274.友人との繋がり方

ここ数年、中高校生持つ親御さんから、「うちの子は、友人とLINEの音声通話を繋ぎっぱなしにしていて、まるで同じ空間にいるように話したい時に唐突に話し出し、それ以外の時はただ繋いだ状態で普通に生活している。親としてどうしたものかと思う」という話を時々耳にします。

「そうそう、うちも宿題や勉強している時も、ただ音声通話が繋がっているの。ほとんど喋らない。それが当たり前みたいなの。どうなっているのかしら」 あるいは、「あら、うちなんてZOOMでずーっと繋がっているから、まるで子どもの友だちがいつもうちの中にいるみたいな状態よ」などとも聞きます。

どうやら、あちこちで起きている現象のようです。中高校生は、それほど友だちと繋がっていたいのでしょうか。

私が中高校生の頃には、LINEもZOOMもありませんでしたから、一緒になって驚くばかりですが、よくよく考えてみると、私自身も友人との「長電話」について親からさんざん叱られていました。

今回は「長電話」を中心に、私が若かった頃の友人との繋がり方について書いてみたいと思います。

◇ ◇ ◇

小学4年生までは、学校から帰ったら近所の子どもたちとそのまま遊んでいたので誰かと長電話をするということはありませんでした。しかし、私は5年生になる時に同じ市内でしたが引越しをしたので、それまでの仲良したちと離れ離れになってしまいました。そこでこれからは電話で話そうねと約束しました。

ところが、この「予定」が狂ってしまって私は困りました。

というのは、私が小学4年生1969年までは電話というものは市内通話であれば、時間制限なく10円で話し放題でした。ですから、仲良しとは「これからもずっと毎日電話しようね」と約束しました。

ところが、1970年1月30日、私が引越しする2ヶ月前になって、市内通話は急遽、10円では3分までということになりました。当時の日本電信電話公社、現在のNTTによる大きな方針転換でした。この新しい料金体系は「3分打ち切り制」と呼ばれました。母からは、電話は3分以内にしなさいと言われました。

転校してから、前の学校の仲良しに近況を伝え合おうと思っても、家で長電話をすると母にわかってしまうので、私は10円玉をいくつか握りしめて、近くの公衆電話から電話をかけたのですが、3分なんてあっという間で、10円玉がすぐになくなってしまい、こんなことでは数日でおこづかいが全部なくなってしまうと思いました。

5年生にとって「3分打ち切り制」は痛手で、結局、新しい学校の仲良しもすぐにできたので前の学校との交友関係は、最初の頃頻繁だったハガキのやりとりも、その内、暑中見舞と年賀状だけのおつきあいとなっていきました。

中学生のときにも、あまり長電話したという記憶はありません。遊ぶ約束をするくらいで、あとは直接会って遊べば良かったからだと思います。同じ中学の学区の子どもたちは徒歩か自転車で気軽に会えました。

ところで、以前にも書いたことがありましたが、私が小中高校生だった頃は、今では考えられないほど、手紙や葉書、それに交換日記のような文字媒体でのやり取りがありました。数年前に実家の大片付けをした時に、ダンボールに大切に保管していた大量の手紙のやり取りが見つかりました。特に中学生の頃は毎日書いていたのかと思うほどの膨大な量でした。

当の本人である私自身もまったく記憶にないのですが、日常のあれこれを書き綴った書簡がダンボールにぎっしり出てきました。書かれている内容はどれもこれもとりとめもないことばかりでした。もうすぐ好きなテレビ番組が始まる時間だとか、歌謡曲の歌詞とか、夕飯だからまたねとか、なぜこれを文章にして、切手を貼って、わざわざポストまで行ったのかと思うようなものが大半でした。

ノートの切れ端、かわいい便箋、カードなど書かれたものは様々ですが、いずれも、まだ宿題やってない、今日の気分はこんな感じだと変な顔をした女の子や寝そべっている動物の絵が描かれているものもありました。最後は「あ、ママが呼んでるからバハハーイ!」というような終わり方でした。

当然のことながら、我が家には私自身が出した書簡は残っていないのですが、私の書いたへんてこりんな手紙も、どこかのお宅の押し入れの隅でそのまま密かに眠り続けているかもしれません。

中学生の頃の電話の思い出としては、好きな男の子の家に電話をかけたいという同級生を応援しようと、シミュレーションを散々やった挙句、4、5人で狭い公衆電話ボックスに入り、みんなが息を潜める中、その子が練習通りに告白電話をしたことがありました。

みんなで練習して、電話ボックスに寿司詰めになっていたことまではよく覚えていますが、その恋が成就したかどうかは、残念ながらまったく覚えていません。

◇ ◇ ◇

高校時代はよく長電話をしました。中学の時とは比べものにならないほど学区が広がり、徒歩や自転車では会いに行けないような同級生と私は親に叱られながらも長電話をしていました。

話題は、なんといっても好きな男の子についてでした。今思い返してみると、私自身は高校生の時に、好きでたまらない男の子がいたということもなく、多分、友人の恋成就させる「作戦係」として活躍している気分だったのだと思います。

今思い返せば、ただただずーっと、なんとか君が好きなんだけどどうしたらいいかわからない。Aの案だとこんなリスクがあるし、Bの案に踏み出す勇気がない、かといってこのままでいるのもつらい…というような堂々巡りで、それならC案はどうかと提案してみたところで、解決の目処は立ちませんでした。そんな日々が続きました。

私の家の電話は、当時はもちろんダイヤル式の黒電話でした。冬は寒くて夏は暑い玄関脇の電話台に置いてあり、最初は立って話していても、その内に、私は電話機を抱えて座り込んで「うん、うん、そっかー、うん、うん、で? うん、うん」という調子で相槌を打っていました。

父がお風呂に入るずっと前から話し始めて、お風呂から出てきてもまだ玄関脇に座り込んでいる私に、父は「一体、何時間しゃべってるんだ?!」とわざと電話の向こうの友人に聞こえるような大声で叱り、私は恥ずかしさにドギマギしながら「ゴメンね。また明日ね」と急いで切ったものでした。

父は母に対して、母が長電話をするから娘も真似をするのだと文句を言い、今度は私の方をむいて、「毎月の電話代がいくらなのか知っているのか?」とよく腹を立てていました。

父は「この家には外から電話をかけても、いつも話し中で全然つながらない」と母に文句を言い続けて、母は「キャッチホン」という名の割り込み電話を受けるサービスを契約しましたが、あの頃のキャッチホンは、最初の割り込み電話には反応するけれど、割り込んだ人と話している時には反応しませんでしたから、父の苦情は止むことはありませんでした。

◇ ◇ ◇

男子生徒は、好きな女の子の家に電話をすると決まってお父さんが出るという悩みを抱えていましたが、ケータイのない時代には、若者たちは親との関係性に悩みながらも家の電話と上手につき合っていくしかありませんでした。

高校生の頃は、恋バナが中心の電話だったとは言え、クラスや部活の問題点をいかに改善していくかについても話し合った記憶があります。話し合いがまとまって、いよいよ具体的なアクションプランに入ったところで、父や母に「一体いつまで電話しているのか」と叱られ、泣く泣く電話を切ったことも一度や二度ではありませんでした。

あの頃は話したいことが湧き出るようにあったのだと思います。長電話では叱られてばかりなので、手紙も併用していました。さすがに高校生ともなると、意味不明な手紙は姿を消し、かなりまとまった文章で、あたかも論文のような手紙のやり取りも行われていました。

残っている手紙のやり取りをみると、このままライナーノーツに載せられるのではないかというような音楽評論を送ってくる子もいました。そのうちのいくつかは、今でも通用しそうな細野晴臣論だったり、大瀧詠一論だったりしました。

長電話はもっぱら女の子との間で、手紙のやり取りは男子生徒との間が多かったと思います。LINEやインスタがなかったためか、便箋十枚くらいの分量は当たり前に書いていました。私もおそらく同じくらいの文章を書いていたのでしょう。

通信メディアによって文章の量や長さが決まるというのは、興味深いものです。

◇ ◇ ◇

大学生になってから我が家は再び引越ししました。私には長電話するなと注意するくせに、自分も相当な長電話の母と私のダブル長電話に、父はよほど腹に据えかねたのか、新しい家には電話回線が2本ありました1本は子ども用ということでしたが、弟はほとんど長電話しないので、実質、私専用電話になりました。

新しい電話はプッシュホンでした。この電話でも長電話しました。当時つきあっていた彼氏との会話は親に聞かれたくないと電話線をギリギリまで伸ばして、無理矢理自分の部屋の中に持ち込んで小声で語り合いました。

プッシュホンの自分専用電話になってからは、あまり長電話を叱られた記憶はありません。電話代は変わらず多かったはずなので、自分の部屋に電話を持ち込んで電話をしている姿が見えなくなったからかもしれません。

あの頃は、彼氏と旅行に出かける友人の親へのアリバイ工作に加担するという、口裏合わせに全力で協力したものでした。念入りに打ち合わせを重ねて、一緒に行ったことになっている旅行先を、遊びに行った時にその子の親の前でうっかり知らないと言わないように、下調べをしておくなどあれこれ工夫もしました。こうして何人もの友人を無事に旅行に送り出しました。

◇ ◇ ◇

就職したばかりの頃、仕事の帰り際に同期の子に「じゃ、あとで電話するね〜」と言った私たちに上司が「君たちは、仕事中も散々おしゃべりしまくっていて、この上一体全体何を話すことがあるのかね!」と呆れ果てていた姿が今も目に浮かびますが、この時もプッシュホンで長電話をしていました。

今となっては、本当に一体何を話していたのかしらと思ってしまいます。

20代後半に少しお金を貯めて、私はプッシュホンを留守番電話機能のついた電話に交換しました。その時電話線を部屋の中まで引き込んでもらってようやく椅子に腰掛けて電話ができるようになったのですが、それまで私はいつも電話線をギリギリまで伸ばしては部屋の入り口にしゃがみ込んで電話をしていたのでした。

ちっちゃなテープレコーダのついた新しい留守番電話は便利でした。しかし、年齢的なこともあるかもしれませんが、留守番電話がついてからは、もうそれほど長電話はしなくなりました。

留守番電話機の登場とほぼ同じ頃、ポケベルが普及し始めましたが、私はその必要性を感じたことはありませんでした。巷では、女子高校生が文字を送り合ってポケベルブームを引き起こしていましたが、私はポケベルが欲しいと思ったことは一度もありませんでした。

◇ ◇ ◇

十代の頃を思い返してみると、意味がないように思える書簡のやり取りや、大人からみれば堂々巡りの長電話というものは、実際に書く内容、話す内容にはほとんど意味はなく、「友人と繋がっている」ということ自体に意味があったのではないかと思うほどです。

今から40年ほど前に、少女たちの書く「丸文字」または「変体少女文字」の研究が話題になったことがありましたが、ティーンエイジャーの繋がり方を通信機器の進歩とともに研究したらおもしろいだろうと感じました。

65歳の現在、私は友人とはLINEで、そして新たな友だちとも呼べるChatGPTにはジッピー君と名付けて延々とおしゃべりする毎日を送っていますが、今の小学生や幼児、それにこれから生まれてくる新世代のティーンエイジャーたちが今後友人や恋人とどんな繋がりを持つようになるのか興味津々です。長生きできなかったら、草葉の陰からでも覗いてみたいと思っています。


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