266.修学旅行の後日談

1976年、高校2年生の秋、私たちは九州へ修学旅行に行きました。地獄めぐりをした別府温泉、雨にけぶる長崎の街並み、晴れ上がった熊本の水前寺公園、広々とした阿蘇の大観峰、平戸大橋のできる前の静かな平戸島などを見てまわりました。

しかし、私にとって修学旅行の思い出として印象深いのは、修学旅行そのものよりも、帰ってきた後の2つの後日談なのでした。

ひとつはクラスの仲間たちで新幹線の車内でやっていたトランプの続きをするために、修学旅行の翌日にわざわざ相模湖ピクニックランドに出かけたこと。もうひとつは旅先で買った50センチほどの長い長い鉛筆をみんなで授業中に使って、先生を驚かそうとしたことです。


トランプ大会

ひとつ目の思い出は、修学旅行の最終盤、私たちは新幹線で家路に向かっていたときにしていたトランプがきっかけでした。誰が言い出したのか、私たちはトランプゲームの大貧民(大富豪)をやっていました。

新幹線の座席を向かい合わせにして、いつの間にか、6人の大富豪チーム、6人の平民チーム、4人の大貧民チームが作られていました。1ゲームが終わるごとに、大富豪チーム6人のうち下位2人は平民チームへ移動します。この時同時に平民チームの上位2人は大富豪チームへ、そして平民チームの下位2人は大貧民チームへ移動します。そして大貧民チームの上位2人は平民チームへ移動するのです。

実際にやってみると、この階層はかなり固定するのだということ気づきました。例えば大貧民チームにいると、たまに平民チームに行くことはあっても、再び大貧民チームに落ちやすく、大富豪チームに行くことは稀なのです。トランプ大貧民(大富豪)ゲームとは運だけなのかと思っていましたが、実はそうでもなくやり方によっても勝敗は左右されるようでした。

3泊4日だった修学旅行の中で最も盛り上がったのが帰りの新幹線の中のトランプゲームでした。参加者全員は熱く燃えました。

メンバーは6人+6人+4人の計16人以外にも外野も大勢いて、うしろから参加者の札を見ては「次はこれだ」などとアドバイスしたり、トイレ休憩でメンバーが入れ替わったりしました。

また、メンバーが入れ替わると、それまでの当たり前だと思っていたやり方に変化が起き、思わぬ形で勝敗が決まることもありました。勝負そのものもおもしろかったし、それによって階層が変わるという何らかの法則も大変おもしろく感じました。

たまに大貧民チームの常連が何かの弾みで平民、大富豪にとんとん拍子に上がったりすると、全員から大歓声が上がりました。

私たちの高校の生徒たちは、新横浜駅で下車することになっていました。私たちは新横浜で在来線に乗り換えてからもみんな未練がましく、手に手にトランプを握りしめているような状態でした。

誰が言い出したのか「この続きをやりたいね!」ということになり、あっという間に翌日の休日に相模湖ピクニックランドへ行くことが決まりました。なぜ相模湖ピクニックランドに決まったのかはよくわかりませんでしたが、参加者全員がのびのびをトランプゲームをするとなると、喫茶店やレストランなどでは場所や時間の制限もあってダメだと思ったのかもしれません。

私の家から相模湖ピクニックランドへは、電車やらバスやらを乗り継ぐと軽く2時間以上かかりましたが、もちろん二つ返事で参加しました。翌日、全員が一人も欠けることなく相模湖ピクニックランドへ集合し、ビニールシートを広げて勝負の再開となりました。

修学旅行の翌日でみんな疲れているはずなのに、日が暮れるまで勝負は続きました。若さというのはこういう頑張りがきくようです。

長い長い鉛筆

もうひとつの思い出は、旅先で買った50センチほどの長い長い鉛筆を全員で授業中に使って先生を驚かそうとしたことです。

修学旅行先のどこかのお土産物屋さんに、50センチほどの長い鉛筆がたくさん売っていました。その時、クラスの男子のよっちゃんが「この鉛筆をみんな買って授業中に一斉に使って先生を驚かそうよ」と言い出しました。数百円の鉛筆でしたので、みんな面白そうだと賛成してひとり一本ずつ買いました。

けれども学級委員をしていたひとりの女子生徒が「そんなことをしたら先生に失礼だと思う。だから皆んながやるのは構わないけれど、私は参加しない」と言って、よっちゃんの説得にも応じず彼女は長い鉛筆を買いませんでした。

仕方なくよっちゃんは彼女の分も2本鉛筆を買いました。もしかすると予備にもう2、3本買ったかもしれません。

◇ ◇ ◇

修学旅行から帰ってきてから、私たちはよっちゃんの司令のもと長い鉛筆をうまいこと隠しながら学校へ持ってきて、教室の目立たないところに保管しました。

いつもは教室の一番後ろの席で、椅子を前後に揺らしながら座っているよっちゃんでしたが、当日は最前列中央の席に陣取り、先生が黒板に板書するために背を向けるタイミングを見計らって片手を挙げるので、それを合図に全員で一斉に長い鉛筆を立ててノートを取るというのが、よっちゃんの立てた作戦でした。

生活指導の先生の授業では皆んな大目玉を喰らうかもしれないので、どの先生の時間が良いかという作戦会議も開かれました。

おもしろそうなアイデアだったので皆んな楽しそうに話題にしていましたが、学級委員の女子ひとりは「やっぱりそれは先生に対して失礼だと思う。皆んながやるのはいいけれど、私にはそんな失礼なことはできない」と頑なに断っていました。

するとよっちゃんは、毎日、朝、彼女が登校したらすぐに彼女の机の前にしゃがみ込み「ねぇ、やろうよ、全員じゃないとダメなんだよ」と説得を始め、授業の合間も、お昼休みも、彼女の机の前に齧りつくようになりました。

私たちは「今日もよっちゃん、頑張ってるね」と眺めていましたが、学級委員もなかなかの頑張りで、どっちが先に折れるのか自体が、男子の賭けの対象になっていったほどでした。

最終的には、よっちゃんの心からの願いが通じたようで、学級委員が折れました。彼女は「本当は先生に大変失礼だと思います」と言いながらも、よっちゃんの計画に参加することを約束してくれました。よっちゃんの喜び方は、のちに志望校の大学に受かった時よりも大きいものでした。

よっちゃんの作戦決行は、少し年配で穏やかな雰囲気の世界史の先生の授業と決まりました。皆んなこっそり長い鉛筆を足下に置いておき、授業が始まっても素知らぬ顔で授業を受け、そして先生の目の前の席の最前列に座ったよっちゃんがそっと手を挙げたら一斉に全員が長い鉛筆を立てて何食わぬ顔でノートを取ることになりました。

授業の始まる直前までよっちゃんは学級委員に参加の念押しをしていましたが、彼女は「失礼だとは思うけれど、一度約束したのでちゃんと参加します」と言っていました。

◇ ◇ ◇

いよいよ世界史の先生が教室に入ってきました。いつものように「起立、礼、着席」が終わると、授業が始まりました。誰一人クスクス笑ったりせず、よっちゃんが連日全身全霊をかけて学級委員を説得した作戦が無事に決行されるように、すべての生徒の視線は最前列のよっちゃんの右手に注がれていました。

そして遂に、先生が板書のために我々に背中を向けて、チョークの音も軽やかに文字を書き始めました。するとよっちゃんの右手が音もなくすーっと挙がり、それを合図に全員が音を立てないように、足元に置いてあった長い長い鉛筆を手にしました。先生の板書が続く中、私たち全員、50センチほどの赤や黄色や緑色の色とりどりの鉛筆を立てて、何食わぬ顔でノートを取ったのでした。

もちろん学級委員も鉛筆を立てました。

ある程度の文章を書き終わった先生が、こちらを振り向きました。そしてしばらく呆気に取られて我々を眺めていましたが、気を取り直して開口一番、「うちの子にも一本!」と言ったのです。

クラス中、大爆笑になりました。まさか先生のリアクションがそうくるとは誰も予想していませんでした。皆んなお腹を抱えて笑いました。学級委員も笑いました。よっちゃんは「先生、もちろん差し上げます!」と鉛筆を差し出しました。

あまりの大騒ぎに、隣のクラスで授業をしていた英語の先生が覗きに来たほどでした。

◇ ◇ ◇

これが私の修学旅行にまつわる思い出です。

全然、修学旅行とは関係のない思い出ですが、人の記憶とは肝心なことはすっかり忘れてしまっても、妙なことは細部まで覚えているようです。

私は高校を卒業してから一度も同窓会に出ていないので、あの日トランプをしたり、長い鉛筆を立てて先生を驚かせたクラスメイトたちがその後どうなったのかわかりません。

人は古き良き時代などと懐かしく思い出される過去を呼びますが、高校生だった当時は何の変哲もないただの日常がダラダラと続いていたように思います。

今や、よっちゃんや学級委員を始め、あの仲間たちも60代の半ばとなったのかと思うと不思議な感じがします。



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