言葉を訂正できずにいた。今回、ここに書くことで届いたりしないだろうか、
すきは確かにずっとは続かない。特に恋愛ではほんっとに続かない。どちらかの大きすぎる気持ちや欲や理想。大きすぎても小さすぎてもどちらも苦しい。好きでいることは体力を使うし、好きが薄れてきた自分に気がついたとき、この気持ちをずっと続けられない私が悪いのかもと疲弊してしまうのが私のオチだ。だから恋愛に関してはずっとなんてないと思うんだ。信用してはいけないと思う。けれど、私のだいすきで素敵な推しは、きっとたくさんの努力をしてくれていてそれをSNS越しにもとてもとても感じるし、頑張る姿も夢を叶える姿もきらきら笑う姿もがんばれないような日も悔しい日も悲しい日も幸せだけじゃないそんな日もぜんぶ私は知りたいとおもう。そんな魅力が彼女にはあるんだ。彼女のそんな魅力とファンを大切に想ってくれているような言葉や行動が、より愛を増させるんだ。お互いの大切に想う気持ちが合わされば、ずっとはないすきもきっと永遠に続くのだろうなとそう思う。だが、安易に「ずっとすき」と言えない感覚、気持ちを伝える上で気をつけるようにしていること、たくさんあって。すきもかわいいもいつだって本当のことをたった1人に伝えないとその気持ちは伝わらず、みんなに言ってるように聞こえてしまうからだ。だから私は、「すき」「だいすき」「ずっとすき」そんな愛で溢れた言葉たちはたった1人にしか届けない。彼女に対してのずっとすきが続くと確信しているのも彼女の幸せを心から願えるのもぜんぶ彼女の魅力だとわたしは思う。彼女の目に見えない血の滲むような努力、それに見合うようにわたしも彼女だけに愛を伝えられたらなって思うんだ。彼女が少しでも、「よかった」と安心できるように。そう思えるぐらい大切な人に出逢えて本当によかった。
26歳。ともだちの定義
ともだちってどこからがともだちなんだろう。子供の頃、学校の友達っていう括りが苦手だった。同じ学校っていうだけで、同じクラスっていうだけで友達なんて呼べないのに、本当は私も素直にこの子と友達だと思いたかったことが何度もあった。けれどその度に些細な裏切りに直面した。ともだちどころか、いじめられてしまったりしてみんな敵だった。大人になって、連絡を取る友達、ご飯に行く友達、旅行に行く友達。カフェに行く友達。電話をする友達。年々、少しずつ減っていき、今では誰もいなくなってしまった。自分から連絡をしてもすぐに終わってしまう会話、自分がスタンプを送らざるを得ないような自分が終わらせなければならない雰囲気の会話、私が送らなければきっと送られてこないと分かる会話。私を必要とされていないのが画面越しにすごく分かって苦しかった。だからもう自分からも連絡しなくなった。だから誰からも連絡が来なくてだれとも会わなくなった。お互いが同じ熱量で必要とし合える友達が私もほしかった、居てくれたら心強かった。親友なんて呼べる人、出逢えたことがなかった。みんなたのしそうでいいなって、笑ってていいなって眺めるだけで。
友達の定義って、人それぞれで何度か会ったら友達と思う人もいれば私みたいに友達と思えるハードルがものすごく高くて、そう思ってもいいのかなと不安になる時間も長いから、そこを全部クリアしないと友達という言葉は中々使えない。私にとって友達は、理由がなくても連絡が来たり会うことができるひと。絶大な信頼や尊敬も必要。こんなんだから友達がいないのは百も承知なんだけれど、私はいつだって連絡が途絶えない友達が居てほしくて、受け止めてくれる人が居てくれたらなって、親友という言葉にずっと憧れを抱いている。
理想の暮らし(妄想にて)
最近、自分がすきだと思える自分だけの世界を広げている最中で、その中でも理想の「家」を頭の中で創ることが小さい頃からずっとすきで。子供の頃はスーパーに売っている小さなゼリーが3つセットになっているもの。とくにりんごと葡萄がすきでそのゼリーでできた家をつくったりしていた。住んでいる街もぜんぶゼリーでできていて、いくら食べても減らないのがすきなところだ。
大人になってからはゼリーでできた家ではなく、ちゃんと木の温もりを感じるような、どこかレトロな感じも漂うそんな家に憧れている。設定は細かくて、ラグの柄や、ソファの上にあるクッションは3つぐらいでシンプルなものよりも少しおしゃれ上級者なチェック柄。この棚のなかには常備薬が入っててとか、寝室はぜったいにクイーンベッドでとか、ベッドの上で映画がみたいからプロジェクターは絶対。家の間取りも決まっていて、トイレは寝室に近い場所にあって、玄関は広くて鏡もあって、香水などもそこで吹きかけられるように置いてある。柔軟剤も何を使うか決まっていてと、
そんなことを目を瞑りながら考えるのがすきなのだ。住んでいる場所の近くには温泉とジムとピラティスがあって外から出るのが億劫な私は家から近い場所にあって欲しいものを全てあるようにできるそこが妄想の素晴らしいところ。犬か猫も飼いたくて、一緒にだらだらお昼寝なんかしたりして。その私が創る家に住める世界線があるとして、その時の私は何の仕事をしてるのかなって考えた時に、やっぱり家が一番だから、リモートワークのできる仕事か、文章を書いたりするような才能を持ち合わせていることを前提にそういう仕事をしてみたいな。こんな感じで自分の世界を広げているところ。生まれ変わったらハリーポッターの世界で、ホグワーツにも通いたいし、SPECの世界線もいいなぁなんて思ったりして妄想が止まらずこういうことを考えている時間だけは幸せなのです。
わたしは何事も「浸る」というのがすきみたいで、幸せな思い出だったり、だいすきな子と話した日を最初から思い出してみたり、ドラマの世界観にどっぷり浸かるのもずっとだいすき。すきな音楽も、ストーリーを作ってみたりとか、すきな歌詞でシーンを思い浮かべて自分なりに登場人物を決めるのもすき。ただの妄想と言われればそれまでなんだけどね。私のそういう頭の中のくせみたいなものは、きっとずっと窮屈だったから、自分の居たいと思う世界を自分だけはちゃんと作ってあげて、そのなかで自分を自由にさせてあげたかったんだと今はそう解釈してます。妄想や想像の中でしか自由になれない私は惨めかもしれない。そう見えるかもしれないけど現実世界への諦めと頑張りたい気持ちが交錯している今がきっと耐えどきなのかなってそう思ったりもしていて、いつか想像が現実になれるように、老後だけでもそんな家に住めるように今は自分と向き合っていけたらなと思います。
にじゅうろく。
見守っていてくださるとうれしいです
まだにじゅうごだけどね
