妹になんか生まれなければよかった
私は我が家の第2子としてこの世に生を受けた。
先に姉が生まれていたから、後に生まれた私は妹ということになる。
そして、たまたま私たちが生まれた家は『そこそこちゃんとした人間にならなければいけない』家だった。ゆるふわにしか言えないので後はご想像にお任せするが、この世にはそういうしょうもない家があるのだ。
物心つくかつかないかの頃に『女の子はお姉ちゃんが居るんだから、次の子は男の子だったら良かったのにねぇ』という言葉を親戚が呟いているのを耳にした記憶がある。それをたまたま聞いてしまった私は幼いながらに、これは聞いてはいけない話なんだと分かり、心臓がバクバクした。「男の子が欲しかったね」という何気ない気持ちから発した言葉だったかもしれない。けれど私は、今まで大人たちが私に向けていた視線の意味とその言葉が繋がったことで、驚くほどストンと腑に落ちた。
子どもは自分の感情に適切な名前を贈ることができない。経験が乏しいので、どれもが初めてに近い感覚なのだ。「これは悲しみだ」「これは怒りだ」「これは不安だ」それが分かれば今までどんなに救われたことか。意味がわかれば対処ができる。大人には経験がある。経験から学んだはずのその力をなぜ私に貸してくれなかったんだ、と今になっても歯痒い思いがする。
「こうしなさい」「こうなりなさい」「これができるようになりなさい」わたしの意思とは関係なく求められる全てが、私ではない何者かに作り替えるための手術を受けさせられているように感じた。頭の中で膨らみ続ける黒くて重い気持ちの名前も、それをどうしたらいいのかも、あの時は誰も教えてくれなかった。自分の気持ちに名前をつけることさえできない私が、優秀と言われる人間になるための教育を施される中で感じていたのは『私はいない方がいいのかもしれない』という、シンプルな疑問だった。
子どもは自分の気持ちは分からないが、大人の考えていることはよく分かる。これは生存本能に由来すると思う。子どもは弱い。体も立場も。弱い子どもは、大人に守ってもらわないと生きていけない。だから大人の考えていることを察する能力だけが、飛び抜けて鍛えられていく。
しかし私はそれらを知りながらも、決して愛想を振り撒かず、ひたすらにちょっとした迷惑をかけ、大人たちを困らせる事でこの気持ちを発散した。私には運良く「自分を貫く」という才能があった。これは生存本能に由来する力なのか、生まれ持った性格なのか、後天的に備わった生きるための手段なのかは分からない。ただ、結果的に私はその力を手にしていた。運が良かった。
親を含めた周りの大人たちの視線や言葉から、『この人は私にこう振舞ってほしいに違いない』と敏感に感じ取っていたが、絶対に思い通りにはさせなかった。「あなたのため」と言われて求められていたことは、本当は世間体のためだったことも知っていた。自分の意に反することは全身全霊で反発した。叩かれても、押し入れに閉じ込められても、山奥にある墓場の近くにひとり置き去りにされても、懲りずに抵抗し続けた。
習い事の前は道具を撒き散らし、親が拾っている間に庭に逃げた。狭い庭で必死に隠れる場所を探し、信じてもいない神様たちに『どうか見つかりませんように』と祈った。先程の何倍も怒りが膨れ上がった親が私を見つけるまでの、無駄としかいいようのないこの時間も、私にとっては必要な時間だった。
こうした地道な努力の末に、私は可愛げのない子としての地位を確立した。思い込みが激しく、頑固で、大人の言うことをまるで聞かない、気難しい子ども。俗に言う悪い子。それが幼少期の私のプロフィールだった。
それからは私の態度を快く思わない、じっとりと湿り気を帯びた大人からの視線が、私を満たしてくれるようになった。私の存在をどんどん否定してくれ。本当の私が『いなかったらよかった者』として思われるくらいなら、嫌われることで「私はここにいる」と感じられるほうがマシだった。そうすることで、『私はいない方がよかったのではないか』という疑問の先にある、ひどく寂しい答えから逃げることができた。
こうして筋金入りのひねくれ者が誕生した。
姉は第1子として、私が産まれる前の我が家に誕生した。
世間体を保つためと、互いのわずかな利を得るためだけに夫婦の体を続ける両親の姿を目の当たりにしながら、姉は生まれながらに崩れゆく家族の均衡を保つ役割を果たしていた。私と同じように大人の求めることを敏感に感じ取っていたが、私とは正反対で、姉は全てを飲み込みそれがあるべき姿に戻ることを願いながら応え続けた。ことが円満に済むなら己を殺すことも厭わない。聡明な姉の性格は皮肉なことに、この家にとっては都合が良かった。
姉が小学校受験のために塾に通っていた時の思い出は、私の中でかなり強いトラウマとして心に残っている。小さい頃から私よりはるかに優れ、怒られているところを見たことがない姉が、勉強ができないからと家でキツく叱責を受けている姿は、あまりにも惨めで言葉にできなかった。思うように受験勉強が進まないことに苛立った母親が「なんでこんなこともできないの!」という言葉ともに姉の持っていた鉛筆を力任せにもぎ取り、真っ二つにへし折った。折られた鉛筆は母親の見事な投擲で私の頬を掠め、壁にあたって畳の上に転がった。
『おねえちゃんがおこられている』
ただならぬ気配に全身がガタガタ震えた。私が散らばった鉛筆を拾おうと近付くと、折られた鉛筆に印刷されている満面の笑みを浮かべたミッキーマウスのイラストと目が合い、ゾッと背筋が凍った。
「次はお前だ」
覚悟しておけよ、と言われている気がした。
姉は地元で有名な私立の受験に失敗し、公立の小学校に通った。姉が合格しなかった為、私は受験すらさせられることなく、姉と同じ公立の小学校に通うことになった。姉が持って帰ってくるテストはほとんどが満点で、通知表も卒業までずっと最高評価ばかりが並んだ。私は図工と体育以外は褒められたような成績じゃなかったので、学期末はいつも怒られた。姉は先生や友人からの信頼も厚く、生活態度も何も問題なく、優秀な子どもとしての地位を確立した。「いい子」として認められることが、彼女ができる唯一の存在証明だったのだろう。
このような幼少期を過ごした人間がどういう末路を迎えるか、みなさん大変興味深いことだろう。我が家を例にして一つだけお伝えすると、姉も私も家族への愛情が欠落した人間になった。そして私たち4人が家族に戻ることは、もう2度と無い。
自分の方が我慢をした。子どもたちの為に尽力した。全て相手が悪い。娘だけにはわかってほしい、味方になってくれ。私たちの前で相手を罵しる言葉の下に隠れた本心が見えた時、なんと哀れな人たちなんだと涙が出そうになった。同情ではない。最後の最後まで残った私から親へのなけなしの情さえも奪い取ろうとする、己のことしか考えていない自分勝手な思考回路に呆れ果てたのだ。
大人になった今、両親を親ではなくひとりの人間として見れるようになった。各々の生まれや事情も理解しているつもりだ。なにぶん複雑な家である。ここで育った父も、嫁いできた母も、それぞれの思いがあるだろう。私の人生が色々あったのと同じように、人にも人の人生がある。
ただ、幼い私たちが喉から手が出るほどほしかった、“選択する力”を大人は持っている。2人ともその絶対的な力を持ち得ながらも、現状を改善するために使わなかったことだけが、今も腹立たしくて仕方ない。
我が家で最も深い傷を負ったのは姉だと思う。今の姉を見ていると、過去の彼女の姿がどれほどの苦悩の上に作り上げられた存在だったのかが分かる。優しく、賢く、人に迷惑をかけず、言われたことに従い、誰からも愛されるよく出来た子ども。そんな子どもがいるはずもないのに。
奔放に過ごす私の存在が、姉の苦しさに拍車をかけていたのかもしれないと思うと胸が痛い。しかし幼い私は自分を守るのが精一杯だった。私が私のまま生き延びるため、そうするしかなかった。私がもし私ではない誰かになる道を選んでいたら、今の私はここにはいない。
妹なんかに生まれなければよかった、と思う。
私がお姉ちゃんで、姉が妹だったら、少しは変わった未来があったかもしれない。
あの人たちの言う通りにならなくて大丈夫。本当に嫌なことはしなくてもいいんだよ。それで怒られても平気!嫌なこと、嫌って言っただけなんだから。何も悪くないよ。
こっぴどく叱られた後で、ケロッと平気な顔をしながらこう言ってあげられたら。こんなもしもでしかない空想も、湧き上がるどの後悔も、今となっては何も意味がない。人生は選べないことが多すぎる。それにどうにか折り合いをつけて、受け入れるために試行錯誤する毎日だ。必要なものが絶対に手に入らないものだという絶望に触れた時でも、勉強をしたり、代替品を探すことで何とかやっていけるもんだと知れた時、長年の胸のつかえが取れた。今からでも楽しく生きていける、と思った。
妹になんか生まれなければよかったと思う。
けれど、もし私が産まれてなかったらと思うとそれもまた恐ろしい。美しく塗装された外壁しか見ていない人たちは、その家の中で柱が腐り、カビが生え、床が抜け落ちているなんて想像もできないだろう。誰からも理解してもらえない同じ地獄で、同じ釜の飯を食った人間が、この世にたった1人だけいる。私がそれを支えにしているように、姉もいつかそう思ってくれたら嬉しい。
私は、姉をひとりにさせないために妹として生まれてきたのだ。
そう胸を張れるように私は今日も、あの頃の私が全力で守ってくれた、天邪鬼で捻くれて可愛げのまるでない、愛すべき自分と生きていく。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます