287.信用調査
1980年代前半に、私は新卒で入った会社の同期の女の子と2人で伊豆に旅行に行きました。その時泊まったのは、伊豆高原辺りの海の近くのペンションでした。当時ペンションは、私たちにとってはちょっとした憧れでした。
こじんまりとした空間にベッドが置いてあるだけの簡素な部屋でしたが、夕食の際には、ダイニングルームでオーナー夫妻の手作りのコース料理が出てくるのでした。今ではなんということもない料理ですが、当時は、コース料理というのは、なんだかとても贅沢に感じられました。
翌朝、同じダイニングルームでしたが、朝日の差し込む窓の上部にはふんわりとしたレースのカーテンがかかっていて、その向こうには青い海がキラキラと輝いていたことをよく覚えてます。
私たちのような二人連れの女性客もいましたが、カップル客もちらほらいて、今度はお互い彼氏と来たいねと言い合いました。テーブルの上には小花が飾られていました。
お土産コーナーもあって、ペンションロゴをデザインした様々な品物が販売されていました。空色のトレーナーを手に取った友人は、これ少し高いけど買っちゃおうかなと言い、私も同じ空色のマグカップが欲しくなってレジへ持って行きました。私たちはクレジットカードを持っていましたが、ペンションは現金払いということで、二人とも現金で支払いました。
あの頃、二人とも仕事が終わってから友人はシナリオ講座へ、私はフランス語教室へ通いながら将来の夢を語り合い、それに向かってコツコツ貯金をしていました。友人はシナリオを書いて、将来、映画にしたいと夢を膨らませていました。私はとにかく子どもの頃から憧れていたフランスに住みたいという一心でした。
トレーナーとマグカップをそれぞれ買って、手持ち現金が乏しくなりましたが、クレジットカードもあるし途中どこかの駅の銀行から下ろせばいいと気楽に考えていました。ところがその後、昼食を食べたり、バスに乗ったりして、伊東駅だったか小田原駅だったかに着いたのですが、驚いたことに都銀が見当たりません。カードが使えるお店もほとんどありませんでした。
私も友人も給与振込口座は会社指定の都市銀行だったのですが、都銀が見つからないのでした。地方出身者の方々には呆れられると思いますが、私たち二人は社会に出たばかりで、都銀はどこの駅にでもあるものと思い込んでいました。
目についた地銀へ行って、キャッシュディスペンサーに手元の都銀カードを差し込んでみましたが「お取扱いできません」というメッセージが表示されました。当時はまだ都銀と地銀間にはネットワークは構築されておらず、お金が下ろせなかったのです。もちろんSuicaもPasmoもない時代でした。
私たちの手持ち現金では、二人合わせても、それぞれの自宅に帰れるほどの電車賃がありませんでした。困りました。
駅前には、その頃流行り始めていたサラ金の看板がたくさん並んでいたので、私がおもしろがって友人に「サラ金でお金借りちゃおうか?」と言ったら、友人は「それはやめようよ。なんとか帰る方法を考えようよ」と私の提案を即座に却下しました。
そこで二人であれこれ考えた結果、持ち金ギリギリで小田急線の私の最寄りの駅までの切符と最低運賃の切符を一枚ずつ買い、私が一旦自宅にお金を取りに帰って、改札口まで戻ってきてそのお金を友人に渡す、友人はそのお金で乗り越し料金を支払って家に帰るというアイデアに辿り着きました。
お互い無事に帰宅できました。あれこれ教訓の多い旅行でした。私はこの事件以来、どんな時でも定期入れに小さく畳んだお札を忍ばせています。若い時は千円札を、今でも一万円札を定期入れに入れて持ち歩いています。
◇ ◇ ◇
それから十数年の時が流れました。私はフランスに行き、戻って来て再就職活動をして外資系の会社に入社しました。最初は部門秘書でしたが、三十代半ばには中間管理職になって、スタッフの採用も任されるようになっていました。
ある日、書類選考に通った候補者を面接をして、採用したい候補者を人事部に連絡したところ、少しして人事部から連絡があって「この候補者の信用調査をかけてみたら、サラ金に借金がありました。それでも採用しますか」と質問されました。私は「それでは今回は見送ります」と返答しました。
さらにその後も、同じように候補者の信用調査結果で「今は完済してはいるけれど、この候補者はかつてサラ金のアカウントを持っていました。どうしますか?」と聞かれたこともありました。この時も採用は見送りました。
私の脳裏にあの友人との伊豆旅行がよぎりました。おもしろがってサラ金からお金借りちゃおうか?と言った私の言葉を即座に却下してくれた友人に心から感謝しました。そうだね、おもしろそうだねなどと軽いノリでお金を借りていたら、たとえ少額でも人生は違っていたかもしれないと思いました。
新卒で入った会社に内定が出た時、私たちは人事部長から「これから君たちのことを興信所を使って調査します。ご近所などに聞いてまわりますが悪く思わないでください。私たちが入社した時も同じように調査されたのです」と言われました。
けれども、外資系企業の選考でも同じように入社前に信用調査がされているとは知りませんでした。しかも借金を返済した後もサラ金にアカウントがあったことが調べられ、その情報が一人歩きをするのかと私は驚きました。
そういえば、私が採用したスタッフの一人に、消費者金融会社の無人契約機のシステム開発を自分一人でやりましたという人物がいました。私はこのスキルを高く評価して採用したのですが、一方で、私が不採用にした人物は、もしかしたら軽いノリで電車賃の千円を借りただけの人だったかもしれないとも思いました。
◇ ◇ ◇
私はこの外資系企業に15年ほど勤務しました。自分がスタッフ採用に関わって初めてこの会社でも採用時に信用調査をしていることを知ったのですが、それからさらに年月が過ぎたある日、再び信用調査のことで私は驚きました。
同僚の一人は私と同じ1987年入社で、当時同じ部署に入社して仲良くなり、途中それぞれ別の部門に別れたものの、再び同じ部門で働くようになりました。彼女は米国の大学に留学していて、在学中に同じ日本人留学生と結婚していました。ですから卒業して帰国し、この会社に入社した時には、既に既婚者でした。
ちょうど2000年問題で社内が騒がしかった頃、世界各国の支社のあらゆるデータベースを合体させるというプロジェクトが進んでいました。オンライン化によって、24時間365日、顧客情報や社内システム等同一データベースに世界中からアクセスできるようにするという試みでした。その一環として、我々スタッフ情報も、世界中で同一データベースに集約されました。
早速、人事部からのお達しで、自分のデータの氏名や生年月日や所属部門や電話番号などを確認し、もしも誤りがあったら速やかに人事部に届け出るようにという連絡がありました。
その日、仲良しの同僚が私の席まですっ飛んで来ました。「ねえ聞いて! 私の旧姓がデータベースに載っている。私は入社前も入社後も一度も旧姓を会社に報告したことはなかったのに」と言うのでした。
全世界共通の人事データベースフォーマットには、「middle name」という欄があって、欧米人の多くはここに旧姓を入力していました。日本では旧姓を併記するという習慣はなく、夫婦別姓問題で戸籍上の氏に代わって旧姓を使用することはあっても、middle nameとして併記する文化はありません。ところがそこに彼女の結婚前の姓が記載されていました。
友人は、これまで気がつかなかったけれど、きっと人事部がなんらかの方法で戸籍を調べたとしか思えない、何だか気味が悪いと言っていました。
確かに新卒で入った会社では、前もって興信所を使いますという宣言がありましたが、この外資系企業では密かにそのような調査が行われていたのかと、私もちょっと背筋がぞわっとしました。
そういえば、入社した時に大学の卒業証明書や成績証明書の提出を求められなかったので、なるほど外資系企業というものは、そんなものは必要としないのかと思っていましたが、実際のところはどうだったのだろうと、その時初めて思いました。
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さらに年月が経ち、私が3つ目の仕事の面接を受けた時のことです。面接官にあれこれ質問され、最後に「これまで交通違反などの何かの罰則を科されたことはありませんか」と聞かれました。私は即座に「あります。十年以上前のことですが、北海道旅行中にスピード違反で罰金を支払ったことがあります」と答えました。
これまでの経験で、経歴などというものは知らぬ間に調べられるものであり、交通違反の罰金などはすぐにわかるだろうから「自白」しておくのが最善だと咄嗟に判断したからでした。そのおかげかどうか合格でき、再々就職をすることができました。
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GWに旅先で、何年かぶりに伊豆のペンションに一緒に旅行した友人と再会しました。久しぶりに楽しいひとときを過ごし、その後も彼女との思い出をあれこれと思い巡らせていたら、あの貧乏旅行とその後の信用調査について思い出しました。
シナリオ講座に通っていたその友人は、しばらくして、プロの作家になりました。本を何冊も出版し、小説はシリーズで発売されています。Webサイトも見るたびに充実しています。
決して若き日の夢を忘れることなく、どんな時にも地道に努力を続けてきた友人は、私が心から尊敬する一人です。先日会った時も忙しい日々を送っていました。彼女は私の信用情報を救ってくれただけでなく、常に善き道を選ぼうとする人物であったと改めて感じました。彼女の作品が映画化されたら、必ず封切り初日に映画館へ行こうと思っています。
